私は普段、滅多に人前で泣きません。
映画に感動してないたりはしますが、例えば悔しくて泣くとか、
嬉し泣きなどはほとんどしません。

そんな私ですが、この間教会で賛美をしているときに、勝手に涙があふれだし、止まらなくなってしまいました。
何が起こったのか理解できず、困惑するしかなかったのですが、
あふれ出る涙を止めることができず、ただただ、泣くことしかできませんでした。

最近の私は、現実のことに精一杯で、自分の信仰を見失いかけていました。
毎日、食事の前や不安があったときは祈るようにしていたのですが、
いつの間にかその祈りが決まり文句のようにただ口から出てくるだけで、心がこもっていなかったり、
まだまだ分からいこと、知らないことが多い中で、教会の奉仕をやっていていいんだろうかと悩んでいたり。

それらを取り戻すために何かをしなければ、と思っているのに、仕事などに追われてしまい、
その時間を確保できない自分に焦りや苛立ちを感じる中で、信仰そのものが見えなくなっていったんだと思います。

そんなとき、教会で『賛美礼拝』といういつもと少し趣向を変えた礼拝が行われました。
最初にいつも通り賛美をしていたところで、涙が止まらなくなってしまいました。

自分でどうにかする必要はない、ただ私を信じなさい
あなたは何も悪くない

そんな言葉を優しくかけて、神様が私を抱きしめてくれたのかな、と後から思いました。
信仰を持つ前の自分に戻りかけていたところを神様によって、改めて救われたのだと思います。

そっと寄り添ってくださる神様とこれからも歩んでいきたいと思います。

by Hiro

~オリーブの香り~ No 273『笑顔』  

Shin1

毎月、九州に住む母たちの所に帰る。姑は満身創痍ながら気丈に一人暮らしを続ける88歳。ひょっこりやって来る嫁のために、あんこ餅を冷凍して待っていてくれる。私の母は着々と認知症が進行中の84歳。私の顔を見ても「世話しに来た人」と気にも留めない様子で、大音響のテレビを見続けている。
 
ついひと月前までは一緒に買い物に行くと食べたいものを自分で選んで、かごに入れていたのに、今は「わからん」とつぶやいて手に取ることもなくなった。食べることも忘れている時もあれば、夜中にご飯とお菓子をガッツリ食べこんだりする。
 そんな母が肉屋のおじさんにかけたひと言に驚いた。「この頃はひとりで店ばしよると?奥さんは?」と普通に気遣いをみせたからだ。ガソリンスタンドを始めた父に19歳で嫁いで65年、商売に明け暮れた母の魂はしっかり保たれていた。そのことを家族に伝えると「肉屋の人、いっつも笑顔やろう。そやけんたい」と言う。確かに母が普通に会話する相手はみんな笑顔の人だった。
 
そんなやりとりの後、いつもの仕事に戻ってのこと。放課後の小学校の校庭で、さかんに注意されているA君、ひたすら友達を追いかけ回しては抱きつくことをやめない。何かにつかれたように友達を引き倒して抱きつこうとする。ふと思いついて「おんぶしようか」と笑顔で話しかけてみた。はじめは挑むような目つきになり、唾を吐きかけたりしていたが、こちらがニッコリし続けていると「何して遊ぶの?」と聞いてきた。そばにあった鉄棒に誘ってみるとぶら下がりが得意らしく、褒められるといつまでもぶら下がり続けている。笑顔で見つめている私に近寄ってきたA君が、「ぼくの力強いよ」とおばさんの私を背負ってくれようとする。むろんひっくり返りそうになりながら。

よくよく話を聞いてみると彼が抱きつきを求めたくなるような出来事が家庭に起こっているらしかった。どうしようもない不安の中にいたのだ。「わからん」とつぶやいて、まわりを唖然とさせる振る舞いの増した母も、A君も、なんだか訳のわからないことが起こり続ける不安を生きている。そんな人たちが「笑顔」に安らぎ、人と人とのつながりを取り戻していく。
 
