◆私たちの人生は板挟みの状態を経験することが多くあります。家族、職場、友人関係の中にも起こります。聖書の時代も同様でした。この27章でダビデはまさに板挟みの状態に置かれるのです。
◆ダビデの人生を見ると順風満帆ではありません。このことは、ダビデだけでなく全ての人に当てはめることができます。良いことも悪いことも起こりました。それでも、このダビデの姿からみることができるのは、神様の慈しみと恵みを見ることができます。神様の働きに目を向けないのであれば、ダビデの人生は模倣すべきものではないでしょう。神様の恵みに目を向ける時、ダビデを通して私たちは神様からの励ましを受けるのです。
◆ダビデはペリシテの地へと逃れていきました。そのきっかけはサウルに対する恐れです。恐れを持つと人は正常な判断が難しくなります。サウルのことは神様の御手に委ねているはずでしたが、それでも恐れを覚えていたです。ダビデは自分の家族、兵士とその家族を引き連れ、アキシュのもとへと行き、ツィクラグに住みました。
◆ダビデはアキシュの信頼を得るために行動を起こしました。イスラエル人であるダビデがペリシテの地で住むために必要なことだったのです。ダビデは、ペリシテ領にある町の人々をうち、その町がイスラエル領のものであるように思わせました。アキシュはダビデの言葉を信用し、ダビデが忠実な部下であると思ったのです。
◆サウルを恐れてペリシテへと逃げたダビデ、そのペリシテで行った偽りの行動。このことを見ると、ダビデに幻滅してしまいます。それでも、その背後におられる主なる神様の確かな恵みがダビデに注がれたように、キリストの故に私たちもその恵みに預かることができるのです。
坂西恵悟