「主の名によって立ち向かう」サムエル記上17:41-54 6/20

Shin1

◆ゴリアテに恐れおののいているイスラエルの民のもとへ、一人の少年がきました。彼は、エッサイの息子のダビデです。ダビデは、戦いに出ている兄たちに食料を届けにきました。兵達と話をしているダビデを見たエリアブは快く思わず、ダビデを嗜めました。

◆サウルの前に出たダビデは臆することなく、サウルに対して戦うことを進言しましたが、サウルは目の前にいる少年にそれはできないと思い、まともに話を聞くことはしませんでした。しかし、ダビデは自分自身が主によって獅子や熊から守られたことを引き合いにだし、主がゴリアテからも守ってくださるという信仰を示したのです。

◆ゴリアテの前に出たダビデは石を一つとり、石投げでそれを放ち、ゴリアテを倒しました。そして、ゴリアテの首をはね、イスラエルは勝利したのです。
戦車を誇る者もあり、馬を誇る者があるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。彼らは力を失って倒れるが、我らは力に満ちて立ち上がる。(詩編20:8,9)

◆私たちは、目に見えるものを求めます。目に見える安心、安全、確証を求めます。ダビデは、目に見えない主を求め、信じました。この詩編の御言葉にあるように、私たちに必要なことは主の御名を唱えること、主を呼び求めることです。神様の助けには、強大な武力も、装備も必要されません。ただ、主の御業が働かれるだけなのです。若く、弱い存在だったダビデを主は豊かに用いてくださったように、私たちも主は用いてくださるのです。ですから、私たちは主に信頼するものでありましょう。

坂西恵悟

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