〜オリーブの香り〜 No39 『私の儀式』  

ゆっこ

・毎年、予防接種のおかげでインフルエンザにかからず、10年ぐらい過ぎましたが、
 今年のインフルエンザは強力だったのか、ついにかかってしまいました。
 身体中の骨がバラバラになるのでは?と思うほど痛みました。熱も出ました。
 隣に寝ている夫を起こすのも気の毒で、自分で氷を取ってきたり、保冷剤を取って
 きたり・・・・水分補給して、汗かいて・・・・先生から頂いたお薬を飲んで何日
 かたつと少しずつ治ってきました。
 もうそろそろいいかな? もう大丈夫!と思った朝、儀式が始まります。

儀式1  まず窓を開けて空気を入れ替えます、着ていたパジャマ、シーツ、
 掛けフトンカバー、枕カバー、・・・ぜーーんぶ洗濯機へ、そしてスペアの
 シーツを出して、掛けフトンカバーの付け替え(これは結構体力がいります、4隅の
 ひもをきちんとしないと使用中にズレます)まだ体力が戻ってない時のこの儀式、
 でもこれをしないとスッキリしません。

・家族が病気の時も同じようにこの儀式、その場合、私は体力全快ですから
 「まだいいから・・・」と言っても引きはがします。

儀式2  家族が一泊でも外泊する時は、出かけた後 それ〜〜!と
 これまた上記の儀式と同じく一式全部お洗濯!  
 そしてきれいにベットメーキングしておきます。
 帰宅した家族に「自分のベットで寝るのが一番キモチい〜〜〜!」と言ってもらう
 ためです。  
 どこかの洗剤の宣伝みたいですが。。。

・このことは明治生まれの祖母に結婚前に
  「寝具をきちんと清潔にすることはとても大事なこと」と教えられました。

「自分にもして欲しいと思うことは人にもしなさい」(ルカ6:31) 
                     とイエス様はおっしゃいました。

・ちょっと硬い話ですが、カトリック教会とプロテスタント諸教会は教理上の違いから、
 それぞれ異なる聖書を用いてきました。
 20世紀後半、エキュメニズム(教会一致運動)の流れに沿って、カトリック教会
 とプロテスタント諸教派が世界各国で共同で聖書の翻訳に取り組みました。

・日本でも、この流れを受けて超教派のメンバーからなる翻訳委員会が結成され、
 約10年近くかけて、1978年に共同訳聖書(新約のみ)が刊行され、
 その後時を費やし旧約も刊行されました。

・私たちの教会も3年ほど前に全員で新共同訳聖書に切り替えました。
 50年以上、口語訳聖書に親しんできた私、一番とまどっているのは地名、人名です。
 この頃新約聖書を読んでいても、「あれ!この人前どんな名前だった?」
 『あれ!この地名は?」と口語訳聖書を持ち出し、開いて「あーこれか、納得」
 言う具合です。

・どうも私の感じでは、口語訳は日本人が発音しやすいように訳されているように
 思います。
 例えば
   口語訳(テテオ・コスト)→新共同訳(ティティオコスト)
        (カヤパ)          (カイアファ)などなど。

・新共同訳聖書はそれぞれ、旧約はヘブル語から、新約はギリシャ語から、特に
 固有名詞は原音に近い表記がされているそうですから、何とかこの発音しにくい、
 人名、地名に慣れ親しまなくてはなりませんね。

・ちなみに、アメリカに留学していた娘が聖書の授業で、ペテロがピーター
 ヨハネがジョン、マタイがマシューなど、やはり人名に戸惑ったと言っていた
 のを思い出します。
 

・もうすぐクリスマスと言う時、ハガキが届きました。
 毎年この時期(アドベント)に届く、クリスマスと新年を兼ねたものです。
 ちょうど、ハガキが届いた日は政権交代が大々的にニュースで報じられた日
 でした。

・このハガキに大きく写真が載っています。
 それは「非戦の誓い」と題され「日本国憲法 第9条」が刻まれた記念碑を真ん中に
 ハガキを下さったご夫妻が写っています。
 80歳を悠に越えられたお二人です。
 お二人は平和憲法を喜び、平和憲法が失われないように、平和憲法が曲げられない
 ようにとの祈りから、この記念碑の前に立たれたのでしょうか。

・暗闇に進んでいるかのように思うこのごろ、さらに加速していく気配を感じる
 2012年暮れでした。

・今こそイエス様が暗闇の中に光として誕生されたことを感謝し、
 光なるイエス様から目を離すことなく、歩んで行きたい思います。
 神のことばという動くことのない、変わることのない規範を持つキリスト者は
 希望を失うことなく祈る時です。

   「光はやみの中に輝いている、そして やみはこれに勝たなかった」
                        聖書 ヨハネ1:5  (口語訳)

