今週の一面 『十戒④ 』 8/4  

管理人

◆第6戒からは、人に対する具体的な行動に関する戒めです。(殺人、姦淫、盗み、偽証)これは、内面的な部分もありますが、主だっては外面的に見えるものになります。神様が求めていることは、私たちがきよくあることです。
「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(Ⅱテモテ2:21 新改訳)

◆神様は、自分自身をきよめる人を、尊い働きのために用いてくださるのです。

◆第10戒では、人に対する行動の外面的なものではなく、内面的なことが戒められています。私たちは、他人の心を完全に理解することはできません。すべてを理解しているのは、神様だけです。神様は、人が他人の家を欲することを禁じられました。土地や家屋だけでなく、家に属するすべてのものを欲することを禁じられたのです。

◆私たちは、いつも比較します。商品を買うときも比較しますし、自分と他人も比較します。貪る心は神様の対する不信仰から出てくるものです。神様が私たちの必要を与えてくださるという御言葉を信じるのであれば、他人と比較することは必要ないでしょう。むしろ、今与えられているものに感謝をすることができるのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。」とあるように、神様が与えてくださっていることを信じるが故に、現状に満足する心が与えられて、将来に対しても平安が与えられるのです。

◆神様からの十戒は、イスラエルの民にとって、私たちにとって基本的なことです。しかし、私たちは、この十戒を完全に守ることができません。この十戒は、私たちが罪人であること、不完全な者であることを明らかにします。だから、イエス・キリストが救い主であり、この律法を完全に守り、成就された方であると信じることができるのです。

坂西恵悟

今週の一面 『 十戒③ 』7/28  

管理人

◆十戒は第1戒から第4戒が神様に対するもの、第5戒からは人間に対してのもの。ある人は、第5戒はその架け橋的なものであるとしています。子どもにとって親は神の代理人とも言える立場で、親の地位は神聖なものと考えられていたからです。

◆「敬う」という言葉には2つの意味が考えられます。「従順」と「尊敬」です。赤ちゃんは自分で何もできません。親に従順です。成長するにつれ、子どもは自分自身で物事の判断ができるようになっていきます。しかし、いつまでも従順させてしまうと親に依存してしまうでしょう。ですから、「従順」することから「尊敬」するようになっていくことが大切です。両親を敬う者に、神様からの祝福が伴うのです。(20:12)

◆第6戒では、「殺してはならない」と命じられています。原語では、ラーツァフとなっている言葉ですが、これは血の報復を求めるような殺人という意味から、憎しみや悪意といった個人の感情に基づいて加えられる暴力的行為という広い意味まであります。

◆私たちは"神様のかたち"に造られており、人間の生命は尊いものです。神様は一人一人にご計画を立ててくださっています。神様は私たちを高価で尊い存在として愛してくださっています。だからこそ、神様の示す道から外れていく私たちを憐れみ、イエス・キリストをこの地に送ってくださったのです。殺すことは人間の手によって神様のご計画を奪ってしまうことになるのです。

◆私たちは、お互いが神様のかたちに造られていることを覚え、お互いを神様によって赦されている者として愛し合う者でありたいのです。

坂西恵悟

◆第3戒において「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」と命じれらました。最近聞くことが少なくなりましたが、若者の間で何に対してもすぐに「神」と表現することがあります。会話の中で「まじ、それ神だよね」や「〇〇神じゃん」などの表現がよく使われていました。

◆そもそも、私たちは名前を大切にします。それはイスラエルの民も同様でした。子どもの名前を選ぶ時、非常に神経を使ったことでしょう。自分の名前をいい加減に使われるならいい気分にはなりません。神様もご自身の御名を威厳をもって呼ばわれることを望んでおられるのです。また、昔のイスラエル人は誓いを立てる時、神の名によって誓いました。神の名によって誓ったことは、必ずそれを守ることを要求されていたのです。時が経つにつれ、神の名を軽んじて使うようになり、いい加減な誓いをするようになったのです。

◆神の名を大切にするには、私たちを通して神様が素晴らしさが伝わることが必要です。つまり、私たちが良いあかしの生活を送ることによって、神様の名があがめられることが大切なのです。

