■ 今夏、次女がアメリカのあるお宅にホームステイしました。
日本のチャーチスクールで英語のテキストで学んでいる娘に、少しでも本場の英語に慣れてほしいとの思い、英語圏のどこかにホームステイできないかと考えている中で、昨年6月にJOYチャペルで「アメリカンウィーク」として招いたロサンゼルス郊外の教会グループを思い出し、ホームステイを依頼できないかを聞いてみました。結果、快くホール先生ご家族が承諾くださり、約3週間の娘のホームステイが決まりました。

■ 自分自身も、アメリカ留学の体験が自分の人生に大きな意味を与えるものとなり、多くのことを学ぶ経験となったので、長く家族と離れたことはない娘にとって良き経験となるよう、「かわいい子には旅をさせよ」の気持ちで送り出しました。

■ 1週間のサマーキャンプで子供たちのお世話をしたり、ホームステイファミリーと車で片道8時間の道のりを一緒に旅してクリスチャンキャンプに参加したり、時差ぼけする間も無くいろいろな活動を共にさせていただきました。

■ いまは地球のどこに行ってもインターネット経由でいつでもビデオ通話などが可能なので、遠く離れていても簡単にコミュニケーションをとることができますが、その3週間は連絡も取らなかったので、どっぷり英語の世界に浸り、貴重な体験が出来たのではと思っています。

■ ホール先生とは昨年初めてお会いし、メールではやり取りはしましたが、数日間JOYチャペルにお招きしただけの間柄でしたが、私の家族の願いを聞き入れてホームステイ先を引き受けてくださり、惜しみないおもてなしをしてくださいました。このように旅人をもてなす愛を持って私たち家族を受け入れてくださったことに感激し、感謝に堪えません。また、隣人を愛し、もてなすことの大切さを改めて考えさせられたこと、また、クリスチャンの兄弟姉妹は、世界中どこででも主にある豊かな交わりが持てる素晴らしさを改めて覚えるときが与えられたことを神様に感謝しています。

■ このホームステイを通して、またお互いの教会が、共に励ましあう交流のきっかけになることを願いつつ。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」
ヘブライ人への手紙 13章 2節


by しん1

7/26オリーブの香り YSさんの『平和への想い』に繋がって

今日は8月9日、長崎、原爆の日。そして平和を希求する夏。
私たちは、被爆者や遺族また多くの戦争犠牲者の声に耳を傾け、その悲しみ・痛みを自分の痛みとし、共に行動しようという呼びかけに何かしら応えていきたいと思います。

ハレルヤ!
中学3年の夏休み、受験を控えた身だったにもかかわらず、勉強そっちのけで夢中になったものがある。
ブロードウェイミュージカルの日本版の芝居...劇団四季は有名だったけれど、私が好んで見に出かけた場所は、四ツ谷にある地下劇場。ロックミュージカル主体に繰り広げられる芝居は、歌と踊りが激しく交差する、70年代のアメリカの若者の生き方を描いたもの。

あらすじは知っていた。
ダウンタウンの若者グループの対立。
どこに向かって生きたら良いのかわからないのに、激しいスピード感が肉体を襲う。危険なことに手を出し、様々なものを失い、そして再び自身を取り戻し、人生をやり直す力を見出す、と言った内容。

15才の私にはわからなかった人生が、そのアングラな劇場の舞台に転がっていた。

オープニング...静かに幕が上がり、黒の皮のパンツにTシャツ姿の役者さん達が歌い出す。

『Oh〜主よ罪深き〜LaLaLa〜迷える子羊救いたまえ〜』

賛美歌ロックから始まったのだ。

先日、ゴスペルコンサートのフライヤーに必要なオブジェ撮影のため、キャンドル作りに参加した。
講師の方から、どなたか夏休みの宿題と思って『迷える子羊を一匹』作りませんか?と言われ、作成した。

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作りながら、思わず口ずさむ...『Oh〜主よ罪深き〜LaLaLa〜迷える子羊救いたまえ〜』

子どもの頃覚えて忘れない童謡のように、15才の夏休みに聞いたあの歌が、私から離れることはなかった。

主が、私から離れることは、されなかった。

by MxM

長崎に住んでいた頃、8月は特別な月でした。原爆投下時刻の11時2分にはサイレンとともに全ての公共機関の乗り物がストップし、道行く人もともに黙祷をささげます。夏休み中にもかかわらずその日は登校日となり、子ども達は自分たちの作った灯篭を平和公園に飾り、式典に参加し黙祷をささげ、ともに灯篭を流します。長崎にとり原爆体験の痛みと平和への願いは人事ではなく目を背けてはいけない切実な想いなのです。私自身も被爆体験者の話を聞き、戦争・原爆への思いに触れたとき、戦争が如何に悲惨なものかを、そしてこのようなことを2度と繰り返してはいけないという思いを強くもたされたものでした。

私たちが当たり前のように感じている穏やかな日常が、今この日本においても脅かされる事態になっているのではないかということを感じます。難しいことは分からなくても、漠然とした不安が募ります。子どもをもつ身となり、その脅威は自分がつないでいく命が傷を負うことがないようにと祈る想いをもたされます。そんな平和を祈る想いの中で、小学生の子どもが述べた平和宣言が心に残りました。

