◆「召命」という言葉は牧師や伝道師などの「献身者」によく使われる言葉です。聖書を見ても、神様から召命を受けている人は、「選ばれた人」です。「召命」は「選ばれた人」だけなのでしょうか。そうではないと思います。クリスチャン全員が主から「召命」された人々だと思います。だからこそ、一人一人が主の証人として生きることが必要になってきます。私たちが用いられる場所があり、そこに主が遣わしてくださるのです。
◆モーセは神様から直接召命を受けた人物です。しかも、彼が召命を受けた時は80歳でした。普通では考えられない年齢でも、不安要素が多い状況でも神様は用いようとしてくださる。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。」(出エジプト3:9)と神様がモーセに語ったように、私たちも神様から遣わされている者なのです。
◆モーセは神様からの召命に対して、二つ返事で返答しませんでした。様々な不安要因を挙げていました。私たちも遣わされようとしている時、何か言い訳を考えてしまうことはないでしょうか。自分の置かれている状況を考えたり、必要がそろっていないことを考えてしまったりすることがあると思うのです。それでも、準備が不完全だったとしても、主は私たちを用いようとしてくださっているのです。
◆私たちが置かれている場に主は私たちを遣わしてくださっているのです。そして、そこに主が共にいてくださり、私たちを支え、必要を満たし励ましてくださるのです。主の召命に対して、私たちは「はい」と「私を遣わしてください」と答えることができればなんと幸いなことでしょうか。
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」(出エジプト3:12)
坂西恵悟