◆イスラエル人に対し、苦役を課し、生まれてくる子どもを殺害することを命じたエジプトにおいて、イスラエルの民は増え広がっていました。そのような中、モーセが生まれ、彼はエジプトのファラオの娘の子どもとして、育てられていったのです。モーセは同胞の苦役を目の当たりにし、エジプト人を殺害しました。彼は恐れ、ミデヤンの地へと逃げていったのです。ミデヤンの地で、モーセは結婚をし、子どもが与えられていました。モーセは40年間、ミデヤンの地で生活をしていたのです。

◆一方エジプトでは、イスラエル人に対する苦役が続いていました。エジプトの王が変わっても苦役からの解放はなく、重い苦役に苦しんでいたのです。イスラエル人は、異邦の神ではなく、アブラハム・イサク・ヤコブとの契約をした神に助けを求めたのです。神は、イスラエルの民のうめきを聞きました。そして、アブラハムたちと結んだ契約を思い起こし、イスラエルの人々を顧みられたのです。その後、モーセを選び出しました。

◆苦しみの時、私たちは神様の「沈黙」に失望することがあります。こんなに叫んでいるのに、こんなに願っているのに、神様は答えを出してくれない。このような経験があるでしょう。しかし、神様は答えを出してくれないのでも、聞いていないのでもなく、私たちの叫びを聞いてくださる方であると聖書は言っています。すぐに解決できる答えが与えられない時もあります。しかし、神様は私たちの願った通りではない別の方法を用いて、答えられることもあるでしょう。イスラエルの民にとって、確かに長い苦役でした。しかし、その苦役から脱出をさせてくれるリーダーを与えてくださったのです。神様は「聞いておられる」のです。そして、神様のタイミングで答えてくださるのです。

坂西恵悟

今週の一面 『祝福の前の苦しみ』 5/5  

管理人

◆ヤコブの一族はエジプトに移住し生活を続けました。ヤコブの息子、孫の数は70人でした。その後、イスラエルの人々は子を産み、増え広がっていきました。ヨセフの時代を知らない王が誕生した時、イスラエル人の増え広がりを危惧したのです。そして、イスラエル人に対し重労働を課したのです。しかし、重労働の中においても、イスラエル人はますます増え広がったのです。

◆イスラエル人に対しての苦しみは、重労働だけではありませんでした。エジプト王は、ヘブライ人の助産婦、シフラとプアに出産時に男の子だった場合殺すように命じたのです。しかし、彼女たちはエジプト王に従うことはありませんでした。彼女たちがおそれたのは、エジプト王ではなく、神様をおそれていたのです。この助産婦の信仰を私たちも見習いたいのです。私たちは様々なものに対して恐れを覚えます。将来だったり、世の中の権力などです。ただ私たちは、上に立つ権威には従うべき(ローマ13:1)ですが、その要求や命令が神様からの教えに逆らうものならば、私たちは人間よりも、神様をおそれなくてはなりません。(使徒5:29)助産婦たちは神様をおそれました。その結果、彼女たちは神様から祝福され、彼女たちも子宝に恵まれたのです。

◆ファラオの願った通りにならない中、ファラオは新しく命令を出しました。生まれた男の子をナイル川に投げ込むよう命じたのです。分娩時に殺すことができないならば、生まれてから殺すことを命じたのです。このことを通して、イスラエルの民は神様の御業を体験する前に、苦しみを体験することになりました。私たちは、受ける恵みが大きいほど、受ける苦しみも大きいことがあります。しかし、神様は、苦しみの後に、その苦しみをも上回る祝福を備えてくださっているのです。(Ⅰペテロ5:10)

坂西恵悟

◆ヤコブの一族がエジプトに来て、ゴシェンの地に住むことがゆるされました。その間も、ヨセフはエジプトの責任者としての勤めを全うしました。ヤコブは父イサク、祖父アブラハムと同じ墓に入れるよう伝え、息を引き取りました。ヨセフはヤコブの遺言通りに行いました。

◆ヤコブの死後、ヨセフの兄達はヨセフの仕返しを恐れていました。父ヤコブのいない今、昔ヨセフにしたことの仕返しをされるかもしれないと思っていたのです。そして、ヨセフに人を送り赦しを請うたのです。その兄たちに対し、ヨセフは言いました。

「恐ることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」(創世記50:19-21)

