今週の一面『荒野の祝福(2)』9/3  

Shin1

◆この世での生活は、荒野にたとえることができます。嵐が絶えず、逆境と戦わなければいけない厳しい生活です。イスラエルの民も出エジプトの後、このような荒野を通らなければなりませんでした。しかし、神は荒野に驚くべき祝福の秘密を隠しておられました。

◆荒野での初めの祝福の奇跡は、飲む水がなかった時、神が苦い水を甘い水に変えてくださった出来事です。また、食物がなくなったとき、マナをくださり、イスラエルを荒野で祝福されました。

◆イスラエルの民は荒野で敵であるアマレク人に出会いました。民は戦いを避けられない状態でした。しかし、神はアマレクとの戦いに際して、とりなしの祈りの秘密(出エジプト17:8〜13)を教えて下さり、民を勝利へと導いてくださいました。

◆神が共におられる時はすべてが与えられ、勝利することができます。出エジプトのクライマックスは雲の柱と火の柱です。イスラエルの民は行く道を知らなかったとき、神が雲の柱と火の柱で彼らを導き、厳しい荒野での生活をすばらしい祝福の場へと変えられたのです。

◆こどもたちは、宝探しが大好きです。神は荒野にこの宝を隠しておられます。荒野はとても苦しく、辛い所ですが、宝物を見つけた人々には興奮する場であり、祝福の場所なのです。    (続く)

石田政美

今週の一面『荒野の祝福(1)』8/27  

Shin1

◆神様は、ご自分の愛する民に、「なぜ苦しみを与え、荒野の道を歩かせるのだろうか」、「荒野の生活は祝福だろうか」という疑問が常にあります。

◆荒野は人が住めない所であり、見捨てられた地です。しかし、聖書の答えは、「荒野の中におられるキリスト」に出会うためであると繰り返し語ります。それゆえ、荒野は苦しみと共に、栄光の主がおられるのです。

◆ノアの箱舟が、どうして恵みの場なのでしょうか。あの狭い箱舟の中、外を見ることもできず、一年間数多い動物達と箱舟の中に閉ざされているのです。しかし、箱舟は洪水の間は一番安全な所です。箱舟の特徴は、かいもなく、帆もないということだけではなく、舵もなく羅針盤もないのです。箱舟は風の吹くまま、水に流されるまま行くのです。

◆しかし、その箱舟の航海士が神様であられるなら、それよりもっと安全な所があるでしょうか。ソドムとゴモラは安全な場所ではありません。かえって、見捨てられた荒野がより安全な所であり、神様に出会う場所なのです。

◆荒野にはキリストがおられるのです。その方は苦い水を甘い水に変えて下さり、天からマナを雨のように降り注ぎ、岩から泉を湧き出させます。傷ついた心を癒し、罪ととがを赦して下さる幕屋となってくださいます。また、道を失った人生の火の柱、雲の柱となって下さいます。荒野は祝福の地であり、恵みの地なのです。(続く)

石田政美

◆以前イスラエルに行った時、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、今は聖書の地理や考古学を研究しているという一人のユダヤ人が説明してくれました。

◆「ここは、かつてダビデがサウル王から逃げまどって、つらい日々を隠れながら過ごした荒野です。実は、そこから『荒野』というヘブライ語は、『ことば』からきたと思われます」と。

◆水もなく、動物も植物も生きられない苛酷状況の荒野。けれども、この極限の状態でダビデは神にのみ信頼すべきことを、特に神の「みことば」にのみ信頼を置いて生きるべきことを学んでいったのではないか、とのことでした。

◆人に頼らず、神にのみ拠りすがり、そのおことばが必ず成就することを信じて疑わず、ひたすらに待つ。

◆この得がたい信仰の学びを習得するのに、荒野はダビデにとって最善の場所だったのでしょう。

「サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、
エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。」
(I.サムエル24:1/新改訳)
石田政美

◆「こどもへのまなざし」の著者であり、児童精神科医の佐々木正美先生が、先月天国へ召されました。私はこの神様の愛に根付いた子育てに感銘を受け、事あるごとに本を読み返し、「子育ては本当に大変な大仕事」と語る先生に何度も励まされてきました。

◆佐々木先生の本を読んでいると、どの本にも一貫して「ありのまま」を受け入れる、という聖書を土台とした考え方があるのに気がつきます。親自身がありのままの自分を受け入れることで、子どものことも全面的に受容できるようになるという考え方です。思うようにいかない子育て、、、その劣等感で押しつぶされそうになる親に、「完璧になろうと苦しまないで」と優しく語ってくださいます。

