◆聖書の中には、「恐れるな」ということばが数十回も出てきますが、それは私たちがいかにさまざまな「恐れ」の中に生きているのか、そして、恐れなくてもいいものを恐れて、不安な生活を送っていて真の恐れを知らないからです。
◆一昔前までは、一昔とは10年のことだった。それが今では3年いやもっと縮まってしまっている。時代の間隔が短くなっている。特に若年層では、世代のギャップがはげしい。3才位の年齢差しかないのに、互いの思考・行動は理解不可能だそうだ。私のような世代ともなれば、もう完全な「異邦人」としてしか映らないだろう。それは、けっして大げさなことではない。確実に時代の動きが急ピッチになっている。
◆主は言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:37〜38)
おやっと思う言い方です。私たちの常識からすると「収穫は多いが働き人が少ない。だから働き手になりなさい。働き手を何とかかき集めてきなさい。」となるのではないかと思えるのです。
でも、主は「収穫のために働き手を送ってくださるように収穫の主に願いなさい」と言われたのです。何故でしょうか。
◆以前「幸せなら、手をたたこう」という歌が大流行しましたが、この歌を作ったのは、木村利人というクリスチャン。彼が英語の詩篇47篇1節にヒントを得て作詞、スペイン民謡曲につけ、多くの人々に歌われるようになったもの。
◆「神のみ言葉を除けば、音楽だけが人間の感情を支配することができるものだ」と言い切ったのは、マルチン・ルターでした。「ただ聖書のみ」と言って宗教改革をなしたルターが言うところに価値と迫力があろうかと思いますが、神は音楽、さんびという大きな賜物をも与えて下さっているのです。
◆「信仰の継承としての家族伝道は牧師にとっても、難しくあります。牧師の子どもが教会員となり、クリスチャンホームを形成していたら、日本の信徒数はとっくに1%を越えていたはずと言われるほどです。」
◆「ハッピーJOYクラブ」が進化して「ハッピーJOYひろば」となって、イエス・キリストにある嬰・幼児教育(伝道)が進められると聞いて、日本語の良いことばを思いました。それは「ツ離れ」という語です。「一つ、二つ、三つと数え、九つまで。10になると「とうが立つ」から手遅れということでしょうか。
◆132分の81、この数字は何でしょう?!
これは、主イエスが地上でなされた伝道をめぐる数字です。福音書には、主がなされた伝道記事が大小132回出てきます。その中で個人伝道、一人の人との出会いの中でなされた例が81回にのぼるというのです。
◆教会に来た人の動機を分析すると、①友人に誘われてが80% ② チラシ、トラクトを読んでが10% ③通りがかりが10%だそうです。このごろはホームページを見て、が増えているようです。