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◆Aさんは、よく朝食を抜きます。忙しい時は、昼食を抜くことさえあります。なぜでしょうか。それは仕事や打ち合わせが、三度の食事よりも大切だと考えているからです。人は、自分がもっとも大切だと思うことには時間を作ります。

◆Bさんは、毎朝、静思の時(ディボーション)を持って1日が始まります。なぜ続けることができるのでしょうか。『それなしに生きることができない』と心から確信しているからです。

◆聖書に登場する偉大な人物に共通することがあります。それは彼らが、神と個人的に時間を過ごし、神と親しくなったということです。ダニエルは、一国の大臣でしたが、「日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝して」(ダニエル6:11)いました。モーセは、祈りの人でした。友と時間を過ごすようにして神から知恵と力を得て、40年間200万人のユダヤ人を導いたのです。

◆イエス様は、宣教活動を始めた頃、朝早くまだ暗いうちに起き、祈るために寂しいところによく行かれました。それはこの時間が、もう少し長く眠ったり、病人を癒したり、説教したりするより重要だからでした。

石田政美

◆エルバアル(ギデオン)の息子アビメレクは、母の故郷シケムへと行き、一族に会いました。シケムは、かつてヨシュアがイスラエルの全部族を集め、民と契約を結び、彼らのために掟と法を定めたところです。ヨシュアは、それらの言葉を神の教えの書に記し、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビン(樫)の木の下に立てました。(ヨシュア24章)その石が、シケムの首長、ベト・ミロの人々が集まり、アビメレクを王とした場所の石柱です。(士師9:6)

◆アビメレクは、義母兄弟70人を殺しました。彼の虐殺から逃れたヨタムは寓話を用いてアビメレクが王に相応しくない危険な存在であることを警告したのです。アビメレクは、確かにギデオンの息子でした。しかし、彼は異教の信仰と生活に完全に支配されていました。アビメレクは、イスラエルを3年間支配しました。(9:22)これまでの士師たちと違い、人間の手によって生まれた王であり、彼が支配した地域はごく一部でした。神様は、アビメレクとシケムの間に険悪な空気を送られ、悪に対し悪をもって報われたのです。裏切り、略奪、復讐など、人間のドス黒い部分を多く見ることができます。

◆神様の前に悪を行い続けたアビメレクは、その悪の報復をその身に受けました。またアビメレクだけでなく、シケムの人々にも同じでした。まさに「罪が支払う報酬は死です」(ローマ6:23)とパウロが語る通りです。

◆神様は、私たちを罪の中から救いだしてくださいました。にもかかわらず、私たちはそこから離れ、主の目に悪を行うことを繰り返してしまいます。ですから、日々の御言葉と祈りを通して、イエスキリストの十字架による贖いの感謝と悔い改めをし続けていくことが大切です。主の恵みの中にいつも心を留めることも必要でしょう。神様は、私たちを豊かに祝福しようとされています。その祝福を余すところなくいただくために、主に喜ばれる歩みをしていきましょう。

坂西恵悟

◆ミディアン人との戦いに勝利したイスラエル。イスラエルの民たちは、ギデオンとその息子、孫達に自分たちを治めるよう願いました。(8:22)民たちは、ギデオンの指導力を認めたのでしょう。けれどもギデオンの答えは、彼らの期待に応えられるものではありませんでした。イスラエルの民を治めるのは、ギデオン自身でも息子、孫たちでもなく、「主があなたたちを治められる。」(8:23)と言い切るのです。ここに、ギデオンの主への信仰があらわされます。これまでも、イスラエルの民を導いた指導者がいました。彼らは民を導いたのであって、彼らを治めていたわけではありません。主が治めている中に、指導者として立てられていたのです。

