今週の一面「主にささげる」サムエル記上1:21-28 12/27

Shin1

◆現代社会では、子どもは"つくるもの"という考えがあります。おそらく、医学などの進歩によって、妊娠のメカニズムなどが明らかになっているからでしょう。一昔前までは、子どもは"授かるもの"と考えられていました。100%意図したとおりにならないことからも、偶然もしくは、何か大きな働きによって授かったと考えられていたからでしょう。聖書の時代は、徹底して、子どもは神様からの賜物であると考えていました。

◆エルカナとハンナの間に与えられたサムエル。彼らは喜びに満ち溢れていました。主に対して敬虔であったエルカナは、毎年主の宮に上ることを大切にしていました。サムエルが与えられてからも同じように行動をしようとしますが、ハンナはそのことを拒んだのです。ハンナは、乳離れするまでサムエルを手元に置き、それから主の働きのためにささげようとしたのです。

◆「三つ子の魂百まで」という言葉があります。これは3歳ごろ(幼児期)に体得した性質は年をとっても変わらないという意味です。実際、子育ての現場でも3歳までの関わりを一つの節目と考えられています。ハンナは乳離する時期、3歳ごろまで、自分の元で育てる決意をしました。サムエルは敬虔な家族、敬虔な母親のもとで育てられて行ったのです。ハンナはサムエルが主によって与えられたもの、主に委ねられたものであることを語ります。(1:27,28)それゆえ、彼女はサムエルを献げることを主に約束していたのです。

◆私たちが主によって与えられているものは何でしょうか。私たちが主に献げることができるのは、主が私たちに与えてくださっているからです。一人の祈り深い母親の信仰は、私たちの信仰者としての歩みの中で一つの模範となることでしょう。

坂西恵悟

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