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今週の一面『マイナスの賜物』4/23  

Shin1

◆先日の松﨑先生のメッセージのなかで、心に響いたひと言がありました。『弱き者を用いられる神は、私たちが良くないものと思われるものまで賜物として用いてくださる』というメッセージです。『マイナスの賜物をも用いられる神』というメッセージは私を励ましてくれました。

◆そう言えば、5年前に妻が天に召された時に、"何故神様はこんな残酷なことをされるのか?"と悲しみ恨んでいた私でした。しかし、教会員の方々や周囲の方々が私たち家族を励まし支えてくださいまして、ようやく私たちも希望と元気を取り戻すことができました。先日、会社の同僚で脳腫瘍のため約10ヶ月の闘病の末、亡くなった方がいます。手術後、意識は戻らなかったのですが、お見舞いに行った際に、妻の闘病中のことを奥様と分かち合ったり、マザーテレサの絵本をプレゼントしたり・・・。生憎、3月には亡くなりましたが、葬儀の際にも3人の息子さんたちと、我が家の子供たちのことを話しながら彼らを励ますことができました。同じような苦難を体験したものだからこそ、寄り添える特権があるようにも感じました。神様は、このように私にとってマイナスと思える体験までも用いられるのだと感謝しました。

◆『ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。・・・』と語ったパウロは、上から目線ではなく同じ目線で隣人に寄り添うことを奨めています。私の場合は、はからずもそのようなチャンスを与えられたのでした。これも『マイナスの賜物』のひとつだったのだなあと気付かされました。万事を益としてくださる神に期待してこれからも歩んでいきたいと思います。

澤田 猛

ハレルヤ!

私には2人の息子がいます。
年齢差14ヵ月、長男は保守的で心配性。
次男は怖いもの知らずの無鉄砲者。

ある時、幼い頃の2人は家の中で忽然と姿が消えてしまったことがあった。
血眼になって、何処に行ってしまったのか探していると、2歳の兄は押入れの中でスヤスヤと眠っていて、1歳の弟は屋根をつたい外壁にしがみついていた。
近所の人から自宅に電話がかかってきて、お宅のお子さん、家の外...信じられませんが、大きな昆虫みたいに壁にくっついてますと...寝室の窓から出てしまったのだ。

生傷絶えない弟の方は、救急車に何度乗り込んだことか...九死に一生の交通事故に遭い、前歯は上下全て失くしてもいる。腕を骨折しているにも関わらず、喧嘩を売られたと買ったら、複雑骨折に病名が代わり、次男のヒヤリとするエピソードは、社会人になるまで続き、学校に通わせていた時代の親子面談の帰路は、肩を落とし道の端っこをトボトボ歩く私だった。

2年前、次男は晴れて社会人になって、東京で自活するようになり、ようやく心配ごとは収束すると踏んでいたが、その年齢にあった警笛は鳴り止まなかった。

ある時朝早く、宅急便の荷物が届いた。
配達のお兄さんが一言!寝袋50個、テント30個お届けで〜す。
こんなのは序の口で、一人暮らしのワンルームに置けないものが次々と配達された。

そして最近、その次男からメールが送信された。
『母さん悪い、お金貸してくれ』だった。
加えて『俺、仕事で一年インドに行くことになった』。
会社がデリーに支社を開設するということで、自己推薦で挙手して決まったと。
高校も大学も、いわゆるAO入試。コツコツと勉強して受験した記憶のない息子は、会社勤めしてもそうだった。
幾らかは会社が準備金を用意してくれるみたいだが、貯金ゼロの息子にとって、インドでの生活は不安が募るのだろう。

礼拝メッセージでは、何度も放蕩息子のたとえ話を聞いてきた。

我が次男は正に来週、親からお金を借りて、インドに旅立つ。
一年後、果たして私は、様々な経験をした息子に走り寄って、よく帰ってきたと、新品のスニーカーを履かせて、好物の鶏の唐揚げを作って待ち構えるのだろうか?