 「お父さんお母さん、あなたも自分を肯定していいのです。
  あなたはあなたのままでいい。
  十分頑張っているお父さんとお母さんです。」

◆人間は努力とは関係なく不完全です。神様が私の不完全なところに触れてくださる時、十字架の愛によって赦し、癒し、慰め、また励ましてくださいます。完璧を求めることより、ありのままを受け入れる勇気と謙遜さを持って生きたいものです。

高橋利佳

◆今月に入って、主にある兄弟姉妹(特に海外から)のお客様が多く伝道のためにおいでくださった。このことは、どう言うことなのだろうか。

◆神がこの教会に期待をしておられ、神の選びの世界の中に私たちも教会もおかれているんだということに改めて目が開かれる思いでした。

◆伝道がどんなに大変なのかとか、教会を建て上げることの難しさというとこよりも、むしろ、そういうことを突き抜けて、「私はあなたがたの教会をいつも見つめている。忘れていない。」という神の有無を言わせぬメッセージと受けとめ、神の熱いおもいが伝わってくるようで、胸が熱くなるのを感じます。

◆日本の伝道はあっちでもこっちでも困難だと聞いて、困難だ困難だと思いながら伝道するのも何かさみしい話です。困難はあるけれども、しかし、それにいやまさる神の大きな期待がある。

◆ある無名捕手が日の目を見ない頃、監督に「おまえを日本一の捕手にしてやる」と言われたそうです。彼は、とにかく燃えました。仮にも、日本一の捕手にすると監督が言ってくれた。監督は、そこまで自分に期待してくれている...彼はどの選手よりも早くグラウンドに行き、どの選手よりも遅くまで練習しました。その結果、日本一といわれる捕手として活躍された話は有名です。

◆大きく期待されていると知ったら、奮闘せずにいられないのもうなずけます。神は、私たちのうちに可能性を見い出し、熱く期待しておられるのです。神の祝福を感じて立ち上がりましょう。

石田政美

◆米国テキサス・パートナーシップ伝道チームは7/9〜7/16まで当教会で次の伝道奉仕をされます。お祈りに覚えてください。

7/ 9(日) 主日礼拝(証し) 午後歓迎愛さん会(証し)
7/11(火) 11:30〜15:00 with RMG(緑園マザー・ゴスペル)
      16:00〜     鈴木家庭会(宮﨑家合同)
7/12(水) 10:30〜13:00 Bible Café
13:00〜 チラシ配布奉仕
20:00〜21:30 夜の祈り会(証しと賛美)
7/13(木)10:30〜12:00 昼の祈り会(証しと賛美)
7/14(金) 玉川聖学院訪問(JOY休み)
7/15(土)10:00〜 青成(青年、若い家族)プログラム
7/16(日) 9:30 CS奉仕(証し)
10:30 主日礼拝(メッセージ、証し、賛美)
13:00〜 感謝会
14:00〜 JOYサマー・フェスティバル

※7/16は、ブラッド、アシュリー、リサ、マイケル、ダニエル、
 シャーリー、ランディの7人の兄姉が奉仕されます。

〜ローマ12:13〜

◆私は夫と、これまで幾つかの教会を訪問しました。その訪問で共通する忘れられない嬉しい体験を3つに絞ってお話ししましょう。

①20数年前、韓国釜山のバプテスト教会から招待を受けました。会員200名くらいの教会でしたが、礼拝後の愛餐の時、ビックリしました。私たち二人の前に並べられた韓国料理は山のように盛りつけられ、しかも10人分くらいはあったでしょう。この熱い歓迎に答え必死で食べたことでした。

②4年前には、長野県・高遠の聖教団の教会を何組かの牧師夫婦と訪問しました。障害者施設を運営しているその教会は、とうもろこし畑の真ん中にありました。ここでの体験も土地柄ピッタリ、高遠の民謡を歌って下さりその後一緒にさんびを歌い、主をほめたたえました。帰りの車には、施設の方や教会の方々が作られた野菜がいっぱい積み込まれました。あたたかい歓迎でした。

③また、沖縄の教会の新しい会堂の献堂式に伺いました。この時は教会から数人一緒に参加しました。沖縄大好きの日出海さん、澤田寿子さんも一緒でした。沖縄の熱い気温と同じ信仰の熱気でうずまいた献堂式でした。2部では、クリスチャンの具志堅ファミリーの沖縄民謡の三味線の音と歌声がなりやみませんでした。