7/12に教員採用試験の一次があり、それに向けた準備を進めている中で様々なことに思い悩んでいた。
そのため、心の余裕などはもちろんなく、不安と恐れしかない状態だった。
わかりやすく言えば、ちょうど水の中で溺れているような感じ。
そんな中で、現実を見るとどれもギリギリ。本当にこれらのことを自分がやってのけるのかと、焦りと不安で何もかもが中途半端に過ぎていった。そして前日、もう神に頼るしかなく、あまり好きではないが、SNSに自分の心境と出来たら祈って欲しいという思いを投稿した。正直1人くらい何かコメントでもしてくれたら良いかなという思いで。
少し時間が経ち、まあまだ誰も見ていないだろうとSNSを開くと、そこにはたくさんのメッセージと応援の言葉や祈ってるよという声があった。
初めて共に祈ることの大切さも実感したような気がする。
今まではなんだかんだ自分と神様の関係が一番大切で、一人の方が心も静まるし...と思っていたけど、他に祈ってくれている人がいるだけでここまで励まされるものなんだと。
一人で祈ったり、神様と向き合う時間ももちろん大切だけど、それだけじゃない。
聖書にもそういった箇所が存在する。
【二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである】(マタイ18:20)
どうしようもないときは一人で抱え込まず、共に祈り続けるものでありたい。

P.S.
2次試験についてもお祈りいただければと思います。

by マッキー

● 日々の生活で私たちが関わる人たちは、学校や仕事以外では、年齢が近かったりと、趣味やスポーツサークルなど、同じ目的をもった者同士であることが多いのではないでしょうか。

● 教会は、もちろん、神様によって呼び集められた人たちが神様を礼拝するために集まるという目的は同じですが、通常の生活ではあまり接点のないような方々とも触れあう場所となっています。

● JOY教会では、生まれたばかりの赤ちゃんから80代の方々までみんな家族のような存在です。(私たちは、「神の家族」と呼んでいます。) ある人はお医者さん、ある人は建築関係のお仕事をする人、IT関連会社に勤めるサラリーマン(私もですが)、福祉関係のお仕事をする人、主婦、学生、定年退職した方などなど、本当にバラエティに富んだ人たちが集まり、共に祈りあい、励ましあい、支えあっています。

● 私たちの教会には、Sukkahという音楽グループ(バンド)があります。グループが誕生した15年ほど前には、20代、30代だった初期メンバーも気づけば皆40代(^▽^;)。 でも15年前には、幼児だったJOY教会の子供たちが、今は戦力として加わり、40代と10代が一緒にバンドを組むという、教会以外では考えられないのでは?という年齢構成のバンドとなりました!  これも神様からの祝福です。

「若者よ、おとめよ  老人よ、幼子よ。 主の御名を賛美せよ。
主の御名はひとり高く  威光は天地に満ちている。 」
詩編148編 12,13節

by しん1

1.ガリヤラの湖畔 山みどりに、
風かおるあたり、
主イエス平伏して いのりましぬ

4.思いわずらいに 身をやかれて 
なやめるわれらに、
すずしきみ声を きかせたまえ

次女が生まれて、名前を考えているとき、ふと目にとまった賛美歌317番。これだ!と閃いた。何のことはない、長女が「みどり」で、一緒の賛美歌の歌詞にあるというのも何かの縁だというわけで「かおる」と名付けた。

『あなたがたは、もはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり』(エフェソの信徒への手紙2章19節)

私の勤め先は、横浜の地域の中でも、とりわけクリスチャンが多く在住するところで、またミッション系の学校も近隣に多く、修道院や教会からの注文も連日あります。

その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。(ルカ1:14)。私たち家族に授けられた新しい生命、JOY教会に与えられた小さな赤ちゃんの誕生を心より感謝するとともにそこに働かれた神様の業と導きにただ驚くばかりです。
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家族や親しい友人をお連れして楽しんでいただきたいと企画したファミリーコンサートが先週日曜日に持たれました。第一回目は、Sukkahのホームグラウンドでの初めてのコンサートとして行われました。

いつもはJOYチャペルの礼拝賛美を支える奏楽者としての働きを担っているSukkahなので、ホームグラウンドとはいえ、観客に神様のメッセージを伝える音楽を提供するコンサートは、いつもと違う緊張感の伴うものでした。出だしから、「おっみんな緊張してるなっ」という空気感漂う中でのスタートでしたが、ずっとこうして賛美し続けたいという気持ちのまま、あっという間に時間が過ぎました。Sukkahとして表現したい音楽、賛美を表せたことを心から神様に感謝したい気持ちでいっぱいです。

お越し下さった方々の感想を少しご紹介します:
・「真っ直ぐな声、思いを、祈りを天まで届けているんだなーと感動でした。」
・「コンサートを聞きに来ているというのではなく、一緒に賛美している!!と心から思えました。joyに集まったメンバーが、ここの教会員であることを、誇りに思っているんだなということを、感じました。」
・「信仰があって、結束力があって、ファミリーが一つになって創り上げている姿は素晴らしい。」
・「今日は、観に行ってよかった! と思える素敵なコンサートでしたね🎶  歌が、讃美が、自然に心に入ってきました」
・「心と声と歌と音と、どこを取っても迷いやごまかしがなくて、とても心地よく繋がっていました。伸びやかで爽やかで清々しくて、あまりの美しさに何度も涙が出てしまいました」

by しん1

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