ハレルヤ!

地方の友人が、横浜に遊びに行きたいと言ってきたなら、私は11月をお薦めしている。

金貨の如く色付いた銀杏の葉や実が、冬支度の街並みに柔らかい彩りを与えてくれているし、港から見える海の蒼さも、スラーを描くカモメの白羽が溶け込んで、調和のとれた息づかいを促してくれる。

ちょっとウォーキングがしたくなった。
散歩ではなく、早足で歩いてみる。
みなとみらい線は、元町中華街駅で降り、山手方向に足を運んでみた。
勾配のきつい坂が多いため、一般車両進入禁止の道が方々で繋がっている。
ノスタルジックな佇まいと閑静な街に建つ西洋式の屋敷を眺めるだけでも楽しい。

石段を登ったり降りたり、いい運動だ。
休憩を入れて足を止めると、一軒のお宅の庭先延長区画に、『バプテスト神学校発祥の地』と記された記念碑が建てらていることに気づく。
また少し歩くと、誰が管理しているかわからないような草地に『バプテスト発祥の地』という石碑が建てらていた。

驚いた、こんな場所に、誰もかれも目を留めることのないような処に、それらが記されていた。

アイスクリーム、ビール、スカーフ、競馬場、様々なものが横浜発祥であることは、多くの人が知るところだが、ピンポイントで、バプテストが派生した拠点はここ!というところに、導かれるなんて...歩いてみなければわからないことだった。

*そのときから、イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた*マタイ4章17節

イエス様は、今尚ウォーキングされている‼
主の御心のまま、たゆまぬ歩みとなりますように...

by MM

早朝の爽やかな風、カーテンから漏れ出る陽の光を感じながら、また時折聞こえてくる鳥の声に耳を傾けながら目を覚ますことが出来る1日の始まり方が大好きです。誰にも邪魔されないこの時間を確保するために、隣に寝ている赤ん坊を起こさないようにそっと毛布から抜け出し、階下に下りて思いっきりカーテンを開け、暖かいお茶やコーヒーを少し丁寧に入れることが出来る日は思わずニンマリとほくそ笑んでしまいます。少し熱めの飲み物で身体を温めた後に祈りその日の聖書の言葉を声に出して読み、榎本先生の一日一章を読み、今日与えられた御言葉から力を得て始められる一日は、そうでなかった一日と比較すると、人や物事に対する対処の仕方(見方)が異なり、終えてみると「今日はあまりドタバタしなかったなあ~、感情的になって怒ることが少なかったなあ~、文句が少し減ったかなあ~、時間を有効に使えたかなあ~」なんてほんの少しですが、時間と自分に余裕をもって過ごせた気持ちになります。

そのような始まり方を毎日継続できたらどんなに素敵だろう、神様と1対1の関係をもって始められる1日を毎日もてたら...、と思いながら、寝不足で重たい頭と身体を起こすことができず目覚ましと格闘して負けてしまったり、私より先に目覚めて騒ぎ出す赤ん坊に勝てずその時間を放棄せざる得ない日を迎えたりと、毎日が理想的に始まるわけではない時が依然としてあるのです。木曜の祈り会でM牧師が「野球選手は小さな頃から将来の夢を叶ったものとして書くことが多いようです。また榎本先生も祈りは今『聞かれた』として行動し、『聞かれた』として既に新しい生活に生きる、これが未来を先取りしている信仰者の生き方である(一日一章より)ということをおっしゃっています」と教えて下さいました。それならば私も「そんな至福な時間を毎日与えて下さい」と祈り、与えられたと確信して書き日々歩んでいきたいと勇気付けられました。

『私は朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みを抱くのです。わが目は夜警の交代するときに先だって覚め、あなたの約束を深く思います。』
(詩篇119:147-148)

By YS

 〜オリーブの香り〜No178 『神様が用意して下さった旅』

■夫は今年3月末をもって主任牧師の役目が終わりました。教会の皆様から『お二人で旅をして下さい』 と温かいプレゼントを頂きました。私はかねてより「北海道に一度行ってみたい」と思っていましたが、なかなかそのチャンスがなくて、もう行けないのではないかと半ば諦めていました。この話を松崎夫妻が受け止めて下さり、『北海道なら私達が案内しましょう』と申し出てくださいました。なんとこころ強いことでしょう。神様の御計らいを感じ感謝して全面的に松崎夫妻に委ねて、その時を待ちました。

■当日千歳空港に着いた時の感動、今までこのような景色の空港は見たことありませんでした。見渡す限り草原が広がり、その奥にはなだらかな山々が見えました。すごい!この豊かな自然! 飛行機から建物までの通路の窓からしばらく見惚れてしまいました。その瞬間(この旅はきっと素晴らしい!)と確信したのです。

