今週の一面「礼拝の朝」11/22  

Shin1

◆その日は、電車にも乗らず、駅から歩くこともなく、カーテンで仕切られた2畳ほどの空間が、主の日の礼拝の場となりました。入院中のベッド上に、JOYの礼拝のライブ配信が届く恵み。新型コロナ禍の中、半年前には考えもしなかった形で、礼拝を捧げられたことにただただ感謝しました。

◆心の中で賛美の声を合わせた後、読み上げられた聖書箇所にドキリとしました。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る天地を造られた主のもとから。」(詩編121:1-2)

◆この箇所は、5年前天に召されたY姉の愛唱聖句です。突然の入院生活の中、ずっとY姉の闘病中のこと、その時姉妹の上に起こった主の御業を思い起こしていたのです。

◆どんな時も、どこにいても、どんな状況であったとしても、いつも主が共にいてくださる、今与えられている痛みも不安も、共に担ってくださる。しかも、その時々にふさわしい課題や試練を与えられると実感した礼拝の朝でした。
「私は、神が人の子らに労苦させるよう与えた務めを見た。神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。」(コヘレトの言葉 3:10-11 聖書協会共同訳)

◆アドベントを迎えようとしている今、コロナ禍の2020年を一緒に歩き続けた教会のみなさま、家族、友人、地域の方々、海の向こうのみなさまと、救い主イエスのご降誕を祝う時を待ちつつ、祈りを合わせたいと願います。

「主をたたえよ 日々、私たちを担い、救われる神を。」(詩編 68:20)

西原 寿美子

◆ボアズの畑で落ち穂拾いをしたルツは、夕暮れ時まで拾い続けました。彼女が拾った大麦は、1エファ(約23ℓ)にも及びました。落ち穂を拾って集めた量としては考えられないくらいの多さです。このことからも、ボアズとその家の人たちの好意がどれほどのものだったかがわかります。ルツは、それを持ってナオミの元へ帰りました。ナオミは、ルツの持って帰ってきた大麦の量に驚いたのです。ルツからボアズの畑で落ち穂拾いをしたことを聞くと、主の祝福を祈ったのです。ナオミは、ルツにボアズが縁続きの人で、彼女達の家を絶やさないようにする責任のある人であることを告げます。ルツに目をかけたボアズによって、彼女たちには、喜びと希望が与えられたのです。

◆神様の視線は、いつもわたしたちに目をかけてくださっています。私たちの実際の生活の中では、このルツのように上手くいくとは限りません。ナオミが経験したように、飢饉や愛する人たちとの死別という現実も起こり得ます。生きる手段、希望を失うこともあります。そのような場合であったとしても、主は、私たちを目にかけてくださるのです。"たまたま"という偶然の中にも、確かな神様の導きがあります。その時々に与えられる恵みを私たちが受け取り続ける、拾い続けることにより、神様の豊かな祝福を受け取ることができるのです。

◆聖書を通して約束されている主の恵みによりたのみ、主の下に身を寄せ、主の下から離れようとしない者に、主の計り知れない恵みが注がれていくのです。私たちも主の下に身を寄せ、そこにとどまり続けていきましょう。

坂西恵悟

◆ナオミの故郷へと来たルツは、畑に落穂を拾いに出ていきました。彼女が、"たまたま"行った畑地はエリメレクの親戚であるボアズの畑地でした。

◆ボアズは、ベツレヘムからやってきて、畑で働く人たちを労い声をかけました。「主があなたたちと共におられますように」と。ボアズは、心から神様を求め、神様の言葉に生きていました。そのボアズをしもべたちは尊敬していたことでしょう。ボアズは、自分の畑にいる見慣れない一人の女性を見つけました。ルツのことを召使いから聞いたボアズは、ルツに対して、他の畑ではなくこの畑で他の女性たちについていくこと、若い者たちが組んだ水を飲んで良いことを話しました。ルツの働きを労り、異邦人であるがゆえの嫌がらせなどを受けないように取り計らったのです。

