◆110歳でその生涯を終えたヨシュア。彼が、イスラエルの民に最後に伝えたこと、語ったことは、主である神がイスラエルに何をしてくださったのか(23:14)、イスラエルは主に対して何をすべきなのか、主はイスラエルに何を警告しているのか、主の命令を破るとどうなるのかを23章で語りました。この24章では、主をおそれ、誠実と真実をもって主に仕えるようにと語ったのです。また、この24章は民との対話になっています。ヨシュアの問いかけに対し、民が応答する。この民の応答は、私たちの応答のモデルです。イスラエルの民のように、私たちも応答していくことが大切です。

◆ヨシュアは、イスラエルの民に真の神に仕えるのか、他の神々に仕えるのかをはっきり選ぶように勧めました。どっちつかずではありません。その問いかけに対し、イスラエルの民は、はっきりと真の神に仕えることを告白したのです。
民はヨシュアに答えた。『わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。』」(24:24)

◆民は主に仕えること(24:24)、主を礼拝すること(24:21)を選びました。主への信仰をはっきりと告白したのです。

◆私たちは、どうでしょうか。はっきりと選び取っているでしょうか。どっちつかずになっていないでしょうか。イスラエルの民が体験した主の御業は、大きな恵みでした。その主が、同じように私たちに御業をなしてくださるのです。その御業は、イエス様の贖いです。私たちは、この主に仕え、その声に聞き従うものでありましょう。

坂西恵悟

◆「聖書の登場人物で誰が一番好きですか?」という質問に対して,私は毎度悩みます。それは、自分の名前がまず浮かんでしまうからです。少しマイナーな人を挙げようとしてもやはり、授かった名前からは逃げられないようです。         

◆しかし、いまでも聖書に書かれている彼の歩みから学ばされます。モーセの生きている時代、ヨシュアはアマレク人との戦いや、カナン偵察などに登場しています。後にモーセの後任者としてエリコを打ち―約束の地カナンへイスラエルの民を導きます。

◆彼の好きなところは、彼は一貫して主の前に忠実な戦士であったことです。初めてヨシュアを知ったのは、エリコ侵略(聖書アニメ)ですが、ヨシュアはヒーローでスーパーマンだと思っていました。確かに素晴らしい戦士ですが、ヨシュアは民の指導者である以前に、主のしもべであったということを後に知りました。主のしもべであったこと、また主の約束(カナンの地)があること。それ故に○○の中でも固く主を信頼し続け、ヒーローのような素晴らしい御業を体験できたのだと思います。     

◆ヨシュアと比べると、私は不安に弱いです。勉学や、これから始まる仕事、コロナ禍など、気づけば目先の不安に捕らわれ、自分の主が神様でなくなってしまうときがしばしばです。また、気づけば問題も問題とすら認識せずに大切なことを忘れてしまうときもあります。しかし、次のような御言葉に助けられたいと思います。

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 (ヨハネ16:33)
強く、また雄々しくあれ。...わたしはいつもあなたと共にいる。(申命記 31:23)

そして、ヨシュア記の最後に書かれている言葉にも応答するものでありたいと思います。
あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。(ヨシュア記 24:22)

澤田芳矢

◆ヨシュア記の23章、24章は、ヨシュアの告別説教と言われている箇所です。創世記のヤコブの言葉、申命記のモーセの言葉、主からの祝福が中心に語られていました。年齢を重ねて、年老いていく中で、後世に何を伝えていくのかということは、多くの方が考えることでしょう。遺言という形で残されたりもします。ヨシュアは自身の人生の終わりに際し、イスラエルの民に別れの言葉をかけたのです。

◆ヨシュアは、イスラエルの民に対し、神がイスラエルに何をなさったかを語りました。その中で、「あなたたちの神、主があなたたちに約束されたすべての良いことは、何一つたがうことはなかった。何一つたがうことなく、すべてあなたたちに実現した。」(23:14)と語った通り、主の約束されたことは全てがイスラエルの民に実現しました。具体的に主がなさったことは、イスラエルの先頭に立って、戦われたこと。(23:3)主が共にいてくださったので、約束の地を嗣業の地として与えられました。(23:4)