◆しかし、このような信仰を公にしていたギデオンも失敗をしてしまいます。彼は、戦利品として手に入れた耳輪を民たちから回収しました。それを集めて、金のエフォドすなわち、偶像を作りだしたのです。エフォドとは、祭司が儀式などで身に着ける宗教的な衣服です。これを自分の町に置いたのです。ギデオンの功績を残し、それに宗教的な権威を着せ、礼拝の対象としたのです。

◆ギデオンによって40年の平穏を得ても、ギデオンの死後、イスラエルは再び偶像礼拝に陥り、バアルを神とし、主に心を止めなくなってしまったのです。(8:34,35)

◆ギデオンの勝利の要因は、自分の弱さを認め、主に立ち返ることでした。一人の臆病な人が、主の選びと助けによって強大な敵に立ち向かい、勝利を得ることができました。自分の力ではなく、神の力を信じてです。しかし、彼の失敗は、神への信仰を持っていながらも、自分の力を誇示したことです。ここに、私たちが学ぶべき姿があるのではないでしょうか。私たちも主の前にへり下り、謙遜になって主に委ね、主の力を信じていこうではありませんか。

坂西恵悟

◆私はOMF待機宣教師の坂西信悟と申します。東南アジア・メコン川流域に住む、まだ福音が届いていない少数民族のところへと遣わされる予定で、現在教会巡回訪問をしています。

◆世界宣教と聞くと、遠いところで起こっていること、あるいは特別な人がする働きのように思えるかもしれません。しかし、宣教は私たちにとって身近で日常的なことです。なぜなら、私たちの主がなされている働きが宣教であり、すべてのキリスト者がこの働きに加わるようにと招かれているからです。

◆エルサレムに向かっていた主イエスは七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に遣わされました。行くのは弟子たちですが、権威も目的も遣わした方である主イエスにあります。遣わした先には、主が福音を届けたい人がいます。ここに主の愛と熱心を見ることができます。そしてこの宣教の働きは、キリストの十字架と復活、昇天、そしてペンテコステを経て、エルサレムから地の果てへと向きを変え、日本に住む私たちのところにまでも届きました。誰があなたのところに福音を携えて来ましたか?その人を遣わしたのは主ご自身であり、主はあなたに福音を届けたかったのです!そして今度は私たちが主から任命され、主が行くつもりにしているところへ遣わされます。あなたは何をするように任命され、誰のもとへ遣わされているでしょうか?

◆主は「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるよう、収穫の主に願いなさい」と言われました。遣わされると同時に、主が見ておられるようにこの世界を見、収穫の主に祈るよう招かれています。宣教が主の働きであるならば、私たちがこの方に祈る以上に良い働きが他にあるでしょうか?

福音交友会 坂西信悟派遣宣教師

◆主の目に悪を行ったイスラエルの民。今度はミディアン人の手に7年渡されました。これまでと同様に助けを求めるイスラエルの民。その求めに応じて主は、一人の預言者を遣わされたのです。この預言者が語ったことは、イスラエルの民が犯した罪についてでした。神様の声に聞き従わなかったことを指摘されたのです。

◆主は、このイスラエルの民に一人の士師を立てられました。それがギデオンです。ギデオンは、マナセ族、アビエゼルのヨアシュの子であり、その一族は弱く、家族の中で一番若かったのです。彼は、ミディアン人を恐れて、酒ぶねの中で小麦を打っていました。これまでの士師たちとは、様子が違っています。臆病なギデオンを主は選び、士師として召し出されたのです。主は、この臆病なギデオンに対して、「勇者よ」と語りかけるのです。
主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ。主はあなたと共におられます。」(6:12)

◆「主があなたと共におられる」この言葉は、どれほどの励ましでしょうか。主の御使いによって直接言われることは、とても嬉しいことだと思いますし、励まされることでしょう。けれども、ギデオンは、その言葉に反論しました。主が共におられるなら、なぜこういうことが起きるのか、先祖が体験した神の御業はどこにあるのか、主は私たちを捨てて、ミディアンの手に渡されたと。(6:13)この反論に対しても主の応えは、「わたしがあなたを遣わす」「わたしがあなたと共にいる」と語ってくださるのです。

