聖書の中で、傷ついた旅人を見て、サマリア人が「憐れ」に思うという場面がある。この「憐れ」は原語では、「内臓をひっかき回され、ひきちぎられるような痛み、苦しみを覚える」という意味だと教えられた。「ケア」という言葉も、元の意味は「悲しみを共にする」である。

8月、広島、長崎、終戦記念日、様々な思いが交錯する。「平和」を考える日々が続く。原爆や戦争で失われた命、被爆者の苦しみ、遺族の苦悩、そうした人々の思いに心を寄せ、他人ごとではなく痛みと悲しみを感じるものでありたい。

しかし、「平和」とは、本来「平和と公正」を意味している。ただ単に「紛争や戦争のない状態」ではなく、誰もが、どこに生まれようと、どんな病気や障がいがあろうと、人として大切にされ、その人らしく生きていくことのできる社会という意味である。

筋ジストロフィーで既に亡くなったMさん、車いすで積極的に街に出ようとバリアフリー運動を展開しているTさん、Sさん、難病に苦しみながら生きることの大切さを説くPさん、全盲で我が家によく出入りし、今は社会人として活躍しているFさん、障がある子どもを一生懸命育て、支えたOさんの家族、そうした人々と出会い、苦しみや悲しみを聞き、ある時は、共に喜ぶ中で、実は私のほうが、多くの大切なものを受け取っている。
そうした人々を思い浮かべ、また様々に報道される被ばくや戦争の悲惨な実態を見るにつけ、「平和な社会」を希求する。

しかし、平和憲法に関わる様々な問題、世界を見渡せば止まない紛争、社会的弱者への差別、貧困や飢餓の中で、何ができるのかとも思う。

だが、「ビリョク(微力)だけどムリョク(無力)じゃない」という核兵器廃絶を訴える長崎の若い高校生たちの合言葉に励まされる。自分にできることを小さくても一つひとつ丁寧に取り組んでいきたい。

by とうちゃん

今年の春、大学を卒業して出版関係の会社に勤めだした息子から、読み終わったから母さん読んでみなよ、と一冊の本を手渡された。

三浦綾子さんの「塩狩峠」
20代の頃、読んだことがある本だ。
タイトルページをめくると・・・

一粒の麦
地に落ちて死なずば
唯一つにて在らん
もし死なば
多くの実を結ぶべし
   (新約聖書 ヨハネ伝12章24節)

このみことばですら、ここに記してあることさえ、すっかり記憶から遠ざかっていた。
読み終わった息子に、感想を言って貰った。

つまり・・・殉教といいうことでしょ?主人公はキリストでしょ?

普段、教会に見向きもしない息子が、私が若い頃に読んでいたことを知らずに、母さんいいよ、この本、と薦めてくれた息子の口から出た言葉が嬉しかった。
あらためて読み進めていくと、若い頃に感じていたものとは、全然違う感受性をストーリーの中に見つけていける。

登場する主人公も、キリスト信仰する母に対して素直に身を預けることが出来ないで生きてきた。
私の息子と重なる・・・
しかし、息子はこの本を私にプレゼントしてくれた。
私には焦らずに、途方に暮れるかも知れないプランが用意されているのかもしれない。

あらためて、大切な一冊として書棚にしまっておこう・・・。

by MxM

 小学校6年生のMちゃんは先日、修学旅行に行きました。行き先は日光です。はるか昔、私も修学旅行は日光でした。修学旅行のプログラムに「日光東照宮内にて、お祓いを受ける」と説明が書かれていたそうです。Mちゃんはクリスチャン。お母さんもお兄さんもクリスチャンです。「お祓いを受けなければならないなら、修学旅行に行きたくない」と思っているMちゃんの気持ちを知ったお母さんは、担任の先生に相談に行きました。

 お母さんは「我が家はクリスチャンなので、お祓いは受けたくないです、どうしたらいいですか?」。担任の先生は「ではその間だけ外で待っていたらどうですか?」との提案。お母さんはMちゃんと話し合い、Mちゃんの決心がかたいことを確認してお祓いの間、外で待つことにしたそうです。

 お母さんも私たち教会のメンバーも、たった一人でクリスチャンとして「他の神様を拝まない」ことを実行するMちゃんに静かな祈りの応援をしました。修学旅行当日。学年全員が靴を脱いで東照宮での参拝の間、Mちゃんは廊下で待っていたそうです。