◆主の約束が何一つたがうことなく実現したのは、イスラエルの民が主に従い、悔い改め、主を愛していたからです。モーセもヨシュアも、主の教えを守ることを何度も伝えました。それと同時に、主を愛することも伝えていたことでしょう。

◆主は真実な方です。約束してくださったことを守ってくださる方です。その主に私たちも信頼していくものでありたいのです。自身のあゆみを振り返る中に、確かに主が導いてくださったということを確信を持って歩んでいきましょう。

だから、あなたたちも心を込めて、あなたたちの神、主を愛しなさい。(23:11)

坂西恵悟

◆いよいよ、イスラエルの各部族に土地の割り当てが始まります。13章から始まる割り当ては、くじによって決められました。部族の大きさによって土地のサイズも変わっていました。主がモーセに命じられたとおり、それぞれの部族が土地を割り当てられていったのです。(13章~21章)

◆このような中、カレブはヨシュアの元へ行き要求をしました。カレブは、モーセの時代カナンの地へ偵察にいったメンバーの一人でした。カレブは、カナンの地を偵察し、「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」とモーセに進言したのです。(民数記13:30~33) 他の偵察に行った人々は、カナンへ上ることを勧めなかったのに対して、カレブは確信を持って進言したのです。そして、ヨシュアと共に、イスラエルの民に約束の地へ行くことを訴えたのです。(民数記14:5~10)この偵察の時、カレブは40歳でした。そして、40年の荒野での旅を終えて、カナンの地に入り、85歳の年を重ねていました。そして、土地の割り当てについて、主が約束してくださった地を与えてくださるようにヨシュアに訴えたのです。

◆85歳になる老人カレブの訴えには、偵察にいった40歳の時と変わらない信仰がありました。「主が共にいてくださる」という信仰です。偵察の時には、「彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」(民数記14:9)と語り、「主がわたしと共にいてくださるなら、約束どおり、彼らを追い払えます。」(ヨシュア14:12)と語りました。彼の体は間違いなく、衰えていたことでしょう。しかし、カレブの信仰は年を重ねるにつれて、堅くなっていたのです。自分が土地を得るのではなく、主が与えてくださる。主が共にいてくださるからこそ、主の約束が果たされ、主が御業をなしてくださるという信仰に立っていたのです。

坂西恵悟

◆13章からヨシュア記は後半部分に入っていきます。この後半には、12部族への嗣業の土地の配分、ヨシュアの最期が記されています。この割り当てはヨシュアに与えられたもう一つの大きな使命です。約束の地へと入ったイスラエルの民が諸国との戦いを経て、その地に住む。モーセのもとでエジプトの奴隷から解放されたイスラエルの民が約束の地に住むことは、神様による救いと平安、安息の中に入れられることです。イエスキリストによって与えられた、救いと平安のモデルとしても見ることができるでしょう。

◆ヨシュアは年を重ねて、老人になりました。おそらく90歳を超えていたと思われます。そのような中でも、彼は主に信頼し、主の言葉に従いました。このヨシュアに神様は、これからの使命をより具体的に語ってくださったのです。(13:1)そして、これまでと同じように主は約束してくださったのです。
わたしは、イスラエルの人々のために、彼らすべてを追い払う。あなたはただ、わたしの命じた通り、それをイスラエルの嗣業の土地として分けなさい。」(13:6)

◆神様のご命令は、一貫していました。「わたしの命じた通り行え」これは変わることのない言葉です。神に命じられた通りに行ったことはすべてその通りになりました。神様はヨシュアに対して、なすべきことを、神の言葉に従った先のことをいつも示してくださったのです。

◆私たちも主の言葉に従うものでありましょう。その言葉を信じることができなかったのであれば、私たちは何を基準に生きるのでしょうか。常識や当たり前が変わっていく世の中に私たちの基準を置くのではなく、変わることのない御言葉に基準をおいていきましょう。

坂西恵悟

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