どんな人であっても、神は人間を自分の似姿として創造され、「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章)と言われる。「笑顔」は、わがままで弱い人間に与えられた神様の贈り物。

「貧しい人たちに、命だって上げることはできます。しかし、微笑みを浮べてそれをしなければ、何も与えたことにはなりません。平和は微笑みから始ります。一日5回、あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みなさい。それを平和のためにするのです。何でもない微笑みが及ぼす効果には、計り知れないものがあります。温かい微笑み。妻に、夫に、子どもに、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。」(マザー・テレサ)

By おたね

私は実家に母と兄がいますが遠方のため、会うのは年1回です。クリスチャンではありません。母ももうすぐ80歳、兄も色々心配です・・というか妻が私以上に心配して「もう祈ろう!教会に誘おう!」と言ってくれました。で、例年は実家➕観光ですが今年は実家➕伝道に。
事前に「土曜、泊まって日曜は実家の近くの教会行くから一緒に行こうか」と言うと「ん・・」と母はあやふやな返事。これ以上言うと「いいよ(遠慮しとく)私は」と言われそうだったので、あとは当日に任せることに。
前日の反応、兄は「ちょっと友達と予定あるから」、母「ん、ん〜」
当日、約束の2分前に迎えに行くともう玄関から出てきてるではありませんか!
こどもの頃、日曜学校に行ったことはあるとのことで、それほど礼拝自体はびっくりしている様子ではありませんでした。感動して泣いている?ただの風邪気味?メッセージにあきて寝てる?どう感じたのか、次また行く気はあるのか?と思っていたら、教会で借りた賛美歌を間違って持って帰って来てしまったため、嫌でももう一回教会に行くことに!
牧師先生から送られてきた「また来て下さい。」の手紙も喜んでました。
毎週行くよとか兄も連れてくよとはまだ言ってませんが、今回、母と礼拝に一緒に出るというにはなんとも不思議な経験でした。
でもひょっとしたら母はこう思っているのかもしれません。
「あなた教会行ったの大人になってからでしょ、私はこどもの頃、すでに行ってるのよ、私のほうが早く神様に出会ってるんだから」
皆様のとりなしの祈りにも感謝です!

byとと

ハレルヤ!

木枯らしが、北の大地からやって来て、耳たぶにお仕置きをする季節となりました。
2週間前、夫は日本一早いインフルエンザ患者になったようで...還暦過ぎて40度超えの熱は、だいぶ身体に堪えたようです。
さぁ、大変!他の家族が感染しないように、家中の空気をきれいにしたり、湿度を保ったり、インフルエンザの特効薬と言われるエルダーフラワーのお茶を淹れて飲んだりと。
早めの予防が功を成して、誰も感染せずに元気に毎日過ごすことが出来て感謝です。

看病しなければいけないけれど、少し熱が下がった頃を見計らって、借りているHerb畑に行ってみました。
初冬の風は冷たいけれど、陽射しをいっぱい浴びて作業していると、だんだん汗ばんで来ます。
秋にもグンと伸びる草花や野菜はたくさんあります。彼らがどんな季節にも成長する理由の一つに、争わない事があると感じます。罵り合ったり、叩きのめしたり、傷つけ合って、何かを占領しないのです。でも、人、鳥や虫に傷つけられる事はあります。そうすると、その植物が持っている力で自分を立て直して行くのです。抗菌作用や鎮静作用だったり...。
神さまが描かれた地上の緑の絵筆は、なんと強いのでしょう。
さて、先程出てきた薬草のエルダーフラワー。手元にある資料には、こんな言い伝えが記されています。
キリストが磔にされた十字架は、エルダーで作られていたと...。もしかしたら、世界のあちこちにある十字架も、エルダーで作られているものも多いのかもしれないですね。
インフルエンザの特効薬と言われているエルダーフラワー...人の身体に飲み物として取り入れると、ウィルスを増殖させないように、ここはサタンをやっつけるように退治してくれるのです!

