今週の一面「神様の選び」〜サムエル記上16:1-13〜 6/6

Shin1

◆16章から、いよいよダビデが登場します。サムエルは、サウルのことを嘆く日々を過ごしていました。主なる神様が、サウルをイスラエルの王としたことを後悔されていたからです。神様は、サウルに変わる新しい王を立ててくださいました。神様の命令によってサムエルはベツレヘムに行き、そこでエッサイの子ども達に会いに行きました。新しい王として油注がれるべき人物は、エッサイの子であったからです。

◆サムエルは、ベツレヘムで混乱が起きないよう、主にいけにえをささげるために来たと伝え、エッサイの子ども達にあったのです。サムエルは、エリアブに目を留めました。そして、確信を持ってエリアブが油注がれる者であると思ったのです。しかし、神様の答えはNOでした。主は、サムエルに「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」と語られたのです。エッサイは、サムエルの前に7人の息子たちを通らせました。しかし、7人とも違っていました。羊の番をしている末っ子のダビデが連れてこられた時、主なる神様は「立って彼に油を注ぎなさい。これがこの人だ。」と命じられたのです。

◆神様が選ばれたダビデも血色が良く、目は美しく、姿も立派な人物でした。このダビデの姿は「人間が見る」基準と同じように思えます。エッサイはダビデが幼いことから、サムエルの前に連れてくるということをしませんでした。なぜ、神様がダビデを選ばれたのかは、わかりません。しかし、心を見られる神様は、ダビデが適任であることをご存知だったのです。I.コリント1:26-28にあるように、神様は無に等しい者を選ばれたのです。「愛された者」という意味の名のダビデ。私たちは、この世の評価ではなく、神様に愛された者として評価されているのです。神様に愛された者、神様の恵みを受けた者であることを感謝していきましょう。

坂西恵悟

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