・私の友人夫婦は結婚して12年目に女の子(Iちゃん)が与えられました。
 Iちゃんは生まれた時から身体に障害を持っていました。
 でもIちゃんは両親の愛情をいっぱい受けて、ステキな女の子になりました。

・私が小学生の頃のことです。
 父は牧師でしたから、我が家は貧しいながらもクリスマスは盛大に行われました。
 一年の一大イベントでした。
 まず夏以降は物を買ってもらえなくなります。
 私「鉛筆が欲しい」
 母「クリスマスにもらえるかも」
 私「靴がキツイ!」
 母「クリスマスまで待ちなさい」

・そうやって待ちに待った12月25日の朝、家族が全員揃って、クリスマスツリー
 の下に山積みになったプレゼントの箱から、自分の名前が書いてあるのを探しました。
 鉛筆も靴も、もっとビックリする物もありました!!
 その日の夕食はこれまた、母が腕をふるったターキー(七面鳥)料理。
 日本にはまだ七面鳥が入るオーブンなど無かった時代、母は宣教師夫人から
 お借りしてました。
 しかし、私はこの料理が苦手でした。が、母をがっかりさせないよう食べていたこと
 憶えています。
 本当に待ち遠しい、楽しみなクリスマスでしたが、私がクリスマスの本当の意味を
 知り、クリスマスを感謝出来るようになったのはず〜〜っと後のことでした。

「クリスマス」とはChristmas(キリスト)Mass(ミサ)に由来します。
 キリスト(救い主)を礼拝すると言う意味です。
 何故キリストを礼拝するのでしょう?
 それは天地創造の神が、その独り子なる神(イエス・キリスト)を
 約2000年前この世にお送り下さったからです。

  「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
   独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
                          聖書ヨハネ3:16

 メリークリスマス!

・イエス・キリストが聖書の約束通り救い主として、この世に約2000年前に
 誕生されたことをお祝いするのがクリスマスです。
 ナント!そのずっと前、古代の人は緑のリースを飾っていました。
 それは、冬の間中つやつやした緑色した常緑の針葉樹や、アイビーを生命力の強い
 シンボルとして、冬至のころから春になるまで、ドアの入り口や窓に飾りました。
 これらの常緑の木々は冬枯れの寒風の中でも、実を結ぶ力を持っているのです。

・何世紀もあとになって イエス・キリストの誕生日をこの冬至とあわせて祝い
 喜ぶことになりました。

・このことから、常緑の枝は「キリストの永遠の命」を表すキリスト教的
 シンボルとなりました。
 リースや円は永遠と愛を表し、赤はイエス・キリストの誕生を告げた全世界の喜び、
 そしてイエス・キリストが十字架で流された血をも表しています。
 金銀は高貴をあらわし、ベルは喜びのおとずれを告げるものです。

 だから、そう全世界中でクリスマスツリーやリースが飾られ
 そこに赤い飾りやベル、金銀の飾りがあふれるのです。
 メリークリスマス!

・先月(11月16日)に天国に召された渡辺暢雄先生は、最後の三週間を
 ご自宅のリビングで過ごされました。
 "リビング" それは家族が集う場所、憩う場所、そこに先生のベットが置かれました。
 足元には二匹の愛犬の寝床もありました。

・このリビングは特別の部屋でした。
 遠く長野県高遠の教会からは、2、3人ずつ入れ替わり、立ち代わり
 泊まり込みで付き添っておられました。
 またヘルパーさんも、ケアマネージャーの八木さんも、ドクターの小林先生も
 看護師さんも、お見舞いの方々、みーーんな渡辺先生と美枝子夫人を中心に
 時を過ごしました。
 ケアマネージャーの八木さんは夜、ギターを持って来て、一人で賛美を奏でて
 帰られたり、このリビングに集った人が賛美したり、おしゃべりして・・・・
 渡辺先生は聞いておられました。
 イエス様が居られる所って、こんなに素敵なんだと思わせて下さいました。

・もう一つ思い出
 10年ぐらい前、私たちの教会は渡辺先生をお招きして、特別集会を計画しました。
 私は世田谷のご自宅まで、お迎えに伺うことをお伝えしましたら、
 「それにはおよびません、自分で車を運転して行きます。
  ただ、ナビがないので、バイパスを降りた所からは先導、お願いします」 
 との事でした。
 さて、約束通り、バイパスの降り口に待機して、私は慎重に運転しました。
 バックミラーを見ますと、先生の車ははるか後方、これはまずい!!と
 速度を落としても、なかなかその距離は縮まらず、トホホホ・・・・・・  
 普通なら私の車と先生の車の間に4、5台割り込まれても不思議ではないのですが、
 教会に着くまで1台の進入もないまま、無事到着しました。

・私は自分が先導したと思っていましたが、本当は渡辺先生の車はイエス様が
 先導されていたのでは?と思います。
 マイペース運転でなく、この世の基準でもなくーーーそうとしか思えません。