聖書を読んで、本当のところ疑問が残る箇所を、主は私に一番分かりやすく体感させてくださる。インドのデリーと言えば、空気が非常に汚れていて、水は全てまともに飲めず、摂氏50度近くまで気温も上がり、犯罪も多発する場所だ。
デリーの街で、主の導きが次男にあることを祈る。

by MxM

今週の風景 No.511  

管理人
スッキリ晴れた気持ちの良い日曜日でした!
今日は宮崎兄による信徒メッセージでした。
フィリピ4:4-7からでした。

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ラジオ牧師、大衆伝道者として活躍された羽鳥明先生が、4月10日に96歳で天に召されました。その数日前になぜか羽鳥先生のことが気になり、現在どのようにしておられるのかと思い、インターネットで初めて「羽鳥明」という文字を検索しました。そして今は引退しておられることを知りました。 検索から1週間後ぐらいにニュースで、数日前に天に召されたことを知り、とても驚き、不思議に思いました。

私がアメリカ留学中、ある教会の集会に友達に連れられて行ったときに、メッセージを語っていたのが羽鳥明先生でした。その福音のメッセージを通してイエスキリストを信じる信仰へと導かれました。
毎週、礼拝の賛美練習の前に、奉仕者みんなが心を静めるために輪読しているテキスト 「今日の詩篇 明日の詩篇」は先生の著書です。
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羽鳥先生は、大衆伝道者として、日本中、世界中を駆け回って、福音を宣べ伝えている方でしたから、私が先生を通してイエスキリストに導かれたなどということは全くご存知なかったことでしょう。しかし、その働きは、私の人生を大きな祝福へと導くもととなりました。
福音の種を植える働きをされた羽鳥先生。天国でお会いして、感謝の気持ちをお伝えしたい!

しん1

このたび、牧師に復活することになり、聖書の中で高齢で神様のご計画に用いられた人物モーセ、アブラハム、カレブ、ヨシュア、黙示録を書いたヨハネ等に思いをはせました。今とははるかに厳しい状況の中で、ただただ神様の御言葉にのみ信頼して仕えたことに倣っていきたいと思います。

①「若者は幻を見、老人は夢を見る。」(ヨエルズ28、使徒行伝2:17)「幻のない民は滅びる」と言われます。78才の老牧師ですが、神様がご計画されているJOYチャペルの具体的な夢、ビジョンという主の栄光を教会員みんなと一緒に見ていきたいと思います。

②「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(II.コリント4:16)との御言葉を信仰を持って心に受け入れ、霊性を高めてまいります。

③「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(II.コリント2:19)
年齢、体、心、思考力等に弱さと限界をおぼえる者ですが、限界で働く神様を心から賛美してまいります。

石田政美

今週の風景 No.510  

管理人
Happy Easter!!
今日は松崎牧師は日立教会に奉仕へ行かれており、石田牧師のメッセージでした。
また礼拝の中で一人の姉妹のバプテスマ式がありました。

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私達親子が初めて教会学校に参加したのは、息子が小学1年生、娘が生後8ヶ月の時でした。

当時の教会学校は、小学生の兄や姉と一緒に小さい妹や弟も参加するスタイルで、2~3才の子どもから小学校高学年の子どもまで一緒に学んでいました。

息子はキリスト教保育の幼稚園に通っていましたが、卒園してしまうと聖書を開く事がなくなるのがもったいないと思い、又、我が家はクリスチャンではありませんでしたが、聖書に書かれていることは素晴らしかったので子育ての道しるべとして、又、将来子ども達が人生に悩みつまずいた時に聖書からヒントを得て欲しい...
そんな思いで友人に誘われた教会学校に参加するようになりました。
当時のスタイルは、礼拝の前の時間に、お祈り、賛美歌、聖書のお話、工作等だったように記憶しています。

あれから14年たった今ではクラスも増え、幼稚科、小学科、中、高、青年科、お茶の間(大人のクラス)と多様になりました。

「小学校の友達はゲームをして遊んでいるになんで僕は教会に行くの?」なんてぼやいていた息子も日曜日にしか会えない友達に会うことが楽しみになり、やがて中学、高校、大学と教会で一緒に成長していく中でお互いが良き理解者となり、助け合い励まし合う関係を築いていきました。いつか離ればなれになったとしても、信仰で結ばれた信(親)友です。
そして、そんな息子は今ではCS 小学科の教師としてお手伝いさせていただいています。

