◆主は言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:37〜38)
おやっと思う言い方です。私たちの常識からすると「収穫は多いが働き人が少ない。だから働き手になりなさい。働き手を何とかかき集めてきなさい。」となるのではないかと思えるのです。
でも、主は「収穫のために働き手を送ってくださるように収穫の主に願いなさい」と言われたのです。何故でしょうか。
◆先ず、収穫は人間がもたらすものではなく、あくまでも神が授け給うものであるということが一つ。そして、今一つは働き手は人間の根性や情熱で生み出されるものではなく、祈りを経てもたらされるものであることをはっきりとさせるものだからです。
◆全く祈りを経ない業は、実を結びません。私たちは「収穫の主」に働き人の不足を満たしてくださるよう願い祈り求める事です。イエスは、人間的方策によるのではなく、主が必要を満たしてくださることを教えられました。そこに主なるお方と縦の関係が結ばれ、栄光が現されます。宣教の働きは、主が働き人を送り出されるのです。
◆すなわち、宣教は主から始まり主の天へ人をお連れすることです。今の時代、主の働き人は不足しています。日本国内外の邦人教会では、無牧師の群れが多数あります。多くの人々の魂が渇いています。私たちは今こそ、「収穫の主」に働き人を遣わしてくださるよう、祈り求めようではありませんか。あなたには、主の声が聞こえませんか。