 修学旅行から帰ったMちゃんからは「修学旅行楽しかった!」とお母さんに報告があったそうです。私は胸が熱くなりました。Mちゃんから勇気をもらいました。私たちは小学校6年生からも学ぶ時があるのです。

日曜日のメッセージが「カナの婚礼」で、ぶどう酒にまつわる話だったというわけでもないが・・・・・・・

毎週日曜日は家族揃って教会へ!
私の場合は、そうはいかず・・・夫・息子二人・実母の5人で暮らしているが、日曜日に教会へ出かけるのは私ただ一人である。

今年は町内会の班長が回ってきて、これも日曜日などに班長会議があったり、街の催しもあったりで、けっこう忙しい。
大半は夫に任せて礼拝に出席している。

母も、日曜日くらいは何もしたくない!と言いつつも、昼近くに起きてくる息子達の食事の世話をしてくれている。

教会に行くのは私一人だけれど、その私の教会通いを、この5年近く見届けてくれている。このことには心から感謝している。

 小学生の頃、家族5人でよく東京湾へ出かけました。両親の唯一共通の趣味が、釣りでした。船をチャーターし、船頭さんと一緒に沖の魚が群れる場所を目指して出発します。ミミズのような餌をつけることが苦手だった私は、母や船頭さんにつけてもらいました。釣り上げた大量のハゼを家に持ち帰ると、祖母が天ぷらにしてくれました。その味は絶品です。

 結婚して家庭をもち、夫が献身しました。神学生時代に住んでいた福岡の家は、目の前がガリラヤ湖を思わせる玄界灘の海辺でした。夕食が済むと、よくこの海辺に座って海を眺めました。そうすると、イエス様のお弟子さんになったペテロさんやヤコブさんたちの姿が目に浮かぶのです。息子はこのガリラヤ湖のような海で泳ぎ、釣りをしました。そしてバプテスマを受けました。

 ガリラヤ湖で、イエス様が4人の漁師(ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ)に「わたしについて来なさい」とお命じになった話は有名です。4人は網を捨て、イエス様に従いました(マタイ4:18-22)。藤木正三先生は言います。「私たちはこの4人のように網も船も持っていませんが、だからと言って何も捨てなくて良いのではありません。私たちは人によって違いますが、捨てるべきものがあります、富や名誉、怒りや憎しみ、打算やずるさ、見栄や逃避の心・・・・」。

 私も捨てなければならいものがあります。たくさんあります。年齢を考え身軽にしようと、持ち物は少なくするよう心がけています。夫には「あなたは物を捨てる名人だ」とよく言われます。しかし肝心の心の中は、中々捨てられません。私の信仰は、まだまだ工事中です。

ハレルヤ!

ここ最近、映画や芝居で聖書関連の作品上演や上映が続いている。

シスターアクト、天使にラブソング
ノア 約束の方舟

日曜日、礼拝のために教会へ行く人より、映画館やホールに足を向ける人達がはるかに多いことは、日本人の一つの特徴かもしれない。
登場人物が現れ、台詞を放ち、シーンを盛り上げる音楽が流れる、その場面に自分が置き換えられているような錯覚を覚える方が分かりやすいのだろうか...

具体的なものは、感受性を錆び付かせるけれど、確かに人々と共有しやすいことはある。
『お姉さんは何故聖書を読むの?』
妹から質問されたことがある。
『心が奪われて、うっとりするからよ、それを感動するとも言うけれど...』

魂を捧げてもいいわ、と思える瞬間は身体がリラックスして心地好い。

聖書に登場する人物を通しても、苦難や嘆きの先に神様に身を投げうる姿が写し出され、その瞬間の描写に自分が静止するのが感じられる。

最近、聖書の人物辞典という本を購入しました。125人の人物と聖人たちがわかりやすく描かれた本です。

しばらくはこの本を読みながら、聖書と照らし合わせ、神様が与えて下さるイマジネーションを働かせましょう。

梅雨のひと時に、晴れ間が感じられますもの。
by MxM

・綾子さんは、宇都宮バプテスト教会員です。86歳になられました。綾子さんの口ぐせは「いやあー先生!!イエス様って素晴らしいですねーー!」。綾子さんとお会いして話をしていると、何度も何度もこの言葉を聞きます。私にはこの言葉が、イエス様をほめたたえる言葉、そして感謝の言葉に聞こえるのです。

