今週の一面『神に流されて生きる』4/25

Shin1

◆人生で決断を迫られる時が誰にでもあると思います。小さな決断から運命を決める大きな決断まで、ある意味では人生は決断の連続であるというふうにも言えると思います。

◆私の人生で最大の決断は、もちろん牧師になるということでした。この神の召しに、決断できず必死に祈りました。何か神から示されないか、聖書のあちこちを読みました。又、信頼する人に打ち明けました。できれば牧師ではなく、他の道で神様に仕えることを願いました。

◆決断する材料のひとつになる文章に出合いました。「すべての仕事は目についたところから、ちょぼちょぼやればいいのだ。そして未完で終わればいいのだ。神のごとき公平な決断とか、すべての仕事を完璧にやりおえて死ぬことなど、私たち人間にはできることではない。神によって流される生涯を生きればよいのだ」。

◆「神によって流される」ということは一見受身的ですが、「もし、神がお望みなのでしたら、仰せの通りになりますように」という積極的な決断、献身を迫る言葉でした。モーセは80才という高齢で神に召され、イスラエル民族の「主エジプト」という一大事業を遂行しました。それこそ、神によって流された人生、神に振り回された生涯でした。

◆私が献身の決断をしてから「神によって流される」40年間、常に神に知られ、神に配慮される歩みでありました。

石田政美

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