「妬みの罪」サムエル記上18:5-16 6/27

Shin1

◆ペリシテ人のゴリアテに勝利したダビデは、そのままサウルの元へ召し抱えられました。そこで、サウルの息子ヨナタンとの深い友情が生まれました。ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣し、勝利を収めていきました。戦いの勝利は、全ての兵士、サウルの家臣に喜ばれることでした。

◆しかし、このことをサウルだけは喜びませんでした。戦いから戻った兵達をイスラエルのあらゆる町から女性たちが出て喜びながらサウル王を迎えました。しかし、実際に迎えられていたのはダビデでした。「サウルは千を討ち ダビデは万を討った」という歌はサウルとダビデの武勲を称えるものでしたが、サウルはこれが自分自身に対してのものではなく、ダビデの良さが称えられる歌と受け取ったのです。サウルは、この時から、ダビデを妬みの目で見るようになり、ダビデを敵視するようになりました。

◆以前、礼拝メッセージの中で「sin」と「crime」について話したことがあります。まさにサウルの内には妬みという「sin」が起こり始めたのです。その「sin」は積み重なってダビデを殺そうとする行動へと発展させていきました。サタンは、人間のこのような罪に入り込んできます。サウルもそうでした。

◆妬みは、私たちを本来向ける方向から別の方向へと向けます。神様へ向くべきところをそれ以外のところに向けさせます。コヘレトでは「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた空しく、風を追うようなものだ。」(コヘレト4:4/新改訳)とあります。ですから、私たちは本来向くべき方向に目も心も向けていくことが大切なのです。

◆ダビデの勝利は、主からのものでした。主から目をそらしたサウルに待っていたのは、罪でした。私たちは、罪を犯してしまいます。その時に主に悔い改め、主を見上げて歩むものでありたいのです。

坂西恵悟

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