・日曜日の礼拝を終えて、午後K姉とMちゃんを送って帰る私の車の前にお魚マークの車が走ってます。
 「わあーー!クリスチャンだ!」 
「JOYの教会の人の車?」
  冷静なK姉「湘南ナンバーですからJOYの人ではないですね」でもなんだか盛り上がりました。

・実は私、娘の卒業式のためアメリカはテキサスに行った時、たまげました!!
 どこのスーパーもモールも駐車場はお魚マークのステッカーを付けた車が一杯でした。
 そこで私は「よーし 日本もこのお魚マークで一杯にしよう!!」とステッカーをいっぱい買って帰り配りました。

・このお魚マークの由来は、ギリシャ語の(魚)が<イエス・キリスト・神の子・救い主>の各頭文字を会わせた語に相当するそうです。

・私の車についてるお魚のステッカーを見て、何度か駐車場の係員さんに聞かれました。
 その時がチャンス!「クリスチャンマークでーす」と。
 このお魚マークご入用の方は私までどうぞ!
 このステッカー付ける運動今もやってまーす。
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夫が牧師になると表明したことで、夫の親戚からボイコットされた時期がありました。

その後私はいろいろ努力を重ね、年月が経つとともにもとの穏やかな関係を取り戻したころ、叔母から女性ばかりの京都旅行のお誘いを受け、同行しました。
叔母のお供といったところでしょうか。

ある有名なお寺に入った時、叔母に「さあ!せっかくだから ここで拝んでいきましょう!」と言われ、私は一瞬「どうしよう!!?」と思いましたが勇気を出して
「あの〜〜私はクリスチャンなので・・・」
と切り出しました。

すると叔母は「あっ!そうそう、そうだったたわね。じゃあ、ちょっと待っててくださいね」とあっけない返事。
その言葉の直後、もとクリスチャン(今は教会に行ってないので)J子さん
「あの〜〜〜私も一応クリスチャンなので・・・
と小さい声でしたがハッキリと申し出たのです。

J子さんは親戚が集う場で始めてクリスチャンであることを明らかにし、かくして私とJ子さんはしばらく外のベンチで待つことになりました。

この京都旅行は叔母のごちそうになりながらの楽しい旅でしたが、何よりも私にはJ子さんと二人でベンチで待ったあの時間が嬉しい思い出となりました。

「私、クリスチャンです」と言うには勇気がいる時もありますし、覚悟が必要な時もありますが、宣言した後は神様が何ともいえないさわやかさと平安を与えて下さること間違いなしです。

 「むなしいものを見ようとすることから、わたしのまなざしを、移してください。
                あなたの道に従って命を得ることができますように」

詩編119:37

ムコ殿がヨハネス・フェルメールに出会ったのは、イギリス留学中、一人で美術館に行った時だそうです。もう20年前のことだろう。
今年ムコ殿が初出版した本『ヒュウムの一般的観点』の表紙にフェルメールの「デルフトの眺望」を飾りました。

おりしも今年日本はフェルメール展でにぎわっていますが、ムコ殿の信仰の目を通してフェルメールの絵「地理学者」を熱く解説してくれました。

・先日次ぎのメールが届きました。
「息子(小学5年生)が花見に行きたいなーと言うので、夜桜を見に出かけました。
30分の制限付きで、帰りに数量を計ったら、1、2μSv/h (毎時マイクロシーベルト)
の数値でビックリして足早に帰宅となりました。
昨年度までの自粛や規制がうすれて来たなかで、放射線の数値が再び上がってきている
場所が多いのです。
現実では公表されている様子が見えないのも悲しいです。
そのような中、教育委員会の意向が言い渡されて 郡山市は学校の外体育の時間を
これまでの3時間規制を外して、子ども達を守る体制は学校や親に一任され
通常教育を敷く現状となっています。
親の選び取りが問われる時を過ごしています。

