◆神様から語られた言葉をイスラエルの民に全て語ったモーセ。そのすべてを語った後、最後の言葉を語りました。律法を守ること。子どもたちに命じること。そして、この言葉はむなしい言葉ではなく、命であること。民に対して語る最後のこの言葉は、私たちにとっても大切なものです。

◆クリスチャンとして生きていく中で、聖書の言葉は私たちの血であり肉です。土台です。様々な表現ができますが、御言葉がなくてはクリスチャンとして生きていくことはできません。なぜなら、御言葉が私たちを成長させていくからです。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119:105)

◆御言葉によって、私たちの行く道を示され、御言葉によって養われていく。御言葉によって、イエス様と出会い、罪を突きつけられ、悔い改める。救いの喜びと確信が与えられる。

◆世の中の価値観は時代と共に変化します。しかし、神様の言葉は永遠に変わることのない真実です。この御言葉を命の言葉として受け取っているでしょうか。モーセはイスラエルの民に、御言葉によって約束された土地で長く生きることができると語りました。私たちの最終的な目的地は天の御国です。御国を待ち望みつつ、この地での歩みを進めていくために、私たちは命の言葉を受け取り続けていきましょう。
「あなたの御言葉が見いだされたとき わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって 呼ばれている者です。」(エレミヤ15:16)

坂西恵悟

◆ヨシュアを新しいリーダーとして立てた、モーセとイスラエル。神様はモーセに対し、最後の言葉を伝えました。ヨシュアと共に臨在の幕屋に行き、ヨシュアに任務を授けられたのです。(14節)その臨在の幕屋で神様はモーセに対して語られました。そして、そのことは32章のモーセの歌として残されていったのです。臨在の幕屋でモーセに語られた言葉は、神様の赦しと愛が表されている言葉でした。

◆モーセが間も無く死に、イスラエルの民が約束の地へと入った後、彼らは神様との約束を破ってしまうこと。(16節)その行動により、神様が怒り、民に多くの災いや苦難が襲い掛かること。(17節)「この歌」をイスラエルの民に対しての証言として与えること(19節)を語られました。

◆神様は、イスラエルの民が約束の地に入ったあと、どのように行動するのかをご存知でした。彼らが神様に対して不義を行うことを。それでも、神様はイスラエルの民を完全に見放すことはなさいませんでした。そこに神様の愛が表れています。確かに、イスラエルの民は、災いと苦難を経験します。しかし、都度彼らは神様のもとへと戻ることのできる道が用意されているのです。悔い改めて、神様の前に義とされるように道を備えてくださっています。

◆失敗するとわかっていることをさせる人は基本的にいないでしょう。失敗するとわかっているのであれば、事前に声をかけ、アドバイスをすると思います。神様も「歌」を通して、イスラエルの民に教えてくださいました。それでも、彼らは不義を行ってしまった。そこに私たちの本質的な罪があるのです。ですから、神様の言葉を謙虚に受け取り従うことが大切です。神様の赦しは変わりません。私たちが神様の前に誠実であることが大切なのです。

坂西恵悟

今週の風景 No.580  

管理人
礼拝の中で成人祝福式がありました。
JOYチャペルの伝道開始年に誕生しJOYチャペルと一緒に成長したた4人の女性(お一人は欠席でした)の振袖姿にとても和やかな雰囲気となりました。

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◆モーセは最後に自らの後継者について民に語りました。モーセ自身が120歳であり、務めを果たすことができないこと、神様から約束の地に入ることができないと言われたこと、ヨシュアを新しいリーダーとして立てることをイスラエルの民に語りました。

◆リーダーが変わることは、そのグループに大きな影響を与えます。前任のリーダーの期間が長ければ長いほどその影響は大きくなっていくでしょう。私たちの生活には比較することが根付いています。モノとモノ、人と人などを比較します。それは今の私たちだけでなく、昔も同じだったでしょう。カインとアベルの間にもその比較があったからこそ、あの事件が起きてしまったのです。リーダーが変わるということはその比較が必ず行われます。ヨシュアにとって、とてつもないプレッシャーだったと思いますし、イスラエルの民の中に不安もあったことでしょう。けれどもモーセが語ったことは違っていました。イスラエルの民に対しても、ヨシュアに対しても同じことを語りました。
「強く、また雄々しくあれ。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」

◆モーセは、真のリーダーは人間ではなく神様であると語りました。「神様が共におられ、神様が導かれる。だから強く、雄々しくありなさい。恐れることもおののくこともない。」とモーセは語ったのです。この姿は、神様に対し、全幅の信頼を持って歩む信仰者の姿を見ることができます。

◆私たちの人生にも様々な変化があります。道半ば、志半ばで諦めなくてはならないこと、これから大きな一歩を踏み出そうとすることなど様々です。その歩みの中で、私たちと共にいてくださる主を信頼していくものでありたいのです。

坂西恵悟

◆新年明けましておめでとうございます。新しい1年、お一人お一人の上に主の祝福と守りが豊かにあるようお祈りいたします。新しい年を迎え、1年の歩みをスタートしている私たちですが、主の導きに感謝し、主に期待する1年にしていきましょう。

◆モーセは、申命記で何度も主の掟と法、戒めを守るように命じました。その内容は多岐に及んでいますが、その中でも大切にしていたことは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5)でした。このことはイエス様も大切にされています。

1. 主が私たちの必要を備えてくださる。(申命記11:8b-11)
 神様はイスラエルの民に備えられた土地は、「天から降る雨で潤されている。」と約束してくださいました。私たちの歩みの中での必要も、主が確かに備えられています。その中で大切なことは、その恵みを受け取る準備も必要になると言うことです。雨が降れば作物が育つのではなく、土地を耕し、種を蒔くなどの働きが必要になります。そこに雨によって作物が育っていく。
私たちの働きも必要になってきます。その働きのための必要も主は備えてくださるのです。

2. 主はわたしに御心をかけてくださる。(申命記11:12)
 神様はイスラエルの民を約束の地へ導かれるだけでなく、その後も御心にかけ、目を注いでくださる約束をしてくださいました。イスラエルの苦役の叫びを聞き、御心に留められた主が、一人の少女であったマリアに目を留めてくださった主が、『わたし』に御心にかけ、目を留めてくださっているのです。

3.全身全霊で主を愛する。
 私たちの必要を備えてくださり、御心にかけてくださる神様に対して、私たちがすべきことは、全身全霊で神様を愛することです。モーセが何度も語り、イエス様も大切にされたこと。このことを私たちも行っていくものでありたいのです。

坂西恵悟

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