◆私たちが文書を書くとき、また書籍を読むときには、それぞれテーマがあります。そのテーマを中心にして文章が綴られていきます。聖書のテーマの1つに「契約」が挙げられます。旧"約"聖書、新"約"聖書とあるように、聖書は"旧い契約"と"新しい契約"に分けられています。神様は、自然との契約(エレミヤ33:20-26)だけでなく、最初の人アダムとも契約を交わされました。(創世記1:28-29,2:16-17など)アダムたちの罪によって、生れながら罪ある者と定められた人間を神様は見捨てることなく、祝福を用意してくださっているのです。

◆アダムの次に神様と契約をしたのは、ノアです。神様は、地上に悪いことばかりを計る人々を見て、心を痛められ、終わらせようとしました。しかし、ノアたちは主の取り計らいによって、その滅びから守られていたのです。そして、このノアと契約を結ばれました。(創世記6:18,9:9-17)

◆ノア契約と呼ばれていますが、その内容は契約というよりかは約束に近いものになります。その内容は、①季節、自然の秩序の約束(8:22)、②二度と洪水によって地が滅びない約束(9:11)、③動物を食事として扱うことができる約束(9:1-4)、④人間社会の形成(9:6-7)になります。

◆神様は創造を後悔されました。滅びに向かう中、正しい人の信仰によって再度神様との良い関係が作られていったのが、ノア契約なのです。私たちは、その契約の上に立っています。ノアという1人の信仰者の姿勢を私たちも見習いましょう。この姿勢が正しい姿勢なのです。

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。」(創世記6:22)

坂西恵悟

◆子どもの頃から小心で甘えん坊であったわたしは、青年時代、感傷的な正義感を教会内で振りかざしてさまざまなことで、牧師先生や先輩の役員の方々に不平不満をもち、一時期教会を飛び出してすねたりしておりました。

◆実社会で20年働きましたが、わたしの会社の中には新興宗教にも近いようなある種の熱気と信念がありました。そこでがむしゃらに働いておりました。この間の生活は、教会では優等生的クリスチャン、家に帰るとちがった人物になり、職場ではまたちがった人物になっているような二重、三重生活をしておりました。このころのわたしは、人や環境ばかりを気にし、常に多くのことを思い煩い、心も身体もバラバラで、まったく平安がありませんでした。

◆そんなある日、過労から三日間高熱で寝込み、病院の床の中で不安と恐怖、高熱と激痛、神なき永遠の滅びの世界を恐怖をもって思い起こしていたわたしの前に、イエスさまが立ってくださったのです。そして、『シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31〜32)と語りかけてくださったのです。

◆臆病者で弱く、疑い深い、こんな罪人である存在を誰よりも知っていたわたしは、非常に驚きました。しかし、献身を決意した時から、常に「し過ぎることのない期待」を神に寄せつつ、全身全霊で燃え尽くして、あとはいっさい主にお委ねしてまいりました。その結果、厳しいところを多々通らされましたが、「主は共におられる」「主は働きたもう」という体験を知らされる献身の日々でした。

石田政美

今週の一面『 はじめの愛に 』9/30  

Shin1

しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」(黙示録2:4,5a)

◆ある開拓教会の牧師がこのようなことを言いました。「会堂を建てることによって、教会は必ず変化する。それは前進しようとすることより、守ることに力を向けてしまう。だから、私は、会堂を建てても開拓をし続ける。」

◆JOYチャペルができて、20年目に入りました。この19年の歩みの中で多くの人が情熱を持ち、祈り、奉仕をし、礼拝を献げてきたことでしょう。また、礼拝だけでなく、祈り会や家庭集会なども行なっていたことでしょう。最初は小さな群れで個人宅で始まった礼拝が、場所を移し、人数が増え、会堂を建てるまでに成長していきました。その中には、感謝なこと、辛かったこと、楽しかったこと、悲しかったことなど多くあったことでしょう。過去を振り返ってみて、現在を見た時、あなたは何を手にしているでしょうか。私たちは、時代が時間が流れていく中で多くのものを手にして、多くのものを手放してきました。今、あなたが手にしているものは何ですか。大切なものはしっかりと手にしているでしょうか。