セシウム被害から身を守っていくため体に取り込む食品、食物がこれからも
問われていきます。定期的に内部被爆検査をつづけている現状です

・私が彼女の立場だったらどうしていただろうかと考えると、
胸が締めつけられる思いがします。
原発問題の解決は1年半たったいま、解決にはほど遠い、
むしろ問題の複雑さばかりが明らかになっていきます。

・少し重い気持ちでこの文章を考えていた時、神様から不思議なプレゼントが
ありました。
ナント!先週この5年生Y君とご両親がJOYチャペルに来て下さったのです。
Y君はなかなか教会の中に入ってこないで外でブラブラしています。
お母さんが「彼は外の空気を楽しんでいるんです』とおっしゃいました。

・そうかー、そうだったのー。
いっぱい この横浜の空気吸っていってね!そしてまた おいでね!
ーーーY君に会えてよかった!

ドタバタ ドタバタ・・・これは何の音でしょう?
   これは礼拝堂の上、2Fで教会のこども達が走り回っている音です。

・教会は年に二度、大切な集いがあります。(神の家族会)とよんでいます。
  世間では(総会)と呼びます。
   ちょっと堅苦しい感じがしますが、家族会ですから誰でも意見を言います。

・この家族会の間、こども達は2F全部占領して、思いっきり遊んでいます。
  卓球をしている子、本を読んでる子、小さい子のお相手をしている
  ちょっと大きいお兄さん、
  楽器の練習をしている子・・・・
  その音が1Fに聞こえてきます。それがドタバタ、ドタバタです。

・この音 私には「楽しーーい!」「楽しーい!」と言っているように聞こえます。
  多分 他の大人の人もそう思っているかもしれません。
  何故なら誰も「静かにしなさい」と止めにいく人はいないからです。

・このこども達、礼拝中はメッセージノートを書きながらとても静かです。
  そして小さいこどもは献金かごを前に持っていく役目をちゃんと出来ます。

 「君は愛されるため生まれた、きみの生涯は愛で満ちている。
   君は愛されるため生まれた、 きみの生涯は愛で満ちている・・・・・・・」

〜オリーブの香り〜 No.4 『挨拶』  

ゆっこ

「1日1章」を書かれた榎本保郎先生の貴重なメッセージテープを聞きました。
その中で先生は、挨拶をしない青年のことで悶々とした日を過ごしたとの事。
たった挨拶でと思いますが、人は些細なことで暗く、重い気持ちになります。
数ヶ月後榎本先生は思い切って大きな声で「おはよう!!!」と声をかけたら
「あっ!おはようございます」とあっさり返事がかえって来てスッキリしたと
のことでした。

先日大手百貨店の紳士服のバイヤーのチームにスポットをあてた番組をみました。
デパートの開店時といえば、あの有名なシーン。
制服の店員、男性職員も勢揃いで頭を下げて「おはようございます!いらっしゃいませ!」とお客を迎えます。
ビックリしたのは、この開店時間、お客の目に映る所だけでなく、店の裏、事務職の人全員が起立して、正面玄関の方向に向かって、頭を下げ、おじぎの姿勢で
「おはようごうざいます!いらっしゃいませ!」と挨拶してました。
お客の目に映る所だけでなく、見えない人も一丸となっている姿勢に緊張感が伝わってきました。このデパートは信頼できると感じてしまいます。

作家の江上 剛氏は「父から おじぎを通して人から信用、信頼を得る大切さを教えてもらった。」と言ってます。

イエスさまは復活されて、最初の言葉は「おはよう!」 でした。
なんと爽やかな、温かい響きでしょう。

「イエス・キリストに似た者となる」が神様の願いです。 
 
(2012・予算総会資料)

「おはよう!」からはじめてみましょう。

「受付は会社の顔」とよく言われます。
夫が友人の会社に二度目に行った時、受付の人が立ち上がり
「こんにちわ!○○様でいらっしゃいますね!」と言われ、
大いにビックリしたそうです。
大感激していました。 
自分が誰かに憶えられているって、嬉しいですね。

あとで聞いたところ、この受付の人の秘訣は来訪者の特徴を名刺のうらに
メモするそうです。
例えば、『メガネ・細長い顔・口は小さい・眉毛は八の字』というように
メモをしておいて、休憩時間にその名刺を見て復習するそうです。
すごいですね、このプロ意識!

