ハレルヤ!

その声を〜ひとつにして〜
その心〜ひとつにして〜
あなたの、栄光のために
用いてください♬
※ワンボイスより

11月13日、Joyチャペルでは、ファミリーコンサートが開催されました。

始まる前に、椅子を並べて下さった方。
受け付け周りを整えて下さった方。
扉の前に花を飾り、チラシを貼り出して下さった方。
控え室の中を使いやすいようにして下さった方。
そして、お祈りに覚えた下さった方々。

未信者ばかりのゴスペルグループを、招き入れて下さるだけに留まらず、演奏に多くの時間を与えて下さり、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

16年、生活のほとんどを、このゴスペルコーラスグループに預け、途中バプテスマを受け、信仰の道を歩み、神さまを見上げ、みこころに耳を傾けたことによって、離れた人達と失った場所もあった。

しかし、一度も神さまの愛を歌うことを辞めることは出来なかった。

主が止めてくださらなかった...。

ファミリーコンサートには、40年来の友人5人が来てくれた。
そのうちの一人が、牧師の『内なる敵』の話と、教会のバンドさんに、教会の礼拝に出てみようと言う気持ちにさせられた、と言った。

嬉しかった。
ただただ嬉しかった。

私が友人だからではなくて、親しみやすいコンサートだったからでもなく、もっと深く直感的な主の働きが及んだ事を感じた。

覚えた曲を、練習の成果を感じながら、仲間と共に歌う喜びを遥かに超えて、私は主の道具となり、魂を預け、同じ信仰の道を歩む者を探り当てる時、曲の歌詞に光を見る喜びを知る。私にとってゴスペルとは、この瞬間のための音楽なのだ。

今日の礼拝で、40年来の友人と肩を並べて主を見上げた。
彼女は呟く...Amenと。

by MxM

先日、教会の話し合いで、お墓を購入することが決まった。ただ、教会のお墓と言っても、何せお金がないものだから、かなり小さいものだ。それでもJOYチャペルとしては、ひとまずこれで、ゆりかごから墓場まで、形は整うことになる。

日本では、ご先祖様を供養するとか、形見を残すとか、そういうことで遺骨は大切にせねばと思う人が大多数だろう。クリスチャンと言えども、そのような影響を知らず知らずに受けているかもしれない。そこまではいかずとも、自分の遺骨も含めて、最後はどうしようと考える必要はある。遺骨をずっと家に置いておくのも何なので、どこかに散骨でもしない限りは、お墓に入れることになる。そんなとき教会にお墓があれば、わざわざ別に探す必要もなくて好都合だ。きっと毎年の召天者記念礼拝で思い起こしてももらえることだろう。また、教会のお墓に入っていれば、もしも自分に子孫ができたとき、ご先祖様はこの世にクリスチャンとして生きていたぞという証にもなるだろう。教会としても、死んだ後まできちんと面倒見ますということで、お墓は必要なのかもしれない。

お墓や遺骨については、個人個人で考え方や境遇など千差万別だろうし、そう簡単に言えることでもない。教会の話し合いでも、若い人から年配の人までいろんな意見が出てきて、結構おもしろかった。私としても、これまでお墓にはほとんど興味はなかったのだが、そんなこんなでいろいろ考えていると、だんだん教会のお墓の中に吸い込まれそうな気もしてきた。まあ、それならそれでもいいか。

By A5

私は高校卒業まで教会には全く無縁でしたが、22歳の時のちの妻が日曜日の礼拝に誘ってくれたため、教会に足を踏み入れることができました。
妻の誘いがなかったらクリスチャンにはなっていなかったでしょう。
ただそれ以前の4年間でも、密かに神様は私を誘っていてくれていたのかなと思う出来事があるんです。3つほど。

1.浪人時代に予備校の寮で日曜日に「教会に行ってくる。」という寮生がいて、えっなんだそれ?と不思議に思ったこと。彼はいつも喜びに満ち溢れた顔をしているのが印象的でした。

2.寮で一番仲が良かった友達に大学見学に誘われたのですが、それは私が興味がないキリスト教系の大学だったので始めは断りました。しかし熱心に誘うので「まあ気分転換に行ってみるか?」と思い渋々行ったのですが、結局私の方が気に入ってしまい、受験して入学してしまいました。

3.大学の授業で構内の礼拝堂には行ったことがありました。単位取得のために必要でした。

教会に導かれるきっかけは人それぞれです。友達、妻、夫らからの誘い。教会のイベントをチラシやホームページで知ったり、ふと歩いていて立ち止まった教会掲示板の案内を目にして知ったり。
それは間違いなく"神様からの"お誘いです。是非行ってみて下さい。
みんな暖かく迎え入れてくれるはずです。いえ、迎え入れます。私の場合もそうでした。なぜそんな暖かく迎え入れてくれるのか?と思いましたが、その後、だんだん分かってきました。一緒に、私たちを創造し見守ってくれる神様のことを共に喜び、苦しいことも楽しいことも分かち合いたいからなんです。お待ちしております。

by とと

障がい者は「生きる価値がない」と多くの方々が殺傷されたやまゆり園の事件はショッキングな出来事でした。明治時代以降、社会福祉の領域で先駆的な働きをしてきたキリスト教でしたが、それはどんな人間であろうと、一人ひとりは、神様に作られ、愛された存在であること、例え敵であっても傷ついた人を避けて通れない隣人愛の精神(良きサマリア人の話)に基づくものでありました。そして、現在の社会福祉の考え方や制度の基盤にキリスト教の考え方が色濃く反映されていることも事実です。