◆第4戒では、安息日に関する教えです。安息日を聖とし、6日間働き、7日目は仕事を休むことを命じられました。神様が7日目に休まれ、祝福されたからです。

◆旧約の時代、金曜の日没から土曜の日没まで安息日でした。家族で神様を礼拝し、祈りと瞑想の時を持ち、午後には集まって聖書を学ぶようになったのです。イエス様が復活されてからは、教会は日曜日を聖日として守るようになりました。週のうち1日は神様を礼拝し、神様の創造のわざを覚え、神様の救いのわざを覚えることが、安息日を聖別することになるのです。

◆私たちが週に1度集まり礼拝をすることは、神様の素晴らしさを覚えるために必要なことなのです。私たちは霊とまことをもって神様に礼拝をささげていきましょう。
坂西恵悟

◆神様はご自身がどのような方であるかを語った後、モーセに十戒をお与えになりました。まず始めに、人間が守るべき大切な戒めを示されたのです。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」(20:3)

◆人間が神以外のものを神とする、偶像を持つことを禁じられました。人間は偶像を拝む習慣がありました。イスラエルの民がいたエジプトにも多くの神と呼ばれるものがあり、遡ってアブラハムの時代にも月を神として礼拝していました。また日本にも八百万の神や、先祖を神とする文化があります。また、そういった神格化されているもの以外でも神以上に大切なものとされるなら、それも偶像でしょう。お金、財産、地位、名声、学歴、名誉などが神以上に大切にならないように、私たちは気をつけなければなりません。

◆続く第2戒では、その偶像を持つだけでなく、拝んだり仕えたりしてはいけないことを教えています。
「あなたはいかなる像も造ってはならない。」(20:4)

◆なぜ神様を形にしてはいけないのでしょうか。それは、神様は霊なる方であり、形のない方だからです。(ヨハネ4:24) また申命記ではイスラエル人は神様の姿を見ず、いかなる偶像も造ってはいけないと言われています。(申命記4:15,16) 神様は霊で形を持たない方です。時間の制約も空間の制約も受けない方です。そのお方を形にすることは不可能です。無から有を生み出す神様を、被造物である私たちが造ることなど不可能なのです。

◆私たちは、今も生きておられる神様を礼拝し、祈りをささげていくべきです。また、神様を愛し、神様の戒めを守ることが必要です。そうする時、私たちの後の世代も神様の大きな祝福にあずかることができるのです。(20:6)

坂西恵悟

今週の一面 7/7  

管理人

◆この20章から申命記に至るまで、神様はモーセを通し多くの律法を与え られました。聖書では、私たちは迷いやすい羊であるとたとえられていま す。私たちはすぐに道をを外れてしまいます。その道を正しく歩むために は、道しるべが必要なのです。この神様からの律法は、ただの命令ではな く私たちが神様の前に正しく歩むために必要な道しるべとなります。

◆神様がモーセを通してイスラエルに与えられた律法は、旧約時代に適用 されるものと、新約時代に適用されるものの2つに分けることができま す。旧約時代のものは、儀式に関するものや、当時の社会生活に関わるも のです。新約時代のものは、道徳法すなわち十戒です。この十戒は2枚の 石の板に書かれ、幕屋の中の神の箱に納められました。移動の時にはイス ラエルの民の中心に据えられました。この十戒が彼らにとっての基準であ り、中心だったのです。また、この十戒は現代の私たちの法律の基になっ ているものです。

◆十戒は大きく2つに分けることができます。神様に対するもの(前半4 つ)と人間に対するもの(後半6つ)です。十戒を与える前に神様ははじめに ご自身がどのような方であるかを示されました。 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出 した神である。」(20:2)

◆約束は一人ではできません。相手がいて初めて成り立ちます。何かを契 約するとき、相手が誰かわからないと契約することは出来ません。神様は まずご自身が、奴隷であったイスラエルの民をエジプトから救い出し、こ のシナイ山まで導いた神であることを明らかにされました。そして、十戒 を与えられたのです。

坂西恵悟

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