・私の敬愛する牧師先生のインターネットのコラムを読んで嬉しくなりました。
 そこには「WBC たかが野球ですが」と題して書かれていました。
 『・・・・おりしもWBCの日本対チャイニーズ・タイペイのゲームが組まれて
  いたのです。 
  その夜、両チームは5時間の激戦をくり広げ、日付が変わるころかろうじて
  日本が勝利を収めました。稀に見る名勝負でした。
  台湾の監督は試合そのものに「感動した」と語り、ーー中略ーー
  翌朝は東京ドームのホテルロビーには、多くの日本人ファンが、台湾チームの
  選手の見送りに集まり、感動と感謝を伝えたとのことです。
  しかし 感動は両国の間だけではありませんでした。 
  中国本土のネット上でもこの試合に心がゆさぶられた人たちが 
  「やっぱり日本は強いな」「台湾はすばらしい」と書き込んだそうです。
  日中韓台、4国は過去の経緯からそれぞれ関係がギクシャクしてきました。
  しかしたった1つの白球を見つめて、互いに歩みよれるのですから、不思議です。』

私たちクリスチャンは、イエス・キリストの十字架を見上げるならば、
 世界中のすべての人々がゆるしあい、歩み寄り1つになれると信じます。

・ちなみに私の行くクリーニング店は不思議なキャンペーンをしてました。
 〜WBCの試合に日本が勝利した次の日は20%OFFです。〜
 洗濯物を持ってでかけました。

・年々「もう クリスマス?」と思うほど、11月に入ると街中、商店もデパートも
 クリスマスの飾りが溢れ、街にはクリスマスの曲が流れ、クリスマスムードで
 いっぱいです。

イースター(復活祭)もクリスマスほどではありませんが、お店にはイースターカラー
 (薄いピンク、黄色、ブルーなど)のたまごの形を染めたお菓子や、
 うさぎを型どったお菓子や最近はチョコレートをイースターカラーでコーティング
 したものなどが並んでいます。

・それらのお菓子やたまごを隠したり、探したり、楽しいゲームもイースターならでは
 のイベントです。
 しかしこれらのたまごも、うさぎも厳密に言いますと、キリスト教信仰とは
 なんの関係もありません。

イースター(復活祭)は約2000年前十字架にかけられて死なれたイエス・キリストが三日目に復活したことを記念する日です。
 それで、キリスト教はイエス・キリストの復活を祝うもっとも重要な日、
 それがイースター(復活祭)なのです。
 もともとは鶏卵を染めたり、塗ったりしたゆで卵を飾ってイースター(復活祭)
 そして春を祝ったそうです。

3月31日(日)はイースター(復活祭)です。教会でご一緒に復活の
 イエス・キリストを礼拝しましょう! 是非おいで下さい。

・賛美歌21(日本基督教団出版局)には、名曲といわれる賛美歌が
 数多くあります。 
 下記の曲もそのうちの1曲と言えるでしょう。
 イースターに歌われる歌です。
「575番」歌詞がステキなので読んで下さい。

 「球根の中には」

 1 球根の中には   花が秘められ
   さなぎの中から  いのちはばたく
   寒い冬の中    春はめざめる
   その日その時を  ただ神が知る

 2 いのちの終わりは  いのちの始め
   おそれは信仰に   死は復活に
   ついに変えられる  永遠の朝
   その日その時を   ただ神がしる

・<復活>についてマルティン・ルターは書いています。                「イエスは ここには おられない」新約聖書マルコ16:6 
    
 クリスチャンはキリストのいらっしゃる所にこそ、いるべきです。
 もしもキリストが墓におられないとすれば、クリスチャンもそこに
 いるべきではありません。
 
 墓の中には布が残っているばかりでした。
 墓の中に残された布、それはこの世のものです。      

・私たちの教会は、小さい子どもさん連れのお母さんが礼拝に集中出来るように、
 子どもさんをお預かりします。
 礼拝の前半はお父さん、お母さんと一緒に礼拝に参加、後半は二階に移動して
 子どもの時間。
 これが「ナースリー」です。

・0歳から小学校1年生ぐらいまでが対象です。
 2名のスタッフがお世話致します。 
 スタッフは子育てがちょっと一段落した先輩ママや、ほぼ子育て終了?のベテラン
 ママ、そして、若いお兄さん、お姉さんがアシスタントとして遊びのお相手を
 いたします。

・お兄さんたちはみんな体育系ですから、幼児が思いっきりぶつかって行っても
 大丈夫!大丈夫!
 歌も歌います。ゲームもします。そしておやつタイム。
 この時はお行儀よくイスに座って、おやつが配られるまで(手はお膝!)です。
 そしてお祈りをして「いただきま〜〜す!」とご挨拶します。みんな笑顔!!