◆ヨセフは兄達を赦しました。ヨセフは罪を赦すことは人ではなく、神が行うことであることを信じていたからです。それだけでなく、兄たちの悪い計らいも、神様が良いことのための計らいとしたことを信じていたのです。そして、最後に、兄達に対する愛を明らかにしました。

◆人間関係の中において、嫌なことを体験することがあります。その中で私たちは赦すことの難しさ、仕返しをしたくなる思いが生まれてくるでしょう。けれども、神様が望んでおられることは、隣人を愛するということです。ヨセフは、兄達を赦し、愛しました。もちろん、すぐにできなかったかもしれません。しかし、すべてが神様の御手の中にあるという確信が、彼に赦しと愛を与えたのです。

坂西恵悟

今週の一面 『神の摂理』 4/21  

管理人
◆エジプトのNo.2となったヨセフ。彼は、7年の豊作とその後の7年の飢饉に備えていました。そして、飢饉がきた時、エジプトの国内だけでなく、他の地域の人々も穀物を求めエジプトにやってきたのです。エジプトだけでなく、他の地域でも飢饉が激しくなっていたのです。ヤコブ達が住んでいたカナン地方も同様でした。ヤコブは10人の息子たちにエジプトに穀物を買いに行くよう命じたのです。

◆ヨセフは穀物を買いに来た兄たちに気づきました。一方、兄達はヨセフだと気づいていませんでした。兄達との関わりの中で、彼らの砕かれた姿、ユダの訴え聞き、兄達が真に悔い改めていること、父への愛を確認し、自分自身の身を明かしました。ヨセフは兄たちに対し、自分を売ったことを悔いたり、責め合うことをしないようにと話ました。(45:5)それは、ヨセフ自身が神様が自分を遣わしたと信じていたからです。ヨセフが先に遣わされたのは、大いなる救いに至らせるためだと告白したのです。そのためのエジプトでの生活であり、今の立場を神様が与えてくださったと信じているのです。このご計画は、エジプトの民が救われるだけでなく、イスラエルの民の救いにも繋がっています。すべてが神様のご計画であると信じているヨセフは、自分の能力や立場を自分のために用いるのではなく、兄弟と異邦人のために用いたのです。

◆私たちもこのヨセフのように神様のご計画を信じて歩む者でありたいのです。良いことも悪いことも、すべての出来事に意味があり、その先に神様のご計画があるということを信じていきたいのです。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは、平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29:11)

坂西恵悟

今週の一面 『一人の証人として』 4/14  

管理人

◆監獄に入れられたヨセフは、王の料理長と給仕長と共にいました。ヨセフがこの二人の夢を解き明かし、彼らは監獄から解放されました。2年経ち、ファラオの夢の解き明かしのため、監獄から出たヨセフは、ファラオの夢を解き明かしたのです。ただ、解き明かしただけでなく、具体的な提案もファラオにしたのです。

◆この夢の解き明かしの結果、ヨセフは宮廷の責任者に任命されるだけでなく、国のナンバー2としての地位が与えられたのです。彼がこの地位に就くことができたのは、彼がただ単に「聡明で知恵のある者」だったわけではなく、「神の霊が宿っている人」と言われるように、「主が共におられ」「主がうまく計らわれた」からなのです。異教の国であるはずのエジプトにおいて、ファラオはヨセフの信じる神を認めました。それは、ヨセフが夢のことは神が告げたいことだと伝えたからです。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」(創世記41:16)ファラオはヨセフを認め、地位とエジプト人として生きることができるように名前を与えたのです。

◆ここまでのヨセフの物語は、ただ神様が共にいて祝福してくださるだけの話ではなく、神を信じる者の生き方も学ぶことができます。ヨセフは、自分の身に起きたこと、ファラオの夢の内容もすべて神様からのものとして考え、信じました。そして、そのことを曲げることなく、誇張することなく、正直に伝えました。ヨセフが神様に対し、誠実で忠実であることを表しています。私たちも神様に対し、誠実に忠実であることが大切なのです。それを伝えることにより、一人の証人として用いられていくでしょう。

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:16) 