・私たちの教会にも色々と奉仕の担当があります。 
 会計とか、教会学校教師とか、音楽(PA、録音、奏楽、バンド)とか、
 掃除、受付、駐車場、花担当などなど・・・
 その中に「心とからだのケアスタッフ」と言うチームがあります。
 メンバーはうちの教会の梅ちゃん先生ことKクリニックのDr.M子さんと、看護師の
 A子さん、市の放課後支援スタッフであり、園芸療法士のS子さんの最強チーム。

・13年前この教会を立ち上げる時、Dr.M子さんは
 「私に出来ること、お手伝いします」と申し出て下さいました。
 Dr.M子さんは神経内科が専門で、パーキンソン病などの難病に
 携わっておられました。ご主人(消化器外科で大腸の検査専門)と
 開業されてからは、在宅医療を中心に働いておられます。

・教会の多くのメンバーがこの「心とからだのケアスタッフ」の奉仕のおかげで、
 身体の悩みを共に考えてもらい、具体的に指導していただき、寄り添って
 いただいてます。

・中でも いちば〜〜ん頼りにしているのは牧師でしょう。
 もともとは虚弱体質で、一年の大半は風邪をひいていましたが、
 Dr.M子さんに健康管理をしていただき、今では一年の大半は元気で 
 伝道と牧会の働きに専念させていただいてます。

・聖書の記事にパウロ先生の伝道旅行には、お医者様のルカさんが同行したことが
 記されています。
 パウロ先生は幾つかの持病を持っていたとの事。
 お医者様同行の伝道旅行は心強かったことでしょう。

〜オリーブの香り〜 No31 『I君のこと』  

ゆっこ

・I君はチャーチスクールに通う小学校3年生。
 1年生の時バプテスマ(洗礼)を受けました。一人っ子です。
 I君はバプテスマ(洗礼)を受ける時「ボクと一緒にバプテスマうけませんか〜〜」と
 何人かの人に声をかけ誘いました。

・その訳は、私たちの教会は10年間、間借りをして礼拝をしていました。
 狭いビルのフロアにぎゅうづめの状態でしたが、そのビルを脱出して、
 新しく教会堂を建てました。
 その記念すべき最初のバプテスマ式だったのです。

・I君に背中を押されて、U婦人とM婦人が手をあげました。
 Mさんは「I君誘ってくれてありがとう!一緒にバプテスマうけまーす」と
 イースターの日に三人で新しい教会堂で最初のバプテスマ式になりました。

・そのI君、今将棋にはまってます。
 いつもはお父さんと対局しているのですが、牧師先生がそれではと
 牧師室に将棋セットを用意しました。
 早速日曜日の昼食後、I君のお相手にMさん(60代男性)が名乗りをあげました。
 この方にはさすがのI君も2敗でした。
 その後4人の壮年と真剣勝負。
 大人は疲れていましたが、I君はケロリ!

・I君の礼拝での席は一番後ろ。これ定席。
 I君のお父さんはそのまた後ろで、PA機器の横で録音担当。
 先日I君と話をした時「将来は?」の質問に「ボクはお父さんと同じサラリーマンに
 なりたい」と言ってました。
 ステキですね〜〜。いいお父さんなんですね。

・イエス様も30歳まで、お父さんの仕事(大工)を手伝いました。
 きっと仲良しだったと想像します。

・先日、私たちの教会の沿線にある超教派の牧師の会がありました。
 うちの牧師も毎回楽しみに参加してます。
 今回は一番近い、お隣関係の教会が会場でした。
 私は他の用事で一緒だったK姉に同乗してもらい、終わる頃を見計らって
 車で迎えに行きました。
 ナビを設定して行ったのですが、目的地近くに来たのでしょう
 「目的地周辺です、案内を終了します」とアナウンス。
 エッ〜〜〜!!教会は見当たらないけどオ。。。
 その時、車の脇を二人の婦人が歩いておられるのが目に入り、
 私はとっさに「スミマセン!この辺に ◯ ◯ 教会ありますか?」と聞きましたら、
 その二人の婦人、クスッ!と笑顔で『あら、そこですよ、ホラ すぐそこ!」と
 なんと、私たちは教会の数メートル前にいたのですが、目に入っていませんでした。
 急いでUターンしましたら、二人の婦人は笑顔のまま、手を振って、目指す教会を
 指して最後まで笑顔で見送って下さいました。 
 目の前に教会が見えました。

・二人の婦人の笑顔と、心よく案内して下さった姿が目に焼き付いています。
 この教会はこの地域に根ざし、また好意を持たれているのですね。

・私たちの教会も、植栽をしたり、看板も大きく建てました。
 外見は美しく、きれいに、目立つ教会になりました。

・ ◯ ◯ 教会のように地域に根ざし、聖書に書いてあるように、好意をもたれる
 教会になりたいです。

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