◆ルツは、顔を伏せ、地面に平伏しました。よそ者の自分に厚意を示されたことで恐縮したからでしょう。けれども、ボアズの応答は、ルツのこれまでの行動がただナオミに対しての感情だけでなく、イスラエルの神に対する信仰から出たものとして受け止め、主の御翼の下に身を避けようとしてやってきた彼女に主の報いを祈ったのです。

◆主の報いを祈ることを私たちも祈ります。私たちも、イエスキリストによって、主の御翼の下に避け所を見出したものです。主こそ、私たちの避け所です。ルツは、ボアズを通して主の報いをいただきました。主に身を避ける者だったからです。私たちも主に身を避ける者としてあゆみ、主の豊かな報いを感謝して受け取っていきましょう。

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。詩編46:2

坂西恵悟

◆ルツ記2章では、絵画でも有名な落ち穂拾いから始まります。「ナオミと呼ばず、マラ(苦い)と呼んでください」(1:20)と愛する夫、息子たちを失い、悲しみの中、故郷へと帰ってきたナオミ。そのナオミに従って異邦の地へと訪れたルツ。この二人に、主は道を備えてくださっていたのです。

◆ボアズはエリメレクの親戚であり、有力者でもありました。ルツが、たまたま行った畑は、このボアズの所有する畑でした。

◆ルツがナオミに「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」と言いました。(2:2)この言葉には、彼女らの置かれた現状が表されています。当時、落ち穂拾いは貧しい者や寄留者たちのためのものでした。(レビ記19:9,10) このことからも、彼女らは貧しく、ルツも異邦人だったので、この律法通りに行動をしたのです。主なる神様からの律法には、誰一人こぼれることなく、恵みを与えてくださるものであることがわかります。この背後には、主なる神様への信仰がありました。収穫は、神様が与えてくださった恵みだから、独占するのではなく、必要とする人々へも分かち合うことが必要なのだということです。ルツは、この律法をもとに誰かの畑で落ち穂拾いをさせてもらおうと行動したのです。

◆私たちは、神様のご計画を100%知ることはできないでしょう。私たちの目から見たときに「これもご計画なの?」と思ってしまう出来事も、あります。ルツは、家族を失い、異邦人の地へと引越し、そこで弱者の立場で生活をしていました。人間的に見ると、最悪と思える状況かもしれません。それでも、主は、彼女を見捨てられませんでした。彼女に将来と希望を与えてくださっていたのです。

坂西恵悟

◆愛する夫と息子たちを失ったナオミは、故国ユダに帰る決断をしました。主が民を顧み、食べ物を与えてくだっさったことを聞いたからです。そのナオミの決断に、二人の息子の嫁たちもついていく決断をしました。ナオミは、彼女たちに「自分の里に帰りなさい」と強く勧めたのです。それでも、一緒について行くと泣いて訴える二人。その思いは、ナオミにとって大きな励ましと慰めだったことでしょう。それでも、ナオミは彼女たちの将来を考え、彼女たちを自分の里に帰るように強く語ったのです。(1:11-13)ナオミは、自分の置かれた状況に関して「主の御手がわたしに下された」と語り、信仰をもってこのことを受け入れました。

◆オルパは、別れを告げ、ナオミの下を離れました。しかし、ルツは別れず、ナオミに続いて行ったのです。この二人の大きな違いは何でしょうか。「自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている」オルパに対して、ルツは「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」と告白し、不誠実な理由でナオミの下を離れるならば、「幾重にも罰してください」と誓ったのです。ルツは、ナオミの信じる主なる神様を信じたのです。そして、その主からの祝福を求めたのです。

◆このルツの決断は、大きな決断です。自分の民、自分の神を捨て、ナオミの神を自分の神とする。その決断の先には、主からの豊かな祝福を預かることとなるのです。(マタイ1:5)

◆この背後には、民を顧みられる主なる神様がおられます。その主を信じるナオミ、ルツには主の深い配慮と導きが表されていきます。神様は、依り頼む民の信仰を顧みられるお方なのです。ですから、私たちも彼女らのように信仰を公に告白し、主に依り頼む者でありたいのです。

坂西恵悟

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