坂西恵悟

◆エジプトの侍従長ポティファルのもとへ売られたヨセフでしたが、神様の守りと取り計らいにより、ポティファルの家の財産を任されました。また財産を任されただけでなく、神様はヨセフのゆえにポティファルの家を祝福してくださいました。そんなヨセフにポティファルの妻による誘惑がありました。ヨセフはポティファルに対しても神様に対しても罪を犯すことをしませんでした。(創世記39:8,9)しかし、ヨセフは濡れ衣を着せられ監獄に入れられてしまったのです。(創世記39:19,20)

◆監獄に入れられたヨセフでしたが、神様はヨセフを見捨てることはありませんでした。ポティファルの時と同様に、神様はヨセフと共におられ、恵みを施し、ヨセフの行うことすべてを主がうまく計らわれたのでした。(創世記39:21-23)

◆私たちの歩みの中に、神様が関わってくださった体験を何度したでしょうか。神様の関わりや祝福は1度きりではなかったと思うのです。ヨセフの人生は、私たちが主が共にいてくださる恵みを知ることのできるモデルです。彼のような人生ではないかもしれない。けれども、私たちそれぞれに試練があり、誘惑がある。どん底の時でも主が共にいてくださるということをどれだけ信じることができるのでしょうか。ヨセフと共におられた主は、私たちと共におられる主です。その主が、ヨセフに恵みを施されたように、私たちにも恵みを施してくださる。これは、変わらないことです。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったを何一つ忘れるな。」(詩編103:2 新改訳)

◆神様は聖書の時代と変わらずに私たちに恵みを施してくださいます。その恵みを私たちは忘れることなく、感謝して受け取って行きましょう。

坂西恵悟

◆2018年度最終週の終わりに、今週も礼拝を共に献げる恵みを感謝したい。2018年度はこのJOYチャペルが20年目の歩みを始めた年となった。教会の歩みを人間の年齢に例えるとやっと成人式を迎える年となる。20歳前後、青年期真っただ中の時代をJOYチャペルは過ごしているとも言えるのではないだろうか。

◆心理学の古典には青年期とは、「疾風怒濤の時代」であると記されている。不安と動揺に絶えずさらされていることが特徴で、自我の確立に必要な精神的動乱の時代と説明されている。

◆JOYチャペルが青年期を過ごしていく中で大事にしたい言葉がある。それは、ミッションステートメントに書かれている「未完成」という言葉。
「バルトもそう言っています。自分がやっている神学は「断片的」(fragmentar)だ、という主張です。(抜粋)私の神学も断片的で、いつも未完成です。完成しないほうがいい。」加藤常昭
 先日、読んだ本の一節。日本における説教の権威である加藤先生が「未完成です。完成しない方がいい。」と述べていることに感動した。

◆JOYチャペルには「未完成の教会」というビジョンが与えられている。「未完成」性は時として混乱を生む。人の思い・肉の思いでは歯がゆく思う。いっそ完成をさせてしまった方がどれほど楽であるか、迷わずにいられることだろうか。

◆しかし、私たちJOYチャペルは小さな完成を目指すのでなく、未完成であり続けるという道を選び取り続けて行こうとミッションステートメントを掲げている。未完成であるという、一見するとつらい荒野の旅の中にこそ、神様の祝福があるのではないか。その祝福を受け取りながら歩もうと信じつつ歩んでいく。

◆青年期を終えて自我が確立していく時期のJOYチャペルが、神様の大きな恵みを小さな完成に閉じ込めてしまうことなく、神様に信頼して「未完成」で居続けようと祈りつつ進んでいく先に恵みがあると感じている。         

武林 慧

◆ヨセフは兄たちによって穴に落とされました。(37:24)そして、商人たちによってイシュマエル人に売られエジプトへ連れて行かれてしまったのです。(37:28)エジプトへ連れて行かれたヨセフは侍従長のポティファルによって買い取られたのです。

◆しかし、神様はヨセフを見捨てることはありませんでした。神様はヨセフと共におられ、彼が行うすべてのことを良くされました。その結果、ヨセフは奴隷の身でありながら、ポティファルの家の財産のすべてを管理するものとなりました。管理するだけでなく、ヨセフを通してポティファルの家に神様の祝福が流れていったのです。

◆私たちの人生は良い時も悪い時もあります。良い時は神様のすばらしさや、祝福を大いに覚えることでしょう。しかし、悪い時はどうでしょうか。誰かのせいにしたり、環境のせいにしたり、ある時は神様のせいにしたりと、投げつけたくなってしまうことでしょう。

