今週の一面 『神様からの召命』 5/26  

管理人

◆「召命」という言葉は牧師や伝道師などの「献身者」によく使われる言葉です。聖書を見ても、神様から召命を受けている人は、「選ばれた人」です。「召命」は「選ばれた人」だけなのでしょうか。そうではないと思います。クリスチャン全員が主から「召命」された人々だと思います。だからこそ、一人一人が主の証人として生きることが必要になってきます。私たちが用いられる場所があり、そこに主が遣わしてくださるのです。

◆モーセは神様から直接召命を受けた人物です。しかも、彼が召命を受けた時は80歳でした。普通では考えられない年齢でも、不安要素が多い状況でも神様は用いようとしてくださる。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。」(出エジプト3:9)と神様がモーセに語ったように、私たちも神様から遣わされている者なのです。

◆モーセは神様からの召命に対して、二つ返事で返答しませんでした。様々な不安要因を挙げていました。私たちも遣わされようとしている時、何か言い訳を考えてしまうことはないでしょうか。自分の置かれている状況を考えたり、必要がそろっていないことを考えてしまったりすることがあると思うのです。それでも、準備が不完全だったとしても、主は私たちを用いようとしてくださっているのです。

◆私たちが置かれている場に主は私たちを遣わしてくださっているのです。そして、そこに主が共にいてくださり、私たちを支え、必要を満たし励ましてくださるのです。主の召命に対して、私たちは「はい」と「私を遣わしてください」と答えることができればなんと幸いなことでしょうか。

 「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」(出エジプト3:12)

坂西恵悟

◆1999年9月12日に初めて、私はJOYチャペルに導かれました。JOYチャペルがなかなか見つからず、帰ろうかなと思った時に、主は魚マークを付けた車を用意され、私を礼拝場所へ導かれました。「主がお入り用なのです。」との祈りを持って、JOYのメンバーにしていただきました。

◆JOYに集められた一人一人が主のために用いられたいという祈りを持って、礼拝場所を求めていた時、主は夢を持って示され、先回りしてその場所を示されました。横浜西YMCAが礼拝場所としての使用を許してくださったのです。ビルの4階を牧師室にと決める時も、ビルの2階を礼拝堂として使用する時も、牧師館兼ぶどう館を求める時も「主がお入り用なのです。」という祈りを持ってあたったとき、主が全ての必要を満たして待っていてくださいました。

◆人が入れきれないくらいの礼拝になり、土地探しを始めました。いくつもの土地を見て歩きましたが、教会に相応しい土地が見つかりません。「主がこのJOYを必要とされています。主がお入り用なのです。」と言う祈りが捧げられその結果、今の土地が与えられました。お金の面でも、必要を満たされたのです。教会堂の建築も間を空けずに始まり、主を礼拝することを第一にする会堂が出来たのです。隣地購入もその時を与えられ、必要なものを全て用意していただきました。まだ売り出される前から、「隣地が必要ですから与えてください。」という祈りがあったことを忘れてはならないと思います。

◆今年は、JOYの伝道開始20年目の年です。まず自らを主に「主がお入り用なのです。」と差し出すことが求められています。そうすることで、主のご計画を知ることができ、主が祝してくださり、用いてくださるのです。

「もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」マタイ21:3

伊東昌彦

◆イスラエル人に対し、苦役を課し、生まれてくる子どもを殺害することを命じたエジプトにおいて、イスラエルの民は増え広がっていました。そのような中、モーセが生まれ、彼はエジプトのファラオの娘の子どもとして、育てられていったのです。モーセは同胞の苦役を目の当たりにし、エジプト人を殺害しました。彼は恐れ、ミデヤンの地へと逃げていったのです。ミデヤンの地で、モーセは結婚をし、子どもが与えられていました。モーセは40年間、ミデヤンの地で生活をしていたのです。

◆一方エジプトでは、イスラエル人に対する苦役が続いていました。エジプトの王が変わっても苦役からの解放はなく、重い苦役に苦しんでいたのです。イスラエル人は、異邦の神ではなく、アブラハム・イサク・ヤコブとの契約をした神に助けを求めたのです。神は、イスラエルの民のうめきを聞きました。そして、アブラハムたちと結んだ契約を思い起こし、イスラエルの人々を顧みられたのです。その後、モーセを選び出しました。

