『 主から来る思いに捉えられる 』 〜サムエル記上25章〜 8/15

Shin1

◆日本に古くから「御恩と奉公」というものがあります。これは鎌倉時代からあるものです。この「御恩と奉公」の精神は、現代社会の中にも残っているかもしれません。時に恩を仇で返すということも起こります。

◆サムエルの死は、ダビデにとって霊的な指導者を失ってしまうことでした。これまで、事あるごとに頼っていた存在がいなくなることは大きな悲しみだけでなく、痛みでもあったことでしょう。そんな中、ナバルとの関係が悪化する出来事が起きます。

◆ナバルは、マオンという場所に住む裕福な人物でした。ナバルは彼の牧童の面倒を見ていたダビデに対し、まさに恩を仇で返す行動をしたのです。このことに怒りを覚えたダビデは、ナバルの家に属する男たちを打つことを決めたのです。このダビデの姿はサウルのような姿です。しかし、このダビデの怒りを鎮め、ダビデの失敗を止めた人物が現れます。アビガイルというナバルの妻です。彼女は、非常に聡明な人物でした。ナバルの行動が間違っていることを認め、とりなしたのです。アビガイルの行動がなければ、ダビデはサウル同様に復讐をしていたに違いありません。自己中心的に物事をとらえ、行動していたことでしょう。けれども、アビガイルによって、その行為は止められました。主がアビガイルを遣わしてくださったことを受け入れ、その言葉に従い、彼女らを祝福したのです。

◆神様は、私たちに必要な助け手を必ず備えてくださる方です。これまで助けてくださった方が様々な理由で去られたとしても、主は私たちを見捨てず、見放さず、必要な助け手を備えてくださるのです。自分の罪から出る思いに囚われるのではなく、主から出る思いに捉えられ、歩むものでありたいのです。

坂西恵悟

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