・綾子さんは感謝ばかりの、問題のない人生を歩まれたのでしょうか?そうではありません。綾子さんには呼吸機能障害(身体障害1級)があります。薬が飲めない特異体質です。たくさんの困難を抱えて生活しておられます。でも、綾子さんは信仰を持った若い時から祈りの人でした。ご主人はクリスチャンではありませんでしたが、ご主人の転勤で、東京、青森、仙台、大阪、明石、神戸・・・・など転々とされ、どこへ行ってもその場所で、家を解放し、家庭集会を開きました。

・私はある時綾子さんに聞いてみました。「綾子さん、一週間に一度、毎週毎週お家を解放して、家庭集会をするのは大変じゃないですか?」。綾子さんの答えはとても爽やかでした。「人のためにやるんじゃないの、自分のためにやっているのよ」。とても軽々と仰るのです。「だって、イエス様を我が家にお迎えするのよ。牧師先生にもなるたけ来てもらうの。そしたら、イエス様を一緒にはこんで来て下さるからね(笑)。そうすると、我が家が祝福されるでしょ、私が祝福されるでしょ!」。とても大切なヒミツを教えて頂きました。

・大阪でご主人が救われ、また多くの方がその家庭集会から救われました。その方々は今でも、各地で祈りの絆で結ばれているそうです。私はひそかに『綾子さんの祈り軍団』と呼んでいます。私も綾子さんのように、いつもいつもイエス様をほめたたえ、感謝することができますように。

5月10日、JOYチャペルで私が所属する「緑園マザーズゴスペル」という
コーラスグループが、礼拝堂をお借りして母の日コンサートを開催しました。
RMG2014.jpeg

来場下さった100人のお客様。
支えて祈って下さった教会員のみなさま。
コーラスに演奏の力を貸して下さった「スッカ」のメンバー。
練習指導下さるディレクター。
そして一緒に練習を重ねたメンバー。
何より・・・私たちを見守って下さった石田先生。
このすべてを繋げて下さった神様に、心から、心から感謝致します。

コンサートには、近隣に住まうクリスチャンではないお客様がたくさんいらっしゃいました。
コーラスメンバーも、ほとんどがノンクリスチャンです。
そんな私たちに礼拝堂を開けて、毎週練習場所として提供下さり・・・
でも、教会内に溢れた賛美は、そうであるものも、そうではないものも、
主がいらっしゃる場所で一つとなっていました。

神様のプランと演出は、声を重ね、喜び合う瞬間を映し出します。

石田先生が、初めて練習した日に読んで下さった聖書の箇所が忘れられません。

息あるものはこぞって 主を賛美せよ。ハレルヤ  詩編150:6

by MxM

・我が家に時々、いえ、たまーに突然、犬のふうた君とHちゃんが来てくれます。
 この突然の2人?の来訪に、私も夫も大喜び!!買い置きしてあるドッグ用のおやつをあげたり、付き添いのHちゃんにも、おやつを振る舞います。
 「よく来てくれたねー」と言う私にHちゃんは「だって、ふうたは勝手にここに向かって走るんだよー」と優しい配慮の言葉。15分ほどで2人?はまたお散歩のつづきに出かけていきます。
 ふうた君は私たち2人のセラピードッグです。

・先日JOY教会に、I教会の牧師Y子さん(ご主人も牧師)が来訪されました。
 この牧師家の愛犬が、リック君(正式名コトレルリック・カーソン)です。
 教会幼稚園の副園長でもあるリック君。以前は飼い主に捨てられ、心にキズを受けて
 いました。そんな中、牧師家に引き取られ、家族の愛情で癒されて・・・
 ・・・今では一日中、園児と楽しく過ごし、それはそれは慕われているそうです。

・このごろ駅などで、セラピードッグへのカンパのお願いをよく見かけます。高度の訓練を受けて、触れ合いや交流を通じて、人々をなぐさめ、不安を減らしたり、気力を高めたり。
 その活躍の場は広がっているようです。神様は特別な賜物を犬に与えられたのですね。

・福島第一聖書バプテスト教会牧師、佐藤彰先生宅の愛犬パピは東日本大震災によって、
 翻弄され、震災2年後に体調を崩し、息絶えました。
 この愛犬 パピが主人公で佐藤先生夫妻が絵本を出版されました。

 「くびわをはずしたパピ パピの東日本大震災」 自由国民社より

11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21

過去の記事