◆監獄に入れられたヨセフは、王の料理長と給仕長と共にいました。ヨセフがこの二人の夢を解き明かし、彼らは監獄から解放されました。2年経ち、ファラオの夢の解き明かしのため、監獄から出たヨセフは、ファラオの夢を解き明かしたのです。ただ、解き明かしただけでなく、具体的な提案もファラオにしたのです。
◆この夢の解き明かしの結果、ヨセフは宮廷の責任者に任命されるだけでなく、国のナンバー2としての地位が与えられたのです。彼がこの地位に就くことができたのは、彼がただ単に「聡明で知恵のある者」だったわけではなく、「神の霊が宿っている人」と言われるように、「主が共におられ」「主がうまく計らわれた」からなのです。異教の国であるはずのエジプトにおいて、ファラオはヨセフの信じる神を認めました。それは、ヨセフが夢のことは神が告げたいことだと伝えたからです。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」(創世記41:16)ファラオはヨセフを認め、地位とエジプト人として生きることができるように名前を与えたのです。
◆ここまでのヨセフの物語は、ただ神様が共にいて祝福してくださるだけの話ではなく、神を信じる者の生き方も学ぶことができます。ヨセフは、自分の身に起きたこと、ファラオの夢の内容もすべて神様からのものとして考え、信じました。そして、そのことを曲げることなく、誇張することなく、正直に伝えました。ヨセフが神様に対し、誠実で忠実であることを表しています。私たちも神様に対し、誠実に忠実であることが大切なのです。それを伝えることにより、一人の証人として用いられていくでしょう。
「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:16)
坂西恵悟
◆エジプトの侍従長ポティファルのもとへ売られたヨセフでしたが、神様の守りと取り計らいにより、ポティファルの家の財産を任されました。また財産を任されただけでなく、神様はヨセフのゆえにポティファルの家を祝福してくださいました。そんなヨセフにポティファルの妻による誘惑がありました。ヨセフはポティファルに対しても神様に対しても罪を犯すことをしませんでした。(創世記39:8,9)しかし、ヨセフは濡れ衣を着せられ監獄に入れられてしまったのです。(創世記39:19,20)
◆監獄に入れられたヨセフでしたが、神様はヨセフを見捨てることはありませんでした。ポティファルの時と同様に、神様はヨセフと共におられ、恵みを施し、ヨセフの行うことすべてを主がうまく計らわれたのでした。(創世記39:21-23)
◆私たちの歩みの中に、神様が関わってくださった体験を何度したでしょうか。神様の関わりや祝福は1度きりではなかったと思うのです。ヨセフの人生は、私たちが主が共にいてくださる恵みを知ることのできるモデルです。彼のような人生ではないかもしれない。けれども、私たちそれぞれに試練があり、誘惑がある。どん底の時でも主が共にいてくださるということをどれだけ信じることができるのでしょうか。ヨセフと共におられた主は、私たちと共におられる主です。その主が、ヨセフに恵みを施されたように、私たちにも恵みを施してくださる。これは、変わらないことです。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったを何一つ忘れるな。」(詩編103:2 新改訳)
◆神様は聖書の時代と変わらずに私たちに恵みを施してくださいます。その恵みを私たちは忘れることなく、感謝して受け取って行きましょう。
坂西恵悟