◆会堂が建ち、隣地も与えられた中、私たちには多くのものが与えられています。多くの変化がありました。しかし、それでも変えてはいけないものがあります。それは、「はじめの愛」に立ち続けることです。聖書を通して、主が約束してくださっている「将来と希望」をなくしてはいけません。教会に与えられている「使命」をなくしてはいけません。前述した教会は、いまでも様々な地域に開拓をし続けています。私たちも、教会に与えられている「使命」を再確認し、宣教の働きを担っていこうではありませんか。節目の年だからこそ、私たちが何を大切にしているのか確認しながら主の働きを全うしていきましょう。

坂西恵悟

◆今年も9/22,23にJOYチャペル恒例のファミリーキャンプが行われています。1999年の開拓伝道以来欠かさず行われている恒例行事。毎年、運動会、レクレーションなどで身体を動かしたり、パフォーマンスを披露したり、教会川柳やフォトコンテストを行ったり、楽しさ満載のときを過ごしています。

◆今年はキャンプ委員を退き、初めて一参加者としてのキャンプ。若いJOYメンバーが中心となってキャンプを企画、運営していることを頼もしく感じています。

◆キャンプは教会に来て間もない方や教会は初めてという方も参加されるので、一般的に思われているであろう⁈、おとなしい、真面目、つまらない?という教会、クリスチャンという固定観念とはかけ離れたメンバーの姿を目の当たりにして驚くこともあるようです。

◆キャンプでは楽しいことだけでなく、これからの教会のことを沢山、真剣に考える時間も多く割いてきました。普段あまり話す時間を持つことが難しくても、キャンプではじっくりとお互いのことを知り合ったり、信仰や教会について話し合ったり、教会の目指すビジョンを共有する大切な時間となってきました。
さあ、今年のキャンプはどうでしょう?

濱田眞一

今週の一面『 祈りを体現する 』9/16  

Shin1

◆祈りは私たちにとって何でしょうか。あるクリスチャンの先輩が「祈りは呼吸である。」と言いました。私たちにとって祈りはなくてはならないものであり、祈りのない生活はクリスチャンとして致命的でしょう。私たちが祈る時、その内容の多くは「願い」だと思います。誰の「願い」でしょうか。私たち自身の「願い」です。「願う」祈りがダメなのではありません。
また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」(マタイ18:19)とあるように、私たちは「願う」祈りをすることをゆるされているのです。

◆では、反対に私たちはどれほど主が願われている祈りを聞いているでしょうか。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(ヨハネ17:21)

◆イエスが願い、祈られていることを私たちはどれだけ知っているでしょうか。その祈りを私たちはどれだけ応えようとしているでしょうか。教会を建てあげていくために、私たちが神様の祈りに応えることは必要なことです。主が何を願われているのかを知らない中で宣教の働きは無意味であると思います。だからこそ、私たちは主が願われ、祈られていることを知り、その願いを私たちは応えていくことが必要です。

◆主が願い祈っていることに私たちが応えることができたらなんと素晴らしいことでしょうか。主の祈りにも私たちは耳を傾けたいと願うのです。

坂西恵悟

今週の一面『 召天者記念礼拝 』9/9  

Shin1

 「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」(ローマ14:9)

◆沖縄に住んでいた時、現在のお盆のシーズンよりも旧盆の方が大切にされていました。特に、私たちが住んでいた宮古島では先祖崇拝が強い島でもありましたので、旧盆の時期になると、学校や会社が休みになり親戚一同でお墓の前で食事をする文化がありました。内地(本土)から移住された方々は"休日"という感覚が強いですが、沖縄の人々にとっては大切な日でした。

