『変わらぬダビデの思い』 〜サムエル記上26章〜 8/22

Shin1

◆この26章を読み進めていくと、24章の内容に非常に似た内容となっていますが、別の出来事です。24章では、サウルが用を足すために入った洞窟の奥にダビデがおり、偶然にもサウルの命を自由にするチャンスが巡ってきたことが記されています。この26章では、ダビデがサウルの眠っているところへと乗り込み、サウルの命を自由にできるチャンスを作りだしたことが記されています。

◆ダビデは24章の時に従者から提案されたように、この26章でも似たような形で提案をされました。寝ているサウロの寝床へと忍び込み、そこで、サウルを打つことを提案されたのです。しかし、ダビデは24章のエン・ゲディでの時と同じように、主が油注がれた方に手をかけてはならないと言い、この申し出を退けました。「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。主が油注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない。今は、枕もとの槍と水差しを取って立ち去ろう」(26:11-12)と言い、槍と水差しだけ持ち帰りました。

◆ダビデがこの言葉において表したことは、主なる神様の計画に対する揺るぎない信仰です。主の御心を求め、素直に従う信仰です。ダビデは自分自身が神様のご用のための器であることを知っていました。神様の歴史のご支配、摂理に委ねて生きる信仰者の姿をダビデは表したのです。

坂西恵悟

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