■小樽から旭川に向かうドライブは雨でした。しかし窓に映る景色はどこまでも白樺の木の紅葉であきることがありません。そして旭川に着いた時は空を見上げると、私達の降り立った所だけ、丸く青い空が見えているのです。
  「私は主 あなたの神」 聖書の言葉が聞こえました。

■帯広市池田町の牧場
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ここではよく手入れされた広々とした小高い丘にひつじが放牧されていました。
無心に本当に無心に草を食べているひつじの姿を飽きずに見ました。詩篇23篇を思い出しながら(こんなに無心に食べていたら危険が迫っても気ずかないねー) やっぱり羊飼いは常に気配りして面倒をみると言うことがわかりました。聖書の物語が私のなかでイキイキとなった時でした。ここでも神様の御計らいを感じた時間でした。まだまだ楽しいミステリーな旅が続きます。

by ゆっこ

この夏、「隣人に出会う旅」に参加した3名の青年が、久山療育園の人たちとの交流から学んだことを発表するのを聞いた。なんと素直で感受性に富み、やさしい心を持った青年たちがここにいると嬉しくなった。
「障害がある人が真ん中にいる」、「他の人より必要な手助けがちょっとだけ多いだけ」、「私たちがもらったもののほうが多い」なんて、頭ではわかっていてもそうそう言えることではない。
現在、分野は違うけれど社会福祉事業に直接携わる者として、改めて原点の大切さを思い起こさせる報告であった。
この報告を聞きながら、日本における障害児の父と言われる糸賀一雄先生の「この子らに世の光をではなく、この子らを世の光に」という言葉を思い出した。
障害者への偏見と差別が厳然と残っている時代(戦後すぐから1960年代にかけて)に近江学園、びわこ学園を創設し、今日では当たり前のように言われている共生社会、発達保障を主張し、生涯を障害児の療育に奉げた人である。
久山療育園理事長の山田雄次先生は、バプテスト心身障害児(者)を守る会の会報「愛の手を」の中で、久山療育園で成人式を行った時の感想として次のように書かれている。
「今年、お祝いを受けたのは男女1名ずつでした。重い障害を抱えて生きることの中で、愛されてみんなと共に生きる存在として、人の生き方、いのちの営みの豊かさということをいろいろな形で周りの人に気づかせ、成長の途上にあるお2人でした。
障害児の父と言われた糸賀一雄先生が『この子らに世の光をではなく、この子らを世の光として』ということばを残されましたが、それは成人式を迎えられたお2人のように、周りの人たちに支えられて生きる中で逆に周りの人たちにいのちの豊かさについての気づきを与えて生きておられる重症児者の生きざまそのもののことを語っておられるのだということを知らされた成人式でした」(2015年3月1日発行 第178号)
久山療育園が開設される直前、当時大学生だった私は、田隈バプテスト教会で行われた久山療育園についての1泊2日の学習会に参加したことを思い出した。当時から持っていた理念「重症心身障害児を施設に収容して守るのではなく、地域の中心に位置づけるための働き」がその後も脈々として継承され、現在では在宅支援の働きをますます強められていることに大きな感銘を受けている。
全国的にも高く評価されている久山の取り組みは常に原点(理念や使命)を大切にすること、そのために「友の会」等の支援者、ボランティア、地域の方々との連携、いわば「運動性(Movement)」を大事にしてきた結果なのだと思う。
そして、一人ひとりの障害がある方の心の叫びや痛みを分かち合い、共に進むために、多くの祈りと具体的な支えがあり、神様の計画の下、豊かな出会いと協働や交流があったことを心に留めたい。

By とうちゃん

礼拝堂をお借りしてのゴスペルレッスンも、今年いっぱいで終了となります。
この4年間、私達メンバーは、どれほどに感謝の気持ちを抱いて、石田先生、松崎先生の二人の牧師のメッセージを受け止めていたか...何を持って、その気持ちを表すことが出来るのでしょう...。

一つの歌を完成させました。
今年のクリスマスコンサートに披露する予定です。

この4年間、ノンクリスチャンのメンバーに、日曜の礼拝に来てと言うより勝る、おそらく私の心の一番奥に佇んでいる想いでもあります。

和訳した歌詞の一部を載せます。

その方を見たらわかるだろうか
イエス様がおいでになったら
ある日あなたの家のドアをノックするかもしれない
その時、その方を招き入れますか?

新しい星を見たらわかるだろうか
その星を追って共に祝うだろうか
この世に貯めた全ての宝を投げ出して、あの方のために、お祝いの品を用意できるだろうか?

