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◆東日本大震災から「絆」ということが言われています。現実の人間と人間の絆、家族の絆は、何があっても破れないほど頑強なものでしょうか。些細な行き違いでもろく崩れ去ることがあります。「家庭の平和」が破られるということはむしろよくあることです。

◆病気や交通事故で父、母や子を失う家庭の悲劇もなくはないのです。戦争のような運命の荒波の中で家庭の平和が引き裂かれるということもあります。しかし、そうした戦争や事故や病気によるだけではありません。家庭がその内側から崩れ、崩壊していくということもあります。信仰者の家もまたそうした崩れ行くもろさからまったく免れているわけではありません。

◆これからしばらくの礼拝メッセージ、創世記第37章から始まりますヨセフ物語を通して「聖書の人生観」を改めてご一緒に学んでいきたいと思います。この物語も、一つの家の平和な生活が崩壊するところから出発しています。家庭の絆のもろさを知らされます。

◆ここで、私たちは、信仰者の家の物語を学ぶことになるのですが、しかもそれは、ヤコブの家、つまりイスラエルの家です。ですから、それは、神の民、信仰の共同体とその中の平和が、なぜ、どのように崩壊するのか、そして、またそれがどのようにして再建されるのか信仰の共同体の歩みを学んで行きたいと思います。

石田政美

 新緑の森の中に、その祝いの席は用意されていた。30年来の友人が人生の半ばを過ぎて人の妻となった。その人は、ある時には支援が必要な子どもやその家族に寄り添い、一つひとつの命を大切にしてきた人。気が付けば年齢を重ね、知らずしらず自分の心も体も随分と痛んでいた。

相手もまた老いを迎える齢の人。生みの母を含め3人の母を持つこの人は、継母が年若くして認知症を患ったため、長い間働きながら介護を担い、婚期を逸したとか。この継母は、実の子ども以上にこの人を愛してくれ、しかも聡明で美しい方だったようだ。それだけに、この人の心の中には様々なつらい葛藤と哀しみがあったに違いない。

それぞれに「人生の海の嵐にもまれ来し(新生讃美歌520番)」人たち。この二人がもっと若い時に出会ったとしても、こうはならなかったのに違いない。「優(しい)」という漢字を思い浮かべるがいい。「人」は「憂い」、苦しみと哀しみをたくさん持ってはじめて本当に人に優しくなれるのだと。神がその二人を透徹し、その心の内にある本当の「優しさ」に目を留めて結び合わせたとしたら、それは「神の業」以外のなにものでもありえない。

この二人を出会わせるために奔走した人々の中にも、最近家族や肉親を思いがけず失った人がいる。この二人は、そういう人たちの傍にも寄り添ったのだという。
そんな中でのパーティ、そこに集うすべての人が喜びにつつまれた。山の幸いっぱいのご馳走がふるまわれ、集まった友人たちの心からの祝福の言葉に、ふたりは輝く笑顔で応えた。一人ひとりの祝福の言葉が、「感謝の祈り」に聞こえたのは、私だけだろうか。

 人が新しく歩み直そうとしたときに、与えられた出会いを通して集められた人たちが、ひとつの食卓を囲んだ五月の夜。誰が言うのでもなく、神様の暖かい眼差しと祝福がその場を包んでいた。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(新改訳「伝道の書」3:11)                                             

By おたね&父ちゃん

今週の風景 No.518  

管理人
梅雨らしい天気でした。
今週からヨセフ物語のスタートです。
これまでにもヨセフ物語シリーズは何度か語られましたが、その時その時の自分が置かれている状況で、聴こえ方や気になりポイントが変わるので新鮮です。

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クリスチャンになってから「私たちは神さまに作られた作品だ。だからその意図を知り、それにそって懸命に生きるべきだ。」と教わりました。
そこで「神様の意図ってなんだろう、僕に何をしなさいって言ってるんだろう。」と40歳を越え、人生も後半戦の今、改めて考えてみました。

私は5年前、営業職から内勤職になり「売る」ことからは離れた部署になりました。そもそも始め、営業の仕事をしたくて営業職になったわけではありませんでした。それでもコツコツとやって、それなりに買ってもらいました。しかし30歳代後半で「この契約を獲得したら社内でもスーパースターになる」ような大きな交渉があまりうまくいかず、それを境に営業への情熱もなくなっていきました。ほとんどの人はそれでも①(下記)、たまに②の道を歩む中、私は「①も②もなんか違うけどそれしかないもんな」と思っていました。
しかし神様は③の道を与えてくれました。今考えると苦しみながらも営業職の経験をしたことは「いっぱい成功も失敗もした私が言うんですから間違いありません!」と堂々と立場の弱い人の意見も代弁できるためだったんだなと思います。感謝です!
①営業職で現場で売り続ける。
②営業職の経験を生かし、よりよい商品戦略を練る仕事をする。
③営業職の現場での福利厚生などを管理しつつ「もっとこうしたら働きやすい」という声を反映させる。

byとと

今週の風景 No.517  

管理人
5月から暑い日が多く、今日もそんな日曜日でした。
今日はペンテコステ。
教会が始まった日ではなく使徒たちが伝道を開始した日、という点について強調されていました。
私たちには霊の助けがあり、この「助け」とは、[ 共に ]、[ 代わって ]、[ 引き受ける ]と言う意味があるのだそうです。