◆私たちは、「神がいるならなぜこんなことが起きるのか」と考えたり、訴えたりすることがあります。その中で、士師記を通して教えられることは『神に立ち返る』ということです。「主があなたと共におられる」という励ましは、神に立ち返ることでその恵みの豊かさを知ることができます。ギデオンは、困難や不安の中にあっても、主への信頼を持って、その言葉に従っていったのです。

坂西恵悟

◆バラクによってシセラは打たれ、カナンの王ヤビンに勝利しました。この戦いの後で、デボラは勝利の歌を歌ったのです。「わたしは主に向かって歌う。イスラエルの神、主に向かって わたしは賛美の歌をうたう。」(5:3)この賛美から始まった歌、その歌にはイスラエルの民が主の目に悪を行ったことが歌われ、その罪の故にイスラエルの民が他民族よって苦しめられたことが歌われています。この中でデボラは自分自身に対して歌っている部分があります。「奮い立て、奮い立て、デボラよ 奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ」(5:12)

◆イスラエルの民の苦しみを思い、主に助けを祈り求めているデボラでさえ、「奮い立て」と歌ったのです。まるで、自分自身に言い聞かせるように。この混乱の中、主への信仰にしっかりと立たなくてはならないことを知っていたのでしょう。デボラ自身が主に信頼すること、主の確かさの中いることを確認しながら、この時を歩んでいたのです。

◆デボラは、主の助けによって勝利を得ました。そして40年に渡って平穏が与えられました。しかし、そこに至るまでの勝利は主への信仰を持ちながらも、不安や緊張があったことでしょう。それでも、主への信仰によって彼女自身が確固たる場所に立っていたと思うのです。ヘブライ人の手紙の中でも彼女たちの信仰が語られています。(ヘブライ11:32-34)

◆何が出来る出来ないではなく、神様への信仰によって行動することが大切なのです。事を成すのは神様です。神様の助けによって、神様の力が与えられて、私たちは行動していくことが出来るのです。デボラを選び、立たせた主は今も生きておられ、私たちを同じように力づけ、立たせてくださるのです。

坂西恵悟

◆エフドの死後、イスラエルはこれまでと同じように主の目に悪を行いました。主は、カナンの王ヤビンの手にイスラエルを渡されたのです。イスラエルは、ヤビンの将軍シセラによって苦しめられていました。主に助けを求めたイスラエルの人々に、主はデボラを士師として遣わされたのです。

◆神様が選ばれた士師には、条件が必要なのでしょうか。ここまでの士師たちは、それぞれの特徴がありました。オトニエルには、主の霊が臨み力強い戦いをしました。(3:10)エフドは、左利きであることが強調され、その点を有効に用いました。(3:15)シャムガルは、牛を追う棒でペリシテ人600人を打ちました。(3:31)牛追う棒は、農作業で使う道具ですから、彼は普段から農作業をしていたのでしょう。そして、デボラは女預言者でした。このように、神様が選ばれた士師は性別も職業も、おそらく年齢も異なる人々でした。神様は、その時代、その場所に必要な人を用いようとされるのです。

◆適材適所という言葉があります。一般社会の中でもこのことは意識されているでしょう。しかし、残念ながら、人間が行うには不確実な物です。けれども、神様の行われることに間違いはありません。ですから、私たちが置かれている環境や状況は、主が"わたし"を召してその場に置いてくださっているのです。

◆士師達は、主の召しを受けて立ちました。彼らがしたことは、主の声に聞き従いました。これは、士師達だけでなく、聖書に出てくる人物が行っていることです。ですから、時代も環境も違っていても、主の言葉に従い続けた信仰者たちのように、私たちも主の声に聞き従い続けていく者でありましょう。
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、・・・わたしがあなたがたを任命したのである。(ヨハネ15:16)