娘も同じ年頃の友達と日曜日に会えるとホッとするのでしょう...
思春期の難しい年頃になり、親にはあまり笑顔を見せてくれませんが、彼女といるときはとても良い顔で過ごしています。
彼女達もこの先、良き友達、良き理解者として成長していって欲しいと心から祈っています。

神のなされることは皆その時にかなって美しい(口語訳聖書伝道の書3:11)

By ゆかりん

「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マタイ27:46)

「ある新興宗教の人々は、『こんな弱音をはくような人を神としているような宗教には力がない』と言ってあざけりました。どうして福音書の記者は、主イエスのこの叫びを、大切な記録として書き記したのでしょうか。
 旧約聖書の詩編22編を見ると、イエスの叫びと同じことばが記されています。この詩編は、キリストの十字架を預言した箇所として知られています。福音書の記者は、このことばを記すことによって、主イエスが旧約に預言されている救い主であることを証言したのです。
 これはまた、イエス・キリストが父なる神から完全に見捨てられたことをあかしすることばでもあります。神から見捨てられて当然なのは私たちです。しかし、その私たちに代わって、父なる神から完全に見捨てられ、十字架の上で主イエスがさばきを受けてくださったからこそ、私たちの救いの道が開かれました。
 『わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか』という主イエスの叫びは、私たちにとっては、なんと感謝すべき叫びではないでしょうか。『あなたをこんなに愛している』という神のメッセージにも聞こえます。」(バイブルプロミスより)

 今週は受難週です。イエス様の受難を覚えつつ、悔い改めと感謝の思いをもってこの時を過ごしましょう。

松﨑 準

今週の風景 No.509  

管理人
先週は都内でも桜が咲き始め春が来たことを体感した週でした。
昨日からの雨で桜の散るのが早まらなければ良いのですが・・・

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ある老人ホームの朝の集会室。「ジャガイモの種芋を植え付けましょう」と呼びかけたら8人の方が集まってこられた。種芋はどれも赤黒い芽を付けている。芽が出やすいように芋を切ってくださいと声をかけると、われ先にと包丁を握って、芽を見つめるまなざしは真剣そのもの。日頃は気が合わず口げんかの絶えない人達も、この時ばかりは芋しか見てないからもめることもない。

この方々と野菜や花を育てるようになって10年。ひょんなことから「園芸療法」というのを知り、学んでからのこと。病気やさまざまの障碍と共に暮らす生活を草花や野菜たちがどんなに豊かに支えてくれるかを見せていただいてきた。「統合失調症になって家庭にいられなくなった」、「家族に虐待を受けた」、「トラブルに巻き込まれて全財産を失った」等々、会話の端々に、頼るべきもの、支えを失ってここにたどり着いた、お一人おひとりの人生が顔を出す。

「先月の園芸の時間に蒔いた芝の芽がまだ出ない。隣の人のは出たのに。わたしのは全然生えない」と怒り出した女性は、この活動の10年変わらないメンバー。収穫の時を楽しみにし過ぎて、しばしば一足先に味見してしまい、他のメンバーを怒らせる。
小さないざこざはありつつも、種が芽を出し、花を咲かせ、実をつける、そうした植物の営みが、お一人おひとりにあたりまえの暮らしのよろこびを運んでくれる。

園芸療法の先生から聞いた種の話が心に残っている。「小さい種は、一粒ポツンと蒔くより2、3粒一緒に蒔く方が芽が出やすいんですよ」。わたしたち人間も神様に蒔いていただいた小さな種のようなものだろう。ポツンと埋もれて芽が出ないと焦る、隣でも、そのまた隣でも、似たような種が埋もれている。しかし、互いにぬくもりを感じ合えれば、こわばった心が和らいで、少しずつ伸びる芽が見えてくるに違いない。本当に祈り合う人たちに出会った今、そう信じられるようになった。

「地は主の恵みに満ちている」(詩編33:5)
「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」(マタイ18:19)

by おたね

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