・メッセージが終わるころ、ナースリーの子ども達は礼拝堂にもどり、
 最後の賛美歌を一緒に歌います。
 そして 祝福の祈りを受けます。

・聖書の中には、イエス様が子ども達を大切に思っていらした事が記事として
 残されています。
  「子ども達を私のところに来させなさい、止めてはいけません」
                           マタイ19・14
 大人が(イエス様のお弟子さんかもしれません)止めようとする場面が
 あったのでしょうか?
 子ども達はイエス様のそばに行きたくて、争って行った様子を想像します。
 きっと、イエス様のそばは居心地がよかったのではないでしょうか。

・礼拝が終わると玄関エントランスに、コーヒー(紅茶も有り)とちょっとした
 お菓子が並んでいます。
 このコーナーを別名「お土産コーナー」とも呼ばれています。
 それは誰かが出張した時や里帰りした時、家族旅行した時、お土産を持って来て下さい
 ます。
 また中学生、高校生も修学旅行の時おこずかいの中から教会にお土産を持って来てくれ
 ます。
 そうそう、若い青年たちがスキーに行った時もお土産がありました。ですから、
 この「お土産コーナー」には各地のご当地のお菓子が並ぶのです。

・北海道から、青森、岩手、秋田、そしてアメリカからも、インドの出張からの
 お菓子、ミャンマーからも、タイから、京都、奈良、日光、広島、沖縄、福岡、
 大阪、まだまだ・・・・・富山、福井・・時には手作りクッキーが並ぶことも。

・だから、礼拝が終わって、スモールグループが始まる前に皆ゾロゾロとエントランスに
 向かい、コーヒーとお菓子を持ってグループの席に戻ります。
 おかげで、とてもなごやかに話が進みます。
 大人もこどももみいーーんな笑顔です。
 なんにもお土産がない時も小さなかごにキャンディが入っています。
 これも誰かが、そっと、補充して下さっているのです。
 ちょっとした心使いと、ちょっとした旅のおすそ分け気分が神の家族をなごませます。

・私たちの教会が「元気で明るいね」と時々言われますが、それはこの
 「お土産コーナー」の存在が大きいかもしれませんね!

・ちょうど6年前のレント(受難節)の頃、福岡の友人とゆっくり話をしたいと思い、
 会うことにしました。
 友人が、ここならきっとゆっくり話が出来るし安いと選んでくれた宿泊場所が
 カトリックの施設「黙想の家」でした。
 福岡県内です。
 石造りの立派な素晴らしい建物でした。 
 二人で到着し、チェックインをして友人と私は顔を見合わせ。
 「しまったあーーー!!!」
 この施設はその名の通り「黙想の家」
 いっさいおしゃべり厳禁!しかも全館一人部屋!

・食事の合図で食堂に行っても友人と話も出来ず、しかも私は日頃の親切心で
 並んで順番を待っている人にお味噌汁をついであげたら
 『ご自分のだけでいいです』と注意されました。
 ごはんとお味噌汁とたくあんの、ポリポリと言う音しか聞こえません。
 「あああ・・・今は受難節だったぁ・・・」

・しかし神様は素晴らしいプレゼントを用意しておられました。
 この日夕食後レントの時期に一夜だけのプログラムに参加できました。
 それはこの石造りの建物の前庭に松明(たいまつ)がたかれただけの
 暗い場所での聖書の朗読でした。

・「ヨハネによる受難」と題して神父さんが聖書を一字一句暗誦されました。
 3月末とはいえ冷たい夜風が吹き、松明(たいまつ)の炎と火花が舞い上がる中で、
 神父さんの声は響きました。
  『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった・・・・・・』

・この時のDVDを私たち二人に特別にと、一枚ずつプレゼントして下さいました。
 神父さんは、どうも私たちがとまどっている様子を見ておられたようです。
 そのDVDは私の宝物の一つに加わりました。
 そして毎年この時期1回だけ見ることにしています。 
 これが私の受難節です。

 

・私たちの教会は礼拝の後、少人数のグループ(8人〜10人)に分かれます。
 AグループからHグループまで、中学生以上の人は参加します。
 その日聞いたメッセージの感想が主ですが、日常生活の中でその時感じている事を
 話して下さる方もいます。
 また学校生活のことも、家庭生活でのことも話題になります。
 時には時間オーバーでとても楽しく盛り上がっているグループもあります。

・私のグループには若い高校生男子が2名います。(どのグループにも中学生、
 高校生が数名入っています)
 この2名の男子高校生の発言は私たち大人には、とても新鮮です。
 彼らも、友人関係や部活の事など、たくさん、たくさん課題や問題、ストレスを
 抱えながら、その事にクリスチャンとして向き合って歩いていることが、
 その率直な言葉から知らされます。
 そんな彼らに私たち大人は、ただただ祈りのエールを送りたい!