今夜、私達は祝おう
この聖なる夜に
私達に神様の愛を示すために
私達のもとにいらした、あの幼な子へ

その方を招き入れますか
あなたの心に受け入れますか

☆録音した歌をお聞きください☆
Will You Know.mp3

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。(伝道の書3:1~2)」

先月末に地上での旅路を終え天国へと召された姉妹の葬儀に参列いたしました。Y姉の人柄が偲ばれるような柔らかい日の間に包まれたような暖かい式でした。

Y姉とは息子を育てる母親として、そして世代の近い友人として折に触れてお話しすることがありました。物腰が柔らかく、静かな微笑を絶やさない姉妹は、大変な育児を経験しているはずなのに怒っている姿を想像できないほどに優しいお母さんでした。そして子どもから片時も離れられない心配性のお母さんだったことを覚えています。そんな姉妹でしたので、病気を患ったことで周りには計り知れないほどの不安や恐れに支配された時期もあったのではないかと思います。それでも病気を経て姉妹はあの細い身体からは想像できないほど力強く「イエス様がベッドの下にいてくれて、私の重荷を担ってくれているので、私は安心して任せられます」と顔を輝かせて話しをしてくれたことがありました。また、身体が辛い時でも「礼拝に出たい」ということをよく話しており体調の許すかぎり電車を乗り継ぎ礼拝に駆けつけていました。姉妹と教会で会うと私が話しかける前に必ず「Yさんのこと祈っていますよ。元気な赤ちゃんを産んでくださいね。」と逆に励まされることが何度もありました。そんなとても敬愛すべき素敵な姉妹でした。

白を基調とした花に囲まれて静かに微笑んでいたY姉、その表情は全ての不安や恐れ、苦難から解放されて、神様のそばで安息を得ているように穏やかであり、「本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでくださいね。」と思わず声をかけてしまうほどに安らかな笑みを湛えていました。最期にご両親と一人息子のRくんと一緒に礼拝ができてよかったですね。さびしいですがまた会える日まで。

by YS


<ファミリーキャンプ2015>

■毎年のJOY恒例ファミリーキャンプが9/21−22に行われました。今回は、他の教会の方々も含め、総勢70名の参加者が集まりました。 いままでで最大規模のキャンプでした。特に毎月石田牧師が奉仕に行かれている日立教会からは、シルバーウィークの渋滞にもかかわらず10名が参加されました。日立教会のみなさんとの交わりによって、キャンプは、より楽しく、より深く広いものとなりました。感謝!

■毎年、キャンプ委員会で工夫を凝らし、いろいろなプログラムが行われます。運動会、パフォーマンス大会、温泉タイムなどなど楽しいプログラムも多く、幼児から大人までが楽しめるよう企画しています。二日目には、「個人伝道」「協力伝道」についての発題と分科会を行い、中身の濃い午前中の3時間があっという間に過ぎました。

■今回は、ファミリーキャンプに合わせて行った写真コンテストの投票結果の発表も行いました。テーマは「喜び」。残念ながらキャンプに参加できない方々にも少しでもキャンプに関わりを持てたらとの思いで企画したものです。写真コンテストの金賞は、JOYチャペル就任のために松崎夫妻が来られた昨年9/21にサプライズ歓迎会を行ったときの記念撮影の写真です。この1年間での一番の喜びは、やはり、長い間待望していた新しい牧師の招聘であり、松崎牧師就任だという思いはJOY教会の多くの方々に一致していたようです。
Welcome.jpg
<Welcome 松﨑夫妻! 2014_09_21>

by しん1

本当に久しぶりにプールに行った。目的は水中ウォーク。変形性膝関症で痛みの軽減や安定等のために膝周囲の筋力トレーニング、中でも水中ウォークが良いとアドバイスを受けたからである。
黙々とプールの中で歩いているうちに、泳いでみたくなり、25メートルプールを何往復か泳いでみた。最初は苦しかったが、おーぉまだ泳げるじゃんと嬉しくなった。
翌朝起きた時、左の耳が聞こえないことに気付いた。
丁度妻が九州に帰省しているときで、一人で家にいるときは、耳鳴りの不快感以外は静かな世界で生活しているようで、耳が遠い高齢者の疑似体験のようであった。
しかし、片耳が聞こえないだけで、何と不自由なことか。道で後ろからくる車に気付きにくい。歌が歌えない(自分の声の大きさや音程がわからない)。話すときの自分の声の大きさがわからない。車の運転が怖い。料理する時、特に炒め物や揚げ物が不便。
目と耳と鼻、また皮膚で人間は多くの情報を得ているのだ。その一つが欠如しているだけで、何と不便なことか。
相手の立場にたってとか言うのは簡単だけど、耳の不自由な人の立場にたってというけれど、本当はわかっていなかったのだと痛切に思った。様々な関係づくりは、決して相手にはなりえないということから出発すべきものだと改めて思った。
無事、病院で治療して治った時に、わおー、世の中はなんと様々な音に満ち溢れているのか!と驚いた。一気に色々な音が入ってきて、人間は一度に多くの情報を選別する能力があるのだと感じた。
不自由な数日、相手の話していることを聞き漏らさないように一生懸命聞くことが自然にできた。礼拝の牧師の説教もいつになく集中して聞いた!?
様々な情報であふれかえっている時代、様々な喧騒が渦巻く時代、真実の声を聞き分けることは難しい。ましてや、真実の声は小さきものなのだ。前のめりになって、真実をただひたすら追い求めて、小さき御声を聞き分けうるものとなりたい。
「主よ、さわがしき 世のちまたに
われをわすれて いそしむまも
ちさきみこえを ききわけうる
しずけきこころ あたえたまえ」
(讃美歌313番)

