◆ルツ記は、「士師が世を収めていたころ」(ルツ1:1)とあるように、士師記の時代の物語です。これまで見てきたように、士師記の時代は不信仰と無秩序な時代でした。その士師記と同じ時代とは思えないほどに、登場する人物たちは善意や配慮がありました。ナオミ、ルツ、ボアズの三人の姿はとても純粋で、相手を思いやり、不信仰、無秩序の時代の中にあっても信仰を持ち続けていたのです。たった4章の短い書ですが、士師記とのはっきりとしたコントラストを見ることができます。一つの家庭にある確かな主の祝福を見ることができるのです。彼らの誠実さ、忠実さは現代を生きる私たちも見習う模範となります。

◆飢饉が国を襲い、1つの家族はベツレヘムを出てモアブへと移り住みました。エリメレク、妻のナオミ、その息子マフロン、キルヨンです。ルツ記全体を通してみるナオミの姿から、エリメレクの一家は主に誠実であったことでしょう。そんな家族に悲劇が襲います。エリメレクの死、その後10年過ごしたモアブの地でマフロン、キルヨンの二人の息子も死んでしまったのです。ナオミは住み慣れたモアブを去って故郷に戻る決断をしました。けれども、彼女は決して一人ではなかったのです。オルパ、ルツの存在はナオミにとって大きな慰めだったことでしょう。またナオミが故郷に戻る決断を押し出したのは「主がその民を顧み、食べ物をお与えになった」という主の取り計らいでした。

◆私たちが悲しみのどん底にいる時、何もないように思えてしまいます。けれども神様は「その民を顧み」てくださったように、ナオミたちを顧み、私たちをも顧みてくださっているのです。主はいつまでもご自分の愛する者たちを悪い状況に置くのではなく、その先の希望を祝福を示してくださるのです。このことをルツ記を通して御言葉に聞いていきましょう。

坂西恵悟

◆神の前に罪を犯し、その地の民族に征服され、悔い改めた民に指導者としての士師をお遣わしになる。その士師によって平穏が与えられる。士師記は、この流れを何度も繰り返しました。これは、モーセ、ヨシュアを通して語られた神の律法を守らなかったゆえに起きた出来事です。士師たちが、いなくなった後のイスラエルは、堕落していました。神を忘れたイスラエルの姿は、非常に醜いものでした。イスラエルが自滅するほどに堕落したのは、彼らを愛してくださった神から離れた結果です。つまり、神から離れる時、私たちに待っているものは堕落になるのです。

◆士師記の終わりは「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」で終えられています。まさに、この時代を象徴する言葉です。イスラエルを統率し、主のみこころを示す指導者もいない。それぞれが、自分の目で見て、考えて正しいと思うことを行った結果、士師記に見られる偶像礼拝、道徳的堕落、混乱が起こされて行ったのです。このような混乱の中で、12人の士師たちがイスラエルを救い、統治しました。それでも、イスラエルは堕落を繰り返していったのです。

◆私たちが生きているこの時代も、形は違えど、混乱や無秩序、堕落が起こっています。イスラエルに士師たちが現れ、神様の言葉を伝えたように、今の私たちには聖書によって神様の言葉を受け取ることができます。真っ暗な状況の中、一人の王様を立てられたイスラエルのように。光となって来られたイエス様が、私たちを治めてくださっているのです。御言葉と祈りによって、今の時代を私たちは主と共に生きていきたいのです。

坂西恵悟

◆サムソンの物語は、いよいよクライマックスを迎えます。デリラを愛し、彼女のもとに入ったのです。サムソンを捕らえるためにガザの人々は待ち伏せをしますが、サムソンは町の門の扉と両脇の門中を引き抜き、それを抱えヘブロンに面する山頂へと登っていったのです。この行動は、当時の戦いに勝利した軍が敵の門の扉を運び去るという習慣にならったのです。ちなみに、ガザからヘブロンまでは約60km、標高差は約900mです。

◆デリラは、サムソンの弱点を探りました。ペリシテの領主たちから銀をもらう約束をし、サムソンに力の秘密を聞いたのです。けれども、サムソンは正直には話しませんでした。どうしても秘密を知りたいデリラは、サムソンに懇願しました。サムソンは、デリラの懇願に耐えきれず、力の秘密を明かしてしまったのです。デリラは、サムソンの言う通りに行いました。サムソンの髪の毛を剃り落とし、ペリシテ人に渡したのです。サムソンは、両目をえぐられ、青銅の足かせをつけられ牢に入れられました。婦人の労働である臼を引く仕事をさせられたのです。屈辱だったことでしょう。

◆サムソンが、なぜそのようになったのか。それは、サムソンから力が取り去られたことによります。神に反抗し、罪の道を歩み続けるなら、そこに神の力が取り去れることがあることを、私たちは知らなくてはなりません。けれども、主なる神はそのような罪人に対し、回復の道をも備えてくださいました。サムソンの髪は伸び、ペリシテ人を打ったのです。

◆私たちも罪の中に陥ることがあります。その罪を悔い改めるなら、主は私たちを神のかたちとして回復させてくださるのです。ですから、私たちの歩みが主のご計画のうちにあることを信じ、悔い改めて、主の道を歩ませていただきましょう。

坂西恵悟

今週の一面『思い込み』 9/27  

Shin1

◆3月にスポーツ自転車を購入しました。バランスを取るのが難しいです。特に立ち漕ぎをする時、左に寄っていってしまいます。「利き腕の右が勝っちゃうんだな・・」と思ってました。

◆先日「左右の筋肉の量を測ってくれる」サービスがあるとのこと。測ってもらうと、なんと左の方が強い!「本当?」と思いましたが、思い当たる節があります。高校時代野球をしていましたが、後半、右肩が痛くて、野球をしている時以外は右肩に力を入れないようにしていたんです。それ以降、実に30年間それを続けてきた結果、左右のバランスが逆転していたのです。自転車で左に寄っていってしまうのは、単純に左の方が強くなっていたからでした。

◆なるほどそうだと分かったら、右を鍛え直せばいいとも思いましたが、あまり力が入らない。専門的には、おそらく遊離軟骨がうんぬんって話で。神様は私に「宏、そういうことだよ。今までの思い込みを捨てなさい。洗礼受けただろ(もう17年も前だけど)。それ以前とは違う生き方をしなさい。」と言われている気がしました。

◆2020年、コロナウイルスが流行して外出自粛やイベントの延期・中止、残念なことが多い反面、神様はこのことを通じて、私たちが思い込みを超えて、様々な体験や気づきを与え、眠っている計画・才能が目覚めるように促してくれる方なんだと思います。時差出勤、在宅勤務、離れた場所からでも・移動時間がなくても参加できる礼拝や祈り会、今までメリットがあると思いつつ、推進されて来なかったことが動き出しました。取税人のマタイが救われた後、イエス様を同族に紹介する祝宴を開いたように、私自身も教会もそれまでは躊躇していた新たな道を祈り、確信し、実行、前進していきたいです。

高橋 宏

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