坂西恵悟

◆二人目の士師は、エフドです。エフドは、ベニヤミン族の出身で、「私は賛美する」という意味の名前です。エフドの曾祖父が、ベニヤミンです。

◆イスラエルの民は、"またも"主の目に悪とされることを行いました。その結果、神様は、モアブの王エグロンを強くされ、なつめやしの町(エリコ)を占領したのです。エグロンは、18年間イスラエルを支配したのです。このイスラエルの民は、オトニエルの時代と同じでした。主への背信、主からのさばき、民の悩み、叫び、士師の登場。同じ様式でエフドは選ばれ、立てられたのです。

◆神様は、エフドを救助者として立てられました。エフドは、エグロンのもとへ行き、エグロンを討ったのです。その後、モアブはイスラエルの手によって陥落しました。イスラエルは、80年の平穏を得たのです。エフドの後には、シャムガルが立てられました。1節のみの取り扱いですが、確かにイスラエルの民を救ったのです。

◆士師によって平穏が何十年続いたとしても、イスラエルは同じことを繰り返しています。士師記は、このことを繰り返し伝えています。人間の弱さをはっきりとみることのできる書物かも知れません。私たちも同じ失敗を何度も繰り返してしまうことがあります。その失敗により主に悔い改めることを何度もしているでしょう。失敗をし続ける私たちを、主なる神様は見捨てることをなさらず、むしろイエスキリストによって、平穏を与えてくださるのです。士師記の時代は、限られた時間だけの平穏でした。けれども、今の私たちは、イエスキリストが私たちを治めてくださり、今も生きておられる主が私たちと共にいてくださるのです。その主のもとに、私たちは平穏をいただくことができるのです。

坂西恵悟

今週の風景 No.581  

管理人
久しぶりの投稿です。
管理人は3月からリモートワーク生活に入っておりましたが元気です。

JOYチャペルも緊急事態宣言中は奉仕者のみでYouTubeで礼拝LIVE配信を行なっていましたが、緊急事態宣言解除後は座席を間引きつつ1階と2階に分かれ、途中で換気のため窓全開、講壇前、賛美チーム前に飛沫防止用ビニールシート 等の対策をして教会での礼拝を再開いたしました。

晩餐式は接触防止のためパンとぶどう汁一体型の既製品を用いて実施でした。
(初めての体験でした)

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◆イスラエルの人々は、主の前に悪とされることを行いました。また、彼らは主ではなく、他の神々に仕えていたのです。その民に対して、主は怒りを覚え、クシャン・リシュアタイムの手に渡されたのです。外国の圧政によって苦しんだイスラエルは主に助けを叫び求めました。その求めに主は応じてくださり、救助者を立ててくださったのです。

◆この士師の時代のイスラエルは、主に対する背信→主の怒りとさばき→民の叫び→士師による救助。この形が何回も繰り返し行われています。人間的に見るならば、「いい加減にしてくれ」と思ってしまうところですが、主なる神は忍耐を持ってくださり、イスラエルの民の叫び、悔い改めに応えてくださるのです。

◆イスラエルの救助者として立てられたオトニエルは、カレブの甥っ子でした。オトニエルは始め「救助者」として立てられました。イスラエルを助ける者として立てられたのです。主の霊が臨んだオトニエルは、士師としてイスラエルを治めました。主の手によって、オトニエルはクシャン・リシュアタイムを抑えて40年に渡って国が平穏になりました。士師は、罪と苦難の時代に召し出され、イスラエルをさばき、治め、救助者として立たされました。士師は継承されるものではなく、時代、場所は、それぞれです。しかし、主の確かな守りと憐みが、士師を通して臨むのです。

◆士師記を見て行くと、人間の罪を繰り返す弱さを見ることができる一方で、主なる神様の忍耐と憐みを繰り返し見ることができます。主なる神は同じように、私たちに対しても忍耐してくださり、イエスキリストを救い主として送ってくださったのです。

坂西恵悟

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