◆このヨセフの話を通して、私たちが学べることは、「主が共にいてくださることを信じる」ことです。神様は良い時も、悪い時も共にいてくださいます。そして、そのことを私たちが信じた時、神様の祝福に私たちは気づくことができるのです。どのような場合においても。

◆もう一つは、「私たちを通して、祝福がその場所に流される」ということです。神様はヨセフのゆえにポティファルの家を祝福しました。同じように、神様は私たちを通して私たちの家を、学校を、職場を祝福してくださっている。このことを私たちは信じることが大切です。

◆置かれた場所で主に信頼し、主の祝福を期待する。このことを私たちはどのような状況でも行っていくことが大切です。良い時も、悪い時も主はいつも私たちに十分な恵みを備えてくださっています。

坂西恵悟

今週の一面 『『人間の弱さ』 3/17  

Shin1

◆創世記におけるアブラハム、イサク、ヤコブと受け継がれてきた神様との祝福の契約はヨセフへと続いていきました。そのヨセフの人生はジェットコースターのような人生です。彼の人生は最終的にはサクセスストーリーになるでしょう。しかし、彼が体験したことは彼が主の前に整えられるために必要なものでした。

◆10人の兄を持ち、父ヤコブの愛妻である母ラケルの実子として生まれたヨセフは、父ヤコブから偏った愛情を受けていました。父ヤコブも母リベカから偏愛されていたように、息子ヨセフに対しても異常な愛情を表していたのです。そのことをわかっていたヨセフは兄たちのことを告げ口し、良い子として振舞っていました。兄たちはヨセフを憎み、避けていました。そんな中、ヨセフの見た夢は兄たちにとって許容できるものではありませんでした。またその内容は父ヤコブも認めることができませんでした。ヨセフはこのことが決定打となり、その後の人生を大きく変える出来事へと向かっていくのです。

◆このヨセフの物語は父の偏愛と兄たちの嫉妬によって始められています。振り返るとカインとアベルの間にも嫉妬がありました。イサク、リベカ、ヤコブ、エサウの関係の中にも嫉妬がありました。私たちは嫉妬をよくしてしまいます。自分と他者を比べ、劣等感を感じ、羨ましく思うことがあります。グレゴリウス1世もトマス・アクィナスも7つの罪源の中に「嫉妬」を加えています。この感情は私たちを罪へといざなうものです。私たちは「嫉妬」と向き合う時、どのように向き合うべきなのでしょうか。やはり、神様から愛されている存在であることを日々確認し、感謝していかなくてはならないと思うのです。自分の存在意義を神様の中に見出した時、私たちは他者との比較から解放され、神様の愛の中を生きることができるのです。

坂西恵悟

◆ヤコブはラバンのもとに20年間滞在しました。その間に4人の女性から11人の男子を与えられました。この20年の間に子ども達だけでなく、多くの家畜を得ることができました。ヤコブはラバンに対し誠実に忠実に仕え続けていました。そして、神様の言葉に従って故郷へ帰ることを決めたのです。

◆ヤコブは兄エサウの元へと進みました。兄に対して、恐れを持っていたヤコブでしたが、ペヌエルでの主との格闘を経て、神と顔と顔を合わせました。(32:31)その結果、エサウに対しての過度な恐れから解放されたのです。エサウの元に着くまで7度ひれ伏す姿から、ヤコブの真の謙遜を見ることができます。そして、エサウの問いに対しては、「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」(33:5)と、神様から与えられた祝福なのだと証しするヤコブの信仰も見ることができます。

◆ヤコブのペヌエルからの出来事は、私たちの歩みに似ています。ヤコブは神様と出会ったことで変えられました。兄エサウの前に謙遜になり、自分自身の財産が神様から与えられているものだと告白しました。私たちも神様に出会ったことで、自分自身の罪を認めることができ、神様の前に悔い改め、新しく変えられました。そこで、私たちは謙遜を学び、私たちのすべてのものが主から与えられている祝福であると信じることができたのです。祝福も和解も神様からのものでなければ成り立ちません。ヤコブは20年という長い年月を通して整えられました。兄に対する恐怖も神様に出会うことで変えられました。ヤコブのように、私たちも主の前に、他の人の前に謙遜になりましょう。そして主の祝福を感謝し受け取り、分かち合いましょう。 

坂西恵悟

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