◆教会の方々にお話を伺うと、「キリスト教は先祖を大切にしていない」「亡くなった方への関心がない」などの言葉を受けたことがあるという方が大勢いらっしゃいました。私たちクリスチャンは果たしてそうなのでしょうか。そんなことはないと思います。多くの教会で毎年、先に天へと凱旋された方々を覚え、礼拝を献げています。それは、召天された方々を覚え、出会いに感謝し、再び天で再会できることを感謝しつつ礼拝を献げています。

◆イエス・キリストの十字架と復活は私たちの罪の贖いだけでなく、私たちに希望を与えてくれるものです。創造主である神様は私たちがこの地上の歩みを終えた後も、私たちとの関わりを持ってくださる方です。そして、このキリストを信じる人々に新しい命を与えてくださるのです。私たちの人生は死が終着点ではなく、世の終わりの日に復活のイエスとともに神様のもとで永遠の命を生きることができる希望がある人生なのです。

◆召天者記念礼拝は、神様がこの地上においても地上での歩みを終えたあとでも関わり続けてくださる主であること、再び出会うことのできる希望を覚える時であること、イエス・キリストの十字架と復活に感謝する時なのです。

坂西恵悟

あなたの戒めに従う道にお導きください。わたしはその道を愛しています。不当な利益にではなく あなたの定めに心を傾けるようにしてください。
(詩編119:35,36)

◆8月も終わり、これから秋を迎えようとしています。この夏、皆様はどのような恵みにあずかることができたでしょうか?是非、夏を振り返る時を持っていただきたいです。

◆夏の前に雑誌やテレビなどで取り上げられるものにダイエットがあります。「美ボディ」や「割れた腹筋」などのキャッチコピーを様々なところで目にします。またテレビでも様々なダイエット方法が取り上げられます。食事制限もそのうちの一つでしょう。

◆詩編23:1に「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(新改訳)とあります。私たちは乏しさに気づいていますか。満たされていることに気づいているでしょうか。週に1回の御言葉の食事になっていないでしょうか。私たちが主の戒めの道に従うためには主の戒めを知ることが必要です。また、私たちがキリストの似姿に変えられるためにも御言葉が必要です。羊飼いが良い牧草地に羊を連れて行くように、私たちの前には主が連れて来てくださった良い牧草地が広がっているのです。生きるために、成長するために必要な牧草が目の前に広がっています。私たちはただ、それを食べるだけです。その牧草は聖書です。

むなしいものを見ようとすることから わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って 命を得ることができますように。」(詩編119:37)

◆主が備えてくださる御言葉を私たちは日々食べることが必要です。周りのものに目を奪われるのではなく、すぐ目の前に広がっている主の御言葉を私たちは期待して、感謝して受け取りましょう。

坂西恵悟

今週の一面『 救 い 』8/26  

Shin1

JOCSという団体をご存じでしょうか。現在の会長は医師で国立療養所邑久(オク)光明園名誉園長の肩書きをお持ちの畑野研太郎氏です。ホームページより転写したものを下に記しました。
JOCSとは:日本キリスト教海外医療協力会はキリストの愛の精神にもとづき、みんなで生きる社会の実現に寄与するため、弱い立場におかれた人々への国際保健医療協力を行っています。
ビジョン: すべての人々の健康といのちがまもられる世界をめざします。
使  命: イエス・キリストの教えに従い、困難の中にある人々の健康と
       いのちをまもり、人々と苦悩・喜びを分かち合います。
活動方針:・人と人とのつながりを中心とする保健医療協力。
     ・より貧しく弱い立場に置かれた人々への保健医療活動。
     ・上記を達成するための人材育成。
沿革(抜粋):JOCSは1960年に設立されました。JOCSは、日本が
       アジアの人々に対して犯した戦争への深い反省に立ち、
       和解と平和の実現を願って設立されたのです。