他の教会を訪問して「ここは温かい教会」と感じるのは、どの教会も
共通して皆が笑顔で挨拶して迎えて下さることです。
教会は皆が受付です。
ですからお互い挨拶をして習慣が身に付くと、新しい方にも自然に
声をかけられます。私が神様に迎えられたのですから、それゆえ 
今度は迎える側になっていくのです。
配慮・心配りが挨拶です。

パウロ先生はローマ人への手紙からはじまるすべての手紙のはじめに
「わたしたちの父である神と主イエスキリストからの恵みと
平和があなたがたにあるように」
と繰り返しています。
先日伺った神奈川のS教会では、今月の礼拝後「受付研修会」が持たれます。
(共に主の恵みの中で生きていくために)だそうです。

「おはようございます!」と交わす声があちらこちらから聞こえる教会は、
素敵な教会だと思いませんか?

私は毎月アフリカのルワンダで働く佐々木和之宣教師を支援をしてます。

支援をすると、佐々木さんを支援する会から現地の状況や、佐々木宣教師の働きの報告を載せた会報紙『ウブムエ』をいただくことができます。
この(ほんの少しの)支援と会報が、私と佐々木和之さん、そのファミリー、またルワンダをつないでます。

今回『ウブムエ』No,20の巻頭言を書かれたのは武藤小枝里さん(人材育成教育開発専門家)です。
武藤さんは、二度目のルワンダ赴任(2007年)に佐々木さん一家と出会い、それからずっと佐々木さんの働きを見てこられた方です。
彼女は『2007年にルワンダに再赴任した時、ルワンダの未来を確信出来たのは、復興事業によって街並みが美しくなったからでもなく、新車で溢れる新しい道路を目にしたからでもありません。
気の遠くなるような、心の傷の癒しに向き合う佐々木さんの姿だったのです。
(この人は針の穴を通る覚悟をした人なのだ)と感じました』 と書いておられます。

17年前のルワンダ紛争の悲劇は年月とともに忘れさられそうな中、和解のプロジェクトを進めておられる佐々木さんの働きを祈り、応援し続けたいと思っています。

  『光は暗闇のなかに輝いている』 
       ヨハネによる福音書1章5節

佐々木和之さんは「私は信じます 神様の和解の働きは真っ暗闇にしか見えないような現実の只中でこそ進められていくことを」

*Joyチャペルの『佐々木さんを支援する会』については菊地さんが窓口です。

◆木曜日の昼の祈り会は16名~20名の出席に対して、水曜日夜の祈り会は8~9名と
ちょっと寂しい気がしていましたが、新しくレギュラーが与えられました。 高校生、
大学生が2~3名加わり平均年齢がぐっと下がりました。
このレギュラー以外の中学生、高校生も日曜日学校の行事などで礼拝に出席できないと、
水曜日の夜はお母さんと(お父さんの場合もあり)一緒に祈り会に出席する姿がある。

◆今日はT君がお母さんの横に座っていた。その座り方は"お母さんに連れてこられた!"
と物語っている斜め座り。
なんともほほえましい。皆で歓迎のまなざしで迎える。
イエス様も目を細めてごらんになっているでしょう。
T君のお母さんは牧師の娘。彼女いわく
「小さい時、母につれられて夜の祈祷会に出ていました。
昼間忙しい母の横にぴったり座っているこの時間は私の大好きな時でした」と。

◆パウロ先生に愛されたテモテの信仰は祖母ロイスから母ユニケ(エウニケ)へ、
そしてテモテへと受けつがれた事を思い出しました。

◆祈り会後半、2人づつペアで祈ります。
気がつくとT君はちゃんとK伝道師とペアで祈っていました。

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