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ハレルヤ!

今年の夏は雨量が多く、私の借りている畑のトマトは、破裂する実ばかりの収穫となり、トマトをサラダの飾りにするより、ソースとして原型を誤魔化した具材として調理することがほとんどでした。

ハーブのほとんどは、育てるのにさほど手はかかりません。甘えのない乾いたヨーロッパの土地は、湿った過保護の日本の土と違い、植物そのものが飢え渇きを覚えると、枯れないように養分を蓄えようとして、芳香が強くなったり、枝葉が太く硬くなる傾向にあるようです。
取り巻く環境が満たされすぎると、何故か芯の弱い、香りも控えめな、そんな育ち方をしてしまいます。
自分もそうでしたが、信仰の力もまた多くを持ちすぎることで、弱められてしまう事と似ていることを感じます。

『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は捧げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより十分の一の捧げ物もないがしろにしてはならないが』
(マタイ23:23)

この中に登場する、薄荷はミント、いのんどはディル、茴香はフェンネルというハーブで、私は特にディルを好んでサーモンマリネなどの調理の香り付けに使います。またハーブを知るようになって、ディルの和名がいのんどだと知りました。
フェンネルには、次のようなエピソードがあります。米国のキリスト教徒が、乾燥させたフェンネルの種子を礼拝中に噛んで空腹を紛らわせたことから、「礼拝の種子」と呼ばれているそうです。
神さまに育てられている私たちの実が、時に雨も取り上げて渇きを覚えても尚、主に結ばれる実になりますように...。

by MxM

今週の一面『荒野の祝福(4)』10/15  

Shin1

◆神がイスラエルの民を荒野に置かれた二つ目の目的は「従順」です。
従順さよりも完璧な信仰はありません。従順は信仰の頂点です。主イエスは十字架上で不平不満を言わず、人類のすべての罪を背負われました。クリスチャンのまことの姿はここにあります。

◆神はイスラエルの民を荒野という学校に入学させ、彼らが従順であるかどうかを試みられたのです。

◆神が用いられる人とはどのような人でしょうか。一言で言うと、内なる人が変えられた人です。モーセは王の特権を持った傲慢な人でした。最高の教育を受けた人でした。彼は、自分の民を愛する心もありました。その愛国心のゆえに殺人まで犯しました。そんな人が、40年間も荒野で暮らしました。希望のない、そんな所で動物と共に暮らしながらモーセが学んだものは謙遜と柔和、そして従順でした。彼は、内なる人が変えられたのです。

◆神はそのモーセをお用いになったのです。賜物やどんな働きをするかより大事なのは、内なる人が変えられ、「神の用いる人の基準」に人格が変えられることなのです。

◆いつ私たちは前進することができるのでしょうか。内なる人が変えられる時に前進します。イスラエルの民が前進したのは、外にいる敵が滅びたときではありません。イスラエルが前進した時はただ一つ、イスラエルが変えられた時だったのです。私たちの人生は、自分自身(内なる人)が変えられる時に前進します。(続く)

石田政美

今週の風景 No.533  

管理人
ヨセフ物語のクライマックスに入ってきました。
キーワードは「シャローム」。
新共同訳聖書では「シャローム」ではない言葉に訳されている言葉。
訳された言葉を文字通りに受け止めるのではなく原文の言葉と意味を知って読むと、その箇所が示すニュアンスの中に神様からのメッセージが凝縮されていて、ブワーーーーーーっと波が押し寄せてくるような感触でした。
私にも、神様が「シャローム」と言ってくれているような気がしました。

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今週の一面『荒野の祝福(3)』10/8  

Shin1

◆多くの人々が呪いや苦痛として感じる荒野がどうして祝福となるのでしょうか。そこは、終わることのない砂漠が広がっており、人が住みにくい環境です。しかし、荒野の道を歩ませておられる方は神なのです(申命記8:2)。そのゆえに荒野は祝福に変わります。

◆イスラエルの民は神の深い愛と恵みを多く受けました。しかし、彼らはごく小さい問題でも不平不満をもらし、彼らの生活は憎しみと怒りだらけでした。そして、神にむかって反抗し(荒野で神の代わりに偶像をつくり)モーセにむかって非難しました。神はそんな傲慢な民を荒野に置かれたのです。

◆人間の最も大きな問題は傲慢です。そのような人は、自分が神なのです。ですから人を裁き、非難します。サタンの代名詞は傲慢です。

◆神がイスラエルの民を荒野に置かれたのは、二つのことを望まれたからです。一つ目は、「謙遜」です。人生の最も大きな祝福は低くなることです。神はイスラエルの民が傲慢なので、40年間訓練されました。なぜならば、天の御国の民は謙遜にならなければならないからです。

◆本当の神の人は、柔和で、謙遜であり、自分を低くする人です。神は、私たちが謙遜になることを願っておられます。人はどうすれば謙遜になれるでしょうか。苦難に出会う(荒野に置かれる)と謙遜になります。(続く)

石田政美

今週の風景 No.532  

管理人
今日は酒匂キリスト教会の勝俣牧師によるメッセージでした。
とても力強いメッセージでした。
教会の隣の土地取得を検討している状況下にあって「GO!」と背中を押された気がしました。

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「モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。」(ヨシュア1:3)

◆「足の裏で踏む」とはどういうことでしょうか。
①頭で考えることではない。②口で話し合い論じることではない。③あるいは座って計画を立てることでもない。足の裏で踏むとは、実行することです。しっかりと自分の足で立って実行(全身全霊で)すること、神に信頼して踏み出す行動をすることです。