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ハレルヤ!
今からおよそ40年ほど前、テニス部に入部した初日に顧問の先生から言われた事。新入生は、球拾いから始めます!先輩が打った球をみんなで拾い、その間にテニスコート一面に響き渡る大きな声で『ファイト、ファイトォ〜』と声をかけ合ってください!
大きな声を出すのには、ちょっと勇気が必要だった。近くにいた同じ新入部員の仲間の1人に話しかけた。『一緒に声出そうね、そうしたら恥ずかしくないね、ヨロシクね!』
これが、私と彼女の出会いだった。子供の頃から背が高い方だった私より、さらに長身で、顔も体も真っ黒に日焼けした彼女がニッコリ笑顔を返してくれて、『ファイト、ファイトォ!』と2人で同時に叫んで、2人で笑った。気の合いそうな友達が見つかった時って、当たりのクジを引いた気分。
あれから、お互い勉強して、恋をして、仕事に就いて、遠くに旅して、お嫁に行って、子供が生まれた。同じ年に父親を亡くし、息子が2人と言うのも一緒だった。
それぞれ生活が忙しくなって、学生時代の頃に比べたら、会う機会が減ったものの、年賀状が届けば元気にやっていることが伺えた。
昨年、JOYチャペルで開催されたコンサートに彼女を呼んだ。コンサートが始まる前の牧師のメッセージで、心が揺れたと彼女は言う...礼拝に行ってみたいと...その次の週から、私の隣に座って礼拝に出席している。キリスト教について、何もわからないから、どうしたらいいの?と聞かれて、牧師が、イエス キリストの御名により、感謝してお祈りを捧げます、と言ったら『アーメン』って周りの人達が口にするから、心の中でいいから、『アーメン』って呟いてね!
ねぇ、テニス部に入った時、2人で一緒に『ファイト、ファイトォ』って言ったね。神様はあの時既に、お互いが励まし合って、祈り合える友を与えてくれていたんだね。

青春ドラマじゃないけど、夕陽が沈むテニスコートを眺めていたあの日は、40年の時が過ぎて、今は朝の光に包まれた十字架を、肩を並べて見上げている。

主よ、どうか大切な友達が、信仰の道を歩めるよう、私が彼女にかけてあげらる声援を日々与えてください。

by MxM

◆「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」(使徒2:1〜3)

◆「風」、「音」、「炎のような舌」など、ここには聖霊降臨の出来事が聴覚や視覚など五感に感じられる経験として描かれています。

◆そして、その結果として人々の上に生じた現象が記されています。「すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(4節)聖霊は、いろいろな言葉を語る能力を弟子たちに与えたというのです。それは一つの奇跡的な現象であったといえましょう。

◆しかし、ここで重要なことは「弟子たちがほかの国々の言葉で話しだした」という不思議な出来事よりも、そうしたさまざまな言葉を通して「福音が語られ始めた」ということこそ肝心なことなのです。言い換えるなら、聖霊降臨とは「宣教の開始」を意味する出来事だったのです。

◆それゆえ、ペンテコステとは「教会の誕生」というよりも「宣教する教会の誕生」を意味する出来事で、弟子たちがこの世に向かって公に主イエス・キリストを宣べ伝える力を与えられ、ただちに伝道を開始した日であったというべきでしょう。

石田政美

瞬きの詩人 水野源三(1937年~1984年)さんの詩を紹介します。
彼は9歳の時に罹った赤痢の高熱によって重度の脳性麻痺を起こし、首から下は動かなくなり、ことばの自由も奪われました。身体の不自由な彼は、母親が51音を書いた文字板を指で示し、瞬きをする事によって自分の意思を伝えました。12歳の頃から聖書を読み始め、毎日欠かさずに訪ねてくれた牧師の愛によりクリスチャンの生涯へと導かれ、その後、数多くの詩を残しています。

学生時代、彼の詩に励まされ、暖かい心にされたことを思い出します。

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「有難う」
物が言えない私は 有難うのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ


「しゃべれない 書けない」
私のまばたきを見て、一字一字拾って 詩を書いてもらう
一つの詩を書くのに 十分 二十分 三十分
義妹の愛と忍耐によって
一つ二つ三つの詩が生まれる 
神様に 愛されて 生かされている
喜びと感謝を 詩に歌い続ける
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by しん1

今週の風景 No.516  

管理人
石田牧師によるメッセージでした。
JOYチャペル立ち上げから二度目の旅立ちにあたって、神様から示された事柄を力強く語っておられる、そう感じたメッセージでした。

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私は小学校の高学年の頃、クラスメートと一緒に教会学校に通っていました。
この友人が教会に行くことになったきっかけは、私の大失敗の出来事からでした。

◆臨時牧師に新たに招聘され、教会はどのような歩みをしたらよいか思案してきました。

◆私の前任教会で協働牧会(複数牧会)をした川端光生牧師(キリストの栄光教会)の著書『キリスト実現をめざして』の「教会の祈りと願い」に触れ、これだ!これで歩んでいこうと強く思わされました。

◆さっそく定例祈り会の学びの書として使用しています。  

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キリストの栄光教会の祈りと願い
 私たちは心を尽くして思いを尽くし力を尽くして主を愛し、キリストが私たちを愛されたように私たちも互いに愛し合います。  私たちは主を礼拝することを喜びとし、主にこの身を捧げて忠実に仕え、いかなる時も主を礼拝することを喜びとし、主にこの身を捧げて忠実に仕え、いかなる時も信仰を働かせ、あきらめることなく主の時を待ち望みます。  私たちは神の家族として、互いに祈り合い、裁かずに赦し合い、謙遜に仕え合い、聖霊によって心を一つにし、キリストの臨在が見えるような暖かい教会を建てあげます。  私たちは御言葉の学びと祈りに専念し、キリストの十字架と復活を宣べ伝えます。私たちの切なる願いは、私たちの教会と私たちの人生において主の栄光を見ることです。  どうか父なる神の愛とキリストの恵みと聖霊の力によって、これらのことを実現させてください。    
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石田政美

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