◆苦しみの時、私たちは神様の「沈黙」に失望することがあります。こんなに叫んでいるのに、こんなに願っているのに、神様は答えを出してくれない。このような経験があるでしょう。しかし、神様は答えを出してくれないのでも、聞いていないのでもなく、私たちの叫びを聞いてくださる方であると聖書は言っています。すぐに解決できる答えが与えられない時もあります。しかし、神様は私たちの願った通りではない別の方法を用いて、答えられることもあるでしょう。イスラエルの民にとって、確かに長い苦役でした。しかし、その苦役から脱出をさせてくれるリーダーを与えてくださったのです。神様は「聞いておられる」のです。そして、神様のタイミングで答えてくださるのです。

坂西恵悟

今週の一面 『祝福の前の苦しみ』 5/5  

管理人

◆ヤコブの一族はエジプトに移住し生活を続けました。ヤコブの息子、孫の数は70人でした。その後、イスラエルの人々は子を産み、増え広がっていきました。ヨセフの時代を知らない王が誕生した時、イスラエル人の増え広がりを危惧したのです。そして、イスラエル人に対し重労働を課したのです。しかし、重労働の中においても、イスラエル人はますます増え広がったのです。

◆イスラエル人に対しての苦しみは、重労働だけではありませんでした。エジプト王は、ヘブライ人の助産婦、シフラとプアに出産時に男の子だった場合殺すように命じたのです。しかし、彼女たちはエジプト王に従うことはありませんでした。彼女たちがおそれたのは、エジプト王ではなく、神様をおそれていたのです。この助産婦の信仰を私たちも見習いたいのです。私たちは様々なものに対して恐れを覚えます。将来だったり、世の中の権力などです。ただ私たちは、上に立つ権威には従うべき(ローマ13:1)ですが、その要求や命令が神様からの教えに逆らうものならば、私たちは人間よりも、神様をおそれなくてはなりません。(使徒5:29)助産婦たちは神様をおそれました。その結果、彼女たちは神様から祝福され、彼女たちも子宝に恵まれたのです。

◆ファラオの願った通りにならない中、ファラオは新しく命令を出しました。生まれた男の子をナイル川に投げ込むよう命じたのです。分娩時に殺すことができないならば、生まれてから殺すことを命じたのです。このことを通して、イスラエルの民は神様の御業を体験する前に、苦しみを体験することになりました。私たちは、受ける恵みが大きいほど、受ける苦しみも大きいことがあります。しかし、神様は、苦しみの後に、その苦しみをも上回る祝福を備えてくださっているのです。(Ⅰペテロ5:10)

坂西恵悟

◆ヤコブの一族がエジプトに来て、ゴシェンの地に住むことがゆるされました。その間も、ヨセフはエジプトの責任者としての勤めを全うしました。ヤコブは父イサク、祖父アブラハムと同じ墓に入れるよう伝え、息を引き取りました。ヨセフはヤコブの遺言通りに行いました。

◆ヤコブの死後、ヨセフの兄達はヨセフの仕返しを恐れていました。父ヤコブのいない今、昔ヨセフにしたことの仕返しをされるかもしれないと思っていたのです。そして、ヨセフに人を送り赦しを請うたのです。その兄たちに対し、ヨセフは言いました。

「恐ることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」(創世記50:19-21)

◆ヨセフは兄達を赦しました。ヨセフは罪を赦すことは人ではなく、神が行うことであることを信じていたからです。それだけでなく、兄たちの悪い計らいも、神様が良いことのための計らいとしたことを信じていたのです。そして、最後に、兄達に対する愛を明らかにしました。

◆人間関係の中において、嫌なことを体験することがあります。その中で私たちは赦すことの難しさ、仕返しをしたくなる思いが生まれてくるでしょう。けれども、神様が望んでおられることは、隣人を愛するということです。ヨセフは、兄達を赦し、愛しました。もちろん、すぐにできなかったかもしれません。しかし、すべてが神様の御手の中にあるという確信が、彼に赦しと愛を与えたのです。

坂西恵悟
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