私がJOCSを知ったのは、1981年、当時の姉妹教会からネパールのアナンダバン病院へ看護師として派遣されることになった宮崎伸子さんを支える会を作って支えましょうということになった時でした。宮崎伸子さんのJOCSのワーカーとしての働きは1996年に終了しましたので、支える会も解散しましたが、私はその後も会費納入しかできませんでしたが、JOCSの会員で居続け、現在に至っています。JOCSは、医師、看護師等のワーカーを派遣していますが、その活動資金は、会員となって支える方の会費、会員からの募金と使用済み切手等による換金したものだけで運営されているのです。
イエスキリストによって「救われた者」が、医療を通して「命を救う」働きをされることに感銘を受けました。              
病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイ10:8

伊東昌彦

今週の一面『 霊による一致を 』8/19  

Shin1

「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」(エフェソ4:3)

◆エフェソはパウロがエフェソの教会に宛て、獄中で書いたとされている書簡がです。ここで、パウロは、神様の招きにふさわしく歩むことを勧めています。高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ち、愛を持って忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つようにしなさいと勧めているのです。「平和のきずなで結ばれ」とはどういうことでしょうか。パウロは2:14でこのように語っています。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(エフェソ2:14)

◆キリストが私たちの平和なのです。キリストを信じる信仰のきずなで結ばれて、霊により私たちは一致を保つことができるのです。

◆残念ながらクリスチャンであっても、争いや意見の不一致は起こります。これは、主イエスが再び来られる日まで、起こりうることです。ですから、私たちはキリストにある平和と霊による一致を求めることが必要です。戦後73年が経ち、日本も世界の情勢も目まぐるしく変わっていく中、私たちは霊による一致を保てているのでしょうか。様々な人間的な感情が自分自身を支配していないでしょうか。本来なら、主だけを見て歩めば気にならないところも、人を見ることによって気になり、心に平安がなくなることはないでしょうか。

◆このような時、私たちは御言葉に立ち返ること、主に立ち返ることを願わなくてはなりません。神様が用意してくださっている素晴らしい恵みを受け取るために、私たちは霊による一致を持って、日々歩むことが大切だと思うのです。霊による一致のあるところに、平和が訪れます。愛で満たされます。高ぶらず、柔和で寛容な心を持つことができます。私たちは、このことを目指して共に祈り、励まし、支える教会でありたいと願います。

坂西恵悟

「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」(箴言4:23)

◆1999年9月、JOYチャペルはスタートしました。2004年12月に教会組織をし、2010年に現在の会堂が献堂されました。開拓からスタートし、現在では約70名の礼拝出席になるほど成長していきました。私自身も、4月に就任し4ヶ月が経ちました。みなさんの日々の祈りと励ましに心から感謝致します。

◆開拓からスタートし、規模が大きくなる教会によく起こる出来事に"効率化"があると思います。少人数で、みんなが家族のような状況から、様々な考え方が出て来るようになる規模になった時に"効率化"を目指そうとします。ここでは、"効率化"が悪いのではなく、"効率化"に伴い私たちの心がどこに向いているのかがとても重要になると思うのです。一般社会の中においては、効率的な組織運営を目指していきますが、教会にそれをそのまま当てはめることはできません。"効率化"はある時に排他的となりうるものだからです。

◆JOYチャペルでも今後ある部分は"効率化"しようとする所が出て来ることもあるでしょう。また、"効率化"だけでなく、ミニストリーの中に"作業的"になってしまったり"タスク"になってしまうものが出て来る可能性もあります。このような状態にならない為に、私たちは日々心を主に向けることを第一にすることが必要です。神様が何を望まれているのか、神様は何を喜ばれるのか、このことを私たちは一つ一つの働きの中に植え付けることが大切です。その為に、私たちは日々のデボーションによって、礼拝の中において、交わりの中において御言葉を心に蓄えることが大切です。

「キリストの言葉をあなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイ3:16)

坂西恵悟

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