毎月第1日曜日は礼拝の中で、その月の誕生祝福とバプテスマ記念日の祝福をします。
日曜日に誕生日ドンピシャの人には礼拝後にピアノの生演奏でHappy Birthdayをみんなで歌います。

私がJoyチャペルで初めて誕生祝福をして頂いた時には思わず泣いてしまいました。
自分の人生の中に、うれし涙を流せる出来事がまだあることにも感動しました。
当時の私は子育てに追われ、気付けば自分の誕生日は終わっていた...。
なんて日々を過ごしていたので本当にうれしい出来事でした。

先日、息子の教会の友達、J君とY君が二十歳の誕生日を迎えました。
「あさってJ君とY君と食事に行くから、晩メシいらない。」と息子。
1日遅れのお祝いだそうです。

二十歳の誕生日は彼等の人生の中でとても特別な日だと思います。
だって大人の仲間入りする日...世間的には子ども卒業です。
そんなスペシャルな日を祝い合う友達に恵まれ本当に感謝です。

その日、3人の関係が「教会の友達」から「信仰の友」へと成長していくようにと心の中で祈り息子を送り出しました。

byゆかりん

9月18,19日に行われたファミリーキャンプ。今年は、Joyチャペル会堂での17周年記念礼拝(メッセージ:酒匂キリスト教会 勝俣慶信牧師)から始まり、昼食後みんなでキャンプ地御殿場へ向かいました。夜には、ゲーム、劇やダンスのパフォーマンスなどのプログラムを楽しみました。

プログラム中には、募集/投票を行っていた教会川柳の受賞者発表がありました。
応募全95作品の中から受賞作品は以下の通り:

金賞:『お父さん そろそろ教会 いきましょう』

銀賞:『いのりの輪 めざせ御国の 金メダル』

銅賞:『主の力 リオの空にも 五輪在』

今年の世相を表し、オリンピック、ポケモンGo関連の川柳が多く寄せられましたが、その中でもオリンピック関係に投票人気が集まりました。
金賞受賞川柳は、バプテスマ(洗礼)を決心した、小学2年生のJ君の作品です。
教会に行っていない大好きなお父さんと、一緒に教会に行きたい!というJ君の思いと祈りが川柳に込められています。

残念ながら受賞とはなりませんでしたが、私が感動した一句を紹介します。
『台所 祈りながらの 刻み音』
お母さんが台所で野菜をきったり、料理をしながら祈っている後ろ姿が目に浮かんできます。言葉からイメージが浮かんでくる素敵な作品ですよね!

by しん1

~37回目の結婚記念日に~

今年も、あなたと一緒に迎えられる結婚記念日を本当にうれしく思います。共にいてくれてありがとう。心から感謝します。結婚して37年もたつのに、結婚当初以上にあなたのことがとても愛おしくてたまりません。あなたがいないと、とても寂しくなります。例えば、私が休みの日に、あなたがどこかに出かけていると、もう何をしていいか分からなくなるのです。でも、ここまで一緒にやってこられたのは、あなたの必死の祈りと忍耐、神様の具体的な支えがあったからですね。ありがとう。

結婚するまでは、俗な言葉で言うと何とか口説き落とそうと必死で努力しました。だから、結婚できたときは、何か自分の力で達成できたような気持ちでした。
しかし、今は違います。これこそが神様が私に与えてくださった大きな恵みであり、ご計画の一つだったのだとわかります。私の人生に起こった試練は、すべては神様の計画だったと以前お話しましたが、大好きなあなたが今も側にいること、それは私にとって「奇跡」です。

ハレルヤ!

この夏の誕生日に、とっても嬉しい、ちょっと変わった贈り物が、手に入ることになりました。

12㎡ほどの畑です!