by とうちゃん

〜オリーブの香り〜No172 『聴力』  

Shin1

ハレルヤ!

「この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。」
ルカによる福音書 10:39

先日、見舞い時間を大幅に超えて、聖路加病院に訪ねることになり、ひっそり静まり返った消灯した病院の廊下を歩いていると、どこからともなく、楽器のチューニング音が聞こえてきました。
夜遅い時間に、まさかクラシカルな生音が聞こえるなんて、聞き違いかなぁと最初は感じたのですが、バイオリンもクラリネットも、ホルンの音もやはりクリアに耳に届きます。
音が鳴る方へ向かうと、トイスラーホールと言う部屋で、オーケストラ楽団員の方々が各々の楽器を手にコンサートのための練習をしているらしく、優しい音色を放っています。
10年ほど前、病院長である日野原先生にお会いする機会に恵まれ、その時に話された内容に、人間の持っている肉体の力で最後まで働くのは聴力なんですよ、だから、患者さんが天国に向かう息を引き取る前に好きな音楽を聴かせてあげたいんですと...
聖路加病院の中にオーケストラ楽団が結成されたのは、それから数年後のことだったんですね。
あの夜に聞いた楽器の音色は、100歳を超えられた日野原先生の夢の実現の音だったんですね。
あらぁ?確か石田先生も、同じような夢を呟いていらしたような(笑)

音楽を聴く
人の話を聞く
自然の音に耳を傾ける
聖書を読んでもらう
祈りを聞く。

この世の中には、自分が知りたい、気づきたいものがたくさんあって、あらゆる情報の中から都合の付くものと、都合の良いものを受け取って、多くの人達が生きている。
しかし、喋りたい、聞いてもらいたいがせめぎ合って、聞く力を萎えさせてしまう場合もたくさんある。

私は遠い昔に、恐ろしく静かな処で、恐ろしく力強い何かを聞いたように思う。

病院を出る前に、真っ暗に静まり返った聖堂に立ち寄り、沈黙の中に佇んだ。
遠い昔の聴力の記憶が、私の耳を塞いでくれた。

M.M

CS(教会学校)でいつも奮闘してくださっているH姉とA姉が、「次男が書いたもの」と見せてくださったその紙には『神様がくださったもの』についてたくさんの事柄が並んでいました。日ごろ親として子どもに「感謝する心」を伝える(感じてもらう)ことの難しさを感じていた私でしたので、正直なところ、子どもが書いた「神様からもらっている恵み」の多くは、息子が思いついて書いたものではなく、大人からの助言を聞いて書けたものではないかと、つい意地悪く考えてしまったのでした。しかし、聞いてみると、『「かみさまがくださったもの」について考えて書いてみて』と話した後に息子が一人書き綴ったものだった、とのことでした。読みながら、いつも甘えん坊できかん坊な小学校2年生の息子、親の目からは頼りなくみえる子どもの中に芽生えている力に驚くとともに、多くの人たちに支えられていることの感謝と神様によって育てられていることの確信を感じた瞬間ともなりました。

『かみさまがくださったもの』
きょうかいにいけること。
がっこうにいけること。
げんきなからだ。
おいのりできること。
おとうさんがいること。
おかあさんがいること。
きょうだいがいること。
おうちにいられること。
あそべる手とあしがあること。
いとこがいること。
おじいちゃん おばあちゃんがながいきしてくれること。
みんなとともだちになれること。
あそべるおもちゃがいっぱいあること。
きょうかいでいろんなことをまなべること。
ならいごとができること。
かみさまとぼくがともだちになっていること。
しゃべれるくち。
みることができる目。
きくことができるみみ。
においをかぐことができるはな。
すわったりできるいす。
ねれるベッド。
たべれるおいしいごはん。
からだをあらうおふろ。
おもしろいほん。
ふしぎなくさや花。
2015.5.31

イラスト付きで綴られた言葉から、つたない中に息子の心を感じられました。神様がついてくださっているから大丈夫なのだと思わせてくれた瞬間であり、私も神様から大切な宝物を授けていただいていることに感謝する時となりました。

『わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です。』

(第一コリント3:6)

by YS

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