◆足の裏は人には見えない所、具体的にはどのようなことを実行実践することでしょうか。
【足の裏で踏むこととは...】
①聖書を読むことです。聖書通読の地を日々踏むことです。50〜60年
  信仰生活しても、日々聖書を読まなければ成長することも、神の
  祝福を受けることもありません。これこそ霊的戦いの第一のことです。
②祈りの地を足の裏で踏むことです。朝目覚めた時、「主よ」と呼びかけ、
  夜眠る前に感謝の祈りの習慣を身につけること。これこそ霊的戦い
  です。①②は日々なすディボーションの習慣を身につけることです。
③集会の地を踏むことです。主日礼拝、祈り会など定例集会出席という
  地を足の裏でしっかり踏み固めることです。
④伝道の地を踏むことです。家族の救い、近隣の方々の救い、友人知人
  の救いのために仕えることです。
⑤献身の地、神が召してくださったなら、神が責任をとってくださいます。
⑥献金の地、10分の1献金の祝福
⑦賛美の地、ヨシュア記6章1〜5節

◆これから本当に厳しい戦いです。真価が問われます。まだ足を踏み入れていない地があるなら、いまが足を踏み入れる機会となることを願ってやみません。

石田政美

夏の間、強烈な日差しを受けて咲いた朝顔や実ったゴーヤたちも種を残す季節を迎えた。

何度種まきしても、発芽させられなかったゴーヤは、今年、種まき名人のKさんから立派な苗をもらって育てた。コロンと太った実が5個なった。朝顔も赤と薄ピンクのグラデーションの花が朝毎に咲いて、介護帰省で疲れた体と心を元気付けてくれた。

以前、老人ホームのメンバーといろんな種を蒔いていた時もなかなかうまく育てられなかったことがある。パンジー、ビオラ、日々草、千日紅、マリゴールド、・・・花壇に植える花々の種を蒔いた。乾かないようにビニルで覆ったり、濡れた新聞紙を被せたり、いろいろ工夫していたが、10鉢のうち2,3鉢しか芽を出してくれなかった。

ところが、ある時、一人の方が、毎日水やりをしましょうと申し出てくださってからというもの、酷暑の夏も発芽率がグンと上がって、10鉢のうち8,9鉢が芽を出し、見事な花苗に育ってくれるようになった。

植物の種蒔き、苗育てを人の育ちに例えることがある。硬い種、小さな種、大きい種、それぞれが芽を出しやすいよう、大きいのは一晩水につけたり、硬すぎる種皮を脱ぎ易いよう傷をつけたり。小さすぎるのは、2,3粒一緒に蒔く。芽が出るまで日々は、辛抱強く見守らなければならない。いったん蒔いたらカラカラに乾かすことのないよう水やりを怠らないなど。しかし、手をかけすぎると逆に芽を出さないこともある。植物のための手間のかけ方は、どこか人の育ちにも通じるのかもしれない。
 
先日、我が家の末っ子が巣立った。親である私たちが娘に持たせたのは弁当箱とうちで使い古した料理本。どうか、体が養われてすこやかに暮らせるようにとの祈りを込めて。
この子との今までを振り返ると、手を出しすぎてうまくいかないこと、逆に祈りながら待っていた時期もあった。そうして、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ3:6)という聖句にいきあたった。

改めて、親がしてやれることは何もない気もする。手も口も出しすぎてはいけない思いになる。幸せを信じてひたすら祈り続けたい。
それにしても、ずっとずっと人間の悔い改めと立ち返りを待ち続けておられる神様の深い思いはいかばかりか。

By おたね

今週の風景 No.531  

管理人
10月になりました。
今日はJOYチャペル開設18周年記念礼拝。
ヨシュア記1:3は高校生の頃、伝道礼拝で語られたメッセージで強く心に残っている箇所でした。
「すべて与える」は原文では完了形で「すべて与えた」と約束されていることを知って更に嬉しくなりました。

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◆いま新しい時代に生きる私たちは、主の働きの新しい局面を見ようとしています。これからますます内外とも①先の予測できない激動の時代です。②しかし、変化する時代にあって決して変わらない神様がいらっしゃるのです。③私たちはこの変わらない神様を頼って、新しい時代に備えてまいりたいと思います。

◆このような時、ヨシュア記1:1〜5から御旨を求めます。40年に渡り出エジプトをイスラエルの民を愛と忍耐と知恵と勇気をもって導き続けた大指導者モーセは、神の御旨により、姿を消しました。そして忠実にモーセに仕えてきたヨシュアが新しい指導者としてたてられ、イスラエルイスラエルの民は約束の地カナンに入場する新たな出発をします。

◎3つの変化が起こりました。
 ①新しい指導者が立てられた。
  モーセが死に、新しい指導者ヨシュアが立てられた。
 ②新しい民の出現です。
  40年間荒野をさすらい、新しい世代、新しい民がヨシュアと共に
  約束の地に入ろうとしていた。
 ③新しい土地、新しい責務が与えられた。
  ヨルダン川により隔てられていたヨルダンを渡り、新しい土地(約
  束の地)を獲得する責務が与えられた。

これは、霊的な戦い。「不変の神」「今働かれる神」「神の約束」を信じ、御言葉に御旨に全面的に服従し、続ける信仰が求められます。

石田政美

今週の風景 No.530  

管理人
今日はファミリーキャンプでした。
教会の講壇は神山伝道師によって守られました。
人数の少ない礼拝でしたが新来者の青年が2名ほどいらっしゃっていたようです。

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