こんもりとした森が隣にあって、鳥や虫や蝶が賑やかにシンフォニーを奏でている、有機肥料で全て耕されている土地です。
別の区画では、ヨーロッパの野菜が元気に育てられています。
今時の畑はオシャレですね。

さて、どうしましょう?
私は何を育てましょう?
ナスやキュウリやトマトは、何だか野暮ったい感じ...そうだ!ハーブ畑なんか、どうかしら?
IMG_1804.JPG

と、思い立ったら直ぐ種を購入して、小さなポットに、小さな小さな種を蒔いてみました。
苗にまで成育している鉢も合わせて、ひとまず我が家で様子を見ることに...
image1.jpeg

一週間もしないうちに、芽を出し、二葉のベビー達がスクスク育ち始めます。

ラベンダー、ルッコラ、ローズマリー、カモミール、それから羊の耳みたいな、フサフサした毛が葉っぱの特徴の、ラムズイヤーも育ててみる事にしました。

ハーブの勉強を始めて、知れば知るほど『植物の力』の凄さを実感する。
戦いもせず、同じ場所から動くこともなく、与えられる自然の恵みを全て受け、傷つけば、自らの細胞にある修復力を発揮して、蘇る。

......今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる......マタイ6章30節

ヨーロッパの修道院には、薬草園が必ず栽培されていると言われている。
また、聖書には、実に多くのハーブの話が登場する。東方の3人の博士からの贈り物、没薬もハーブなる植物らしい。

聖書と関わりが深いハーブの学びは、これから静かに時を過ごす楽しみになった。

来春、畑がハーブで溢れたら、ブーケを作って、お風呂に入れたり、摘み取った葉を乾燥させて、お茶にしたり、キャンドルや石鹸も作ってみたいと思う。

それにしても、真夏の炎天下での農作業は、スポーツジムで流す汗と変わらず、ハードだけど、とても身体に気持ち良い。
病院に行く回数を減らし、ジム通いも辞めて、自然の中、植物の力を借りて、健やかになれたらを、土の上に立って祈ってしまう。

By MxM

標題は、私が初めてJOYチャペルの礼拝に出席したときの感想だ。

九州で生まれ育ち18歳のときに上京したので、それまで九州と東京のいくつかの教会に通ったことがあった。多少の違いはあるにせよ、言ってみれば保守本流(?)みたいな教会ばかり。当然のことながら、教会のイメージ、特に礼拝などは少々格式ばって堅苦しいところという風に思っていた。

ところがだ。とある関係でJOYチャペルの礼拝に出席することになったのだが、それまでの教会とはまるで様子が違っていた。唖然とした。とにかく賛美の歌声が大きくてにぎやか。ちょっとうるさいと思うほどだった。礼拝の流れもシンプル。雰囲気としてもかなりカジュアルだった。しかし、そこにいた人たちの礼拝に臨む姿勢は真剣そのもの。その意気込みにちょっと圧倒されたほどであった。

それから、礼拝が終わったら、ささっと帰る。何でも午後は家族との時間を大切にしているとのこと。当時は会堂がなくYMCAの教室を借りていたこともあったのだろうが、午後に教会で何もせず、あまりにも早く家に帰り着いたので、日曜日のこんなに早い時間に家にいて良いのだろうかと思ったほどだった。

こういうわけで、それまでの教会とは全く違う雰囲気に、何だここは、と思うばかりであった。だが、その組織ばっていないカジュアルな雰囲気とか、礼拝の物珍しさとか、日曜日の午後に時間ができるとか、はたまた家も近かったということもあり、気がつけば、そのままずるずると通い続けることとなっていた。

あれから15年。私はまだこのJOYチャペルにいる。今では人数も大きく増えて、会堂まで建っている。でも、当時の雰囲気はまだまだ残っている。というか、いつまでも残っていて欲しい。そして、ちょっと変わった教会かもしれないが、いつまでも、キリストの体なる教会として、また心から主を賛美する教会として、歩んでいってほしいと願っている。

By A5

今回入院と手術に当たっては、多くの方々の祈りに支えていただきました。感謝です。

大きな手術ではなく、比較的簡単な手術だよと言われて入院することにしたものの、実は不安と恐怖でいっぱいでした。いろんな人に入院すると伝えることは、何か大騒ぎしているようで嫌だったので、あまりお伝えしていませんでした。「そんなに大変なことではないよ」というポーズをとりたかった、強がってみせたかったのかもしれません。

しかし、入院が近づくとより一層不安が強くなりました。そんなとき牧師先生が一緒にお祈りをしてくれました。とても心が強くなりました。入院中、多くの教会員の方々にお祈りしていただきました。「祈れ、祈りは力なり」というけれど、本当にそうだなぁと今回実感しました。どれほど勇気づけられたかわかりません。

手術や術後の回復が順調だったから、そう言うのではありません。痛くて、つらかった、手術の時は恐怖心もありました。けれども、心は穏やかでした。それは多くの方々のとりなしの祈りによって神様に支えられていたからだと感じます。
また、今回の入院のための検査で、新しく見つかった体の中の課題もあります。しかし、それは神様が心して生きよ、ここに注意して生活せよと示してくれたのだと思います。

そんな自分の気持ちと状況をどう表現しようかと聖書を読んでいたらぴったりの箇所に行き着きました。

「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(ヤコブの手紙5:13~16)

by とうちゃん

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

過去の記事

ケータイサイト


記事コンテンツがケータイで見れます。
ケータイで上のQRコードを読み取りアクセスして下さい
お持ちのケータイにバーコード読み取り機能が無い場合には↓
URLをケータイに送信