・スモールグループにはルールがあります
   ・発言はなるべく2分以内にまとめる。
   ・他の人の話している時、口を挟まない。
   ・この話し合いは互いに支え合うことであり、直してあげることではない。
   ・攻撃的な言葉を使わない。

・先日このスモールグループに新しい参加者が一人増えました。
 S・Oさん60代男性です。ずっと待っていた方です。 

・先日お嫁さんの車に同乗して出かけました。
 その車中での話題はナビゲーションのこと、とにかくナビを装置してから、
 この便利なものに頼りすぎていること、人間本来持っている感覚が
 ナビのおかげで、すっかり鈍ってしまっていることでした。

・ナビを使わないで、地図と本来の感覚を頼りにしている人の方が、
 方向感覚が優れていることに気づきました。

・うちの教会のI・Mさん(女性)はその代表とも言う方です。
 I・Mさんの車にナビは付いていません。
 地図と感覚を頼りに遠近関係なく、どこでも出かけます。

・車中の話し合いの結論は
 『ちょうど今年も始まったばかり、私たちもナビをなるべく使用しないで、
  地図を調べましょう。そしてナビが無かった時の感覚を取り戻そう!』
 と言う事になりました。
 そのためには、新しい地図が必要でしょう。
 なにしろ私の地図は15年前のですから。

・数日後 書店に入り地図売り場を目指しました。色々あります。
 太字で見やすいもの、 抜け道が特徴のもの、etc・・・・・
 そして、値段を見てビックリ!!
 15年前の地図の倍の値段でした。
 その日はそのまま書店を出ました。

・今聖書通読はパウロさんが書いたコリントの信徒への手紙を読んでいます。
 パウロさんが伝道旅行した時代の地図はどんなだったのでしょう。
 イスラエルから出発して、徒歩、らくだ、馬、船などでローマを目指したパウロさん。

・イエスさまが誕生された時、東方から三人の博士が来た記事があります。
 その一人は地理学者だったと聞きました。

・パウロさんの旅行も地理学者が同行してましたか?
 それとも星を頼りにしましたか?
 ナビゲーションのことから思いをはせました。 

〜オリーブの香り〜 No41 『祈りが必要』  

ゆっこ

・私はamazonを利用して本を買います。少しでも安く購入したいので、必ず
 中古で買います。(ほとんど新品同様)  先日2冊注文して、1冊は届き
 ましたが、残り1冊が二日たっても届かない(前例がない)
 今日は届いているかと楽しみにポストを開けたが入ってない(この時pm1:30ごろ)
 仕方なく注文番号を頼りにパソコンで追跡しましたら、(pm2:10投函済み)
 とのこと、「えッーーー!!」と急いでポストに行ってみると、ちゃんと入って
 いました。
・あまりの凄さに興奮して 夫に「凄いよ!凄いよ!このヤOト運輸!!ポスト
 投函までコンピュータで管理されてる!」
 しかし 夫は冷静でした。『もうすぐ私たち一人一人も番号で管理されて、その
 荷物と同じようになる日も近いんじゃないかなーーー』
・今日クリスチャン新聞が届きました、2月11日の(信教の自由を守る日)の
 特集でした。信教の自由が脅かされつつあります。
 聖書はこう言います
 「そこで まず第一に勧めます、願いと祈りと執りなしと感謝とをすべての
 人々のためにささげなさい。
 王たちや すべての高官のためにもささげなさい。私たちが常に信心と品位を
 保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」
   聖書第一テモテ 2:1−2
  国家と、国家の指導者のために祈る波がおこされることを切に祈ります。

・西南学院大学神学部 学生会発行「道」を読みました。 
 教授K師の文が面白く、共感しました。 
 「音楽とネコ」と題して、K師が若き日あこがれの人で、医者であり、神学者であり、
 またオルガンの名演奏者としても有名な、アルベルト・シュバイツァーについて
 書いています。

・『シュバイツァーの格言のひとつ「人生の苦難からの避け所は二つある、
  音楽とネコだ」  
  シュバイツァーは音楽家でもありまして音楽が彼にとって人生の避け所だった
  というのはよくわかる話です。
  しかし猫は? これは私には理解不可能です。
  なぜあんな怪しい動物が苦難の避け所になるのでしょうか。
  子どものころ、我が家でも猫を飼っていたことがあるのですが、人が用事をしている
  所にひっそり忍び寄って、私の足に頭をこすりつけたりする。
  突然の不意打ちですから、わっと飛び上がったことが何度もあります。
  世の中には犬好きと猫好きがいるそうですが、私は断然、犬ですね。
  そしてやっぱりシュバイツァーはすごい人だ、というのが
  今回の私の結論であります。』

・私は結婚直前、夫の家に行った時、掘りコタツに足を入れたとたん、足元に何か
 動くものにふれ、突然の不意打ちをくらい、悲鳴をあげ、飛び上がってしまいました。
 猫がコタツの中にいたのです。
 それ以来、夫の母いわく「あれ以来、あの猫ちゃん姿を消してしまったのよ。。。」
 と言われ、何となく猫に恨まれたと言う思いが拭いきれません。

・聖書にはエレミヤ記46章に「ネコ」と言うエジプトの王様の名前がありますが、
 「猫」は出ていないようです。
  あなたの苦難の避け所は、猫派? 犬派?

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