◆さあ!JOYもいよいよ来週、米国から伝道チームをお迎えします。日本人に福音を伝えたくて、日本の教会の伝道のお手伝いをしたくて、自費でおいで下さいます。今、私たちが祈っている人にチラシを渡し、声をかけましょう。そして、JOYらしい歓迎をしましょう。

石田幸子

今週の一面『フィルター 』6/25  

Shin1

◆スマホで「教会 横浜」というキーワードで検索してみた。結果を見ると、横浜にも教会がいっぱいあるものだと思う。我らがJOYチャペルは4ページ目に出てきた。試しに妻のスマホでも同じキーワードで検索してみた。驚いたことに、JOYチャペルは最初のページに出てきたのだ。

◆ここで着目したいのは、妻のスマホの方がJOYチャペルが早く出てきたのでえらい、ということではない。検索結果は、個人個人で異なるということだ。スマホでは、過去に見た情報などをもとに、検索結果のみならず、ニュースや広告など様々な情報がフィルターにかけられ、自分が見たいものや心地よいものばかりが表示されるようになる。他方で、見たくないものや興味のないものは表示されなくなり、存在しないかのようになっていく。スマホさえあれば多くの情報が簡単に手に入るようになり便利にはなった。しかし、あふれるような情報はあるものの、それらにはフィルターがかけられ、偏ったものしか見えていないかもしれない。そして、おそらく結構多くの人が、そのことに気付いていない。

◆やっかいなことに、人というのは、一度思い込むと常にそれが正しいと判断し、それをより強化していく傾向があるそうだ。コンピュータが選別したものなのに、都合の良いものばかりを見せられて、世の中そういうものだと思い込む。さらには、自分は正しいのだという誤解がどんどん強められていく。私たちは、かつてないほど自分に都合良く作られた囲いの中で、主の御言葉の一部だけを聞いているのかもしれない。

◆知らぬ間に自分だけの世界が形作られ、好まないものは遮断されていく。そんな時代だからこそ、あえて意識的に自らの思い込みやこだわりを捨て去り、フィルターをかけずに主に向かい合うこと、これがより一層強く求められているのではないかと思う。

宮崎英剛

◆東日本大震災から「絆」ということが言われています。現実の人間と人間の絆、家族の絆は、何があっても破れないほど頑強なものでしょうか。些細な行き違いでもろく崩れ去ることがあります。「家庭の平和」が破られるということはむしろよくあることです。

◆病気や交通事故で父、母や子を失う家庭の悲劇もなくはないのです。戦争のような運命の荒波の中で家庭の平和が引き裂かれるということもあります。しかし、そうした戦争や事故や病気によるだけではありません。家庭がその内側から崩れ、崩壊していくということもあります。信仰者の家もまたそうした崩れ行くもろさからまったく免れているわけではありません。

◆これからしばらくの礼拝メッセージ、創世記第37章から始まりますヨセフ物語を通して「聖書の人生観」を改めてご一緒に学んでいきたいと思います。この物語も、一つの家の平和な生活が崩壊するところから出発しています。家庭の絆のもろさを知らされます。

◆ここで、私たちは、信仰者の家の物語を学ぶことになるのですが、しかもそれは、ヤコブの家、つまりイスラエルの家です。ですから、それは、神の民、信仰の共同体とその中の平和が、なぜ、どのように崩壊するのか、そして、またそれがどのようにして再建されるのか信仰の共同体の歩みを学んで行きたいと思います。

石田政美

◆「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」(使徒2:1〜3)

◆「風」、「音」、「炎のような舌」など、ここには聖霊降臨の出来事が聴覚や視覚など五感に感じられる経験として描かれています。

◆そして、その結果として人々の上に生じた現象が記されています。「すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(4節)聖霊は、いろいろな言葉を語る能力を弟子たちに与えたというのです。それは一つの奇跡的な現象であったといえましょう。

◆しかし、ここで重要なことは「弟子たちがほかの国々の言葉で話しだした」という不思議な出来事よりも、そうしたさまざまな言葉を通して「福音が語られ始めた」ということこそ肝心なことなのです。言い換えるなら、聖霊降臨とは「宣教の開始」を意味する出来事だったのです。

◆それゆえ、ペンテコステとは「教会の誕生」というよりも「宣教する教会の誕生」を意味する出来事で、弟子たちがこの世に向かって公に主イエス・キリストを宣べ伝える力を与えられ、ただちに伝道を開始した日であったというべきでしょう。

石田政美

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