今週の風景 No.578  

管理人

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2019年8月25日 講壇の花  

管理人

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◆20章から始まる十戒、神様からイスラエルの民に与えられる定めの数々。24章において契約の締結が行われます。モーセは、主の言葉とすべての法をイスラエルの民に読み聞かせました。イスラエルの民は、モーセの話を聞き、声を一つにして「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います。」と答えました。(24:3,8)

◆モーセは主の命じられた通り、アロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの70人の長老と共に主の元へとのぼりました。彼らは、そこで神を見、食事をしました。その後、主の招きに応じて、モーセは神の山へと登って行きました。そこで、40日40夜過ごしたのです。

◆イスラエルの民が神様から律法を与えられたのは、彼らに秩序が与えられ、祝福された歩みをしていくためでした。(申命記4:40)この契約の締結により、イスラエルの民は神様との親しい交わりと祝福の道を歩むことができるようになったのです。しかし、彼らはこの特権を保ち続けることができませんでした。

◆私たちは、神様との深く親しい関係を求めています。しかし、私たちの罪ゆえに、この関係を継続して行くことがとても難しいものになってしまったのです。イスラエルの民も50日も経たないうちに、神様との契約を忘れてしまいました。また、約束の地に入ってからも偶像礼拝などの罪を犯してしまったのです。結果、イスラエルの民に待っていたものは良いものではありませんでした。

◆神様はこのような私たち人類に、イエスキリストを送ってくださったのです。イエスキリストによって、新しい契約を与えてくださったのです。イエスキリストを信じる者に、主の祝福を豊かに与えてくださったのです。この恵みを受け取り、神様との深く親しい関係を持ち続けていきましょう。

坂西恵悟

◆この夏、ある教会の弟子訓練プログラムを見学させていただきました。聖書を読み、テキストからの質問にそれぞれが考え、答えていました。また、毎回宿題が課せられ、その宿題の報告、礼拝説教の要約、暗唱聖句の発表などが行われていました。その宿題の中に、神の愛、義、信仰、平和を求めることができたか、実行することができたかというものがありました。それぞれが、1週間の中で、出来たことを分かち合ってくださいました。

◆ヤコブの手紙1:22には、「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」とあります。私たちは普段の生活で、どれだけこの御言葉を守ることができているでしょうか。私たちの行動に神様の愛を表すことができているでしょうか。口から神様の義を語ることができているでしょうか。私自身、この学びを見学させていただいた中で、「御言葉を行う」ということが漠然としていたこと、生活の細かいところまで出来ていないことを気づかされ、悔い改めました。

◆御言葉を日常生活で行なっていくことは、私たちがキリストに似た者とされていくために必要なことです。また、私たちの生活すべてが信仰生活を学ぶ場所であり、神様をイエス様を知る場所にもなっているのです。1日1日を、1週間を振り返る時、恵みを数え感謝するだけでなく、どれだけ自分自身が御言葉を行うことができたかを振り返ることも大切なことでしょう。その振り返りの中で、悔い改め、ゆるされた者として生きることができる恵みに、より一層感謝することができるのです。私たちは神様の壮大な夢の中に生きることができるのです。その恵みに感謝しましょう。

坂西恵悟

今週の一面 『 祈りの生活 』 8/11  

管理人

◆讃美歌に「この世のつとめ いとせわしく 人の声のみ しげき時に 内なる宮に のがれてゆきて われは聞くなり 主のみ声を」という歌詞がある。

◆確かに現代に生きるわたしたちは、多忙と騒音のなかに明け暮れる毎日である。いやおう無しにこういう中で生活しなければならぬわたしたちが、自分に語りかけたもう主のみ声を聞くためには、なんとしてもこの世から退くことが必要である。そして、わたしたちの心のチャンネルを神に合わせることなしに神の語りかけを聞くことはできない。

◆主イエスは、食事をする暇さえない弟子たちに対して「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」(マルコ6:31)とすすめられた。これは主が弟子たちにこの世から逃れていって、心を静めて神の語りかけを聞くこと、すなわち祈りの時を持つことをすすめたことばである。そうでなければ、結局生活が枯渇して来、生きる意味を失ってしまうのである。

◆「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)「イエスは祈るために山に行き夜を徹して神に祈られた」(ルカ6:12)「イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。いつもの場所に着いてから...祈っておられた」(ルカ22:39)神の子にしてかつこれほどの祈りを要したのである。わたしたちも成長していく信仰のために、まず祈りの生活を確立したいものである。

石田政美

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