今週の一面『 蒔かれた種 』1/31

Shin1

◆礼拝で「主われを愛す」が歌われた朝、U姉が語られたお話が心に残っています。
「小3の担任の先生は、白髪のおじいちゃん先生でした。先生がクラス礼拝で歌う讃美歌は、きまって『主われを愛す』でした。いつも目をつぶって歌う先生が『わが罪のため』の箇所になると涙を浮かべるのを不思議に思っていました」。
「先生は戦争中の軍隊での体験をよく話してくれました。きっと戦争でつらい経験を幾度もしてきたのだと思います。この讃美歌を歌うと先生の歌声を思い出します。先生がどんな思いで賛美していたのか、今なら思い描けます。先生がクリスチャンだったか、それさえも、わからないけれど、幼かった頃からずっとこの歌詞をずっと覚えていたのも、蒔かれた種のひとつだと感謝しています」。

◆クリスチャンの家庭で育ったわけではないU姉は、その後ウン十年経って、こどものつながりで知り合った友人を通して、聖書を手にとるようになり、バプテスマを受けられました。蒔かれた信仰の種が、時を経て芽を出したこの出来事に、主のご計画の深さ、広さ、大きさを思います。

◆教会にさまざまな形で招かれたこどもたちの顔が目に浮かびます。今は教会に来ていないけれど、やがていつの日か、神様が選ばれた時に、蒔かれた種が芽を出すことを信じて祈り続けます。かく言う私も幼い頃、隣家のおばちゃんに連れられて教会に行ったことがきっかけでした。その後、長いこと教会に行ったことがなかったにもかかわらず、大人になって神様の愛を知る者に造りかえられたひとりですから。
「昔 主イエスの蒔きたまいし いとも小さき生命の種
 芽生え育ちて地のはてまで  その枝を張る樹とはなりぬ」
(新生讃美歌389番)

◆会堂にこども達の声が響き、足音が聞こえる恵みを感謝します。主が備えてくださる希望の種を、共に手を携えて蒔き続ける喜びを主に捧げつつ。

西原寿美子

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