十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。エペソ2:16

争わず、戦わず、常に主を見上げる植物のように、私達もまた平和で満たされますように...。

by MxM

私だけかもしれませんが、気持ち的な部分でアップダウンの波が比較的よくあります。
特別いい、という日はあまりありませんが、悪い、という日がたびたびあります。
何か原因があるわけではないのですが、やたらイライラしてしまい、何もかも嫌になってしまうのです。

もし、自分の周りにそういう人がいたら、どうしますか?
大抵の人は、近付かないようにしますよね。私もそういう時の自分を見つけたら、近付かないと思います。

正直、そういう気分のときは、教会に行きたくないと思います。何もせず、家で寝てたい、と思うのですが、教会に行くと、スッキリするのです。

教会の空気はとても不思議です。森林浴とかに行くと、空気が気持ちいいって感じますよね?例えとして正しいのかわかりませんが、あれと似た感じでしょうか?

聖霊様が働いてくださっていることを心で感じる瞬間ですね。

私と同じような気持ちになる方は、ぜひ教会にお越しいただき、肌で感じてほしいと思います。

by Hiro

礼拝の始まる前、JOY教会では子どもの聖書クラスと同じ時間帯に、大人の聖書クラスもあります。名付けて「お茶の間クラス」。
お茶を飲みながらリラックス。そして聖書を開いて礼拝前に、整えの時間を持ちます。

今日は、本来なら私には関係のないお茶の間クラスに特別に参加させてもらいました。バプテスマを受けた後に受講するクラスです。
多くの恵みをいただきました。

昨年&今年バプテスマを受けられた2人の女性(私の母くらいかしら。。。)と一緒に学びをしましたが、救われたときに与えられた聖書を分かち合ったり、
受けた後と前ではどんな違いがあったかなど、いろいろとお話を聞かせていただきました。お二人とも感動をもう一度思い出しながらお話くださって、私がその恵みを一緒にいただいたひと時となりました。

一方、私はもうバプテスマを受けてから32年。びっっっっくりするくらい時間が経ってしまいましたが、改めて救いの喜びを思い起こし、感謝と感動をいつも持ち続けたいと思わされました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

ヨハネによる福音書12:24

by りかち

ハレルヤ!

今年の夏は雨量が多く、私の借りている畑のトマトは、破裂する実ばかりの収穫となり、トマトをサラダの飾りにするより、ソースとして原型を誤魔化した具材として調理することがほとんどでした。

ハーブのほとんどは、育てるのにさほど手はかかりません。甘えのない乾いたヨーロッパの土地は、湿った過保護の日本の土と違い、植物そのものが飢え渇きを覚えると、枯れないように養分を蓄えようとして、芳香が強くなったり、枝葉が太く硬くなる傾向にあるようです。
取り巻く環境が満たされすぎると、何故か芯の弱い、香りも控えめな、そんな育ち方をしてしまいます。
自分もそうでしたが、信仰の力もまた多くを持ちすぎることで、弱められてしまう事と似ていることを感じます。

『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は捧げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより十分の一の捧げ物もないがしろにしてはならないが』
(マタイ23:23)

この中に登場する、薄荷はミント、いのんどはディル、茴香はフェンネルというハーブで、私は特にディルを好んでサーモンマリネなどの調理の香り付けに使います。またハーブを知るようになって、ディルの和名がいのんどだと知りました。
フェンネルには、次のようなエピソードがあります。米国のキリスト教徒が、乾燥させたフェンネルの種子を礼拝中に噛んで空腹を紛らわせたことから、「礼拝の種子」と呼ばれているそうです。
神さまに育てられている私たちの実が、時に雨も取り上げて渇きを覚えても尚、主に結ばれる実になりますように...。

by MxM

夏の間、強烈な日差しを受けて咲いた朝顔や実ったゴーヤたちも種を残す季節を迎えた。

何度種まきしても、発芽させられなかったゴーヤは、今年、種まき名人のKさんから立派な苗をもらって育てた。コロンと太った実が5個なった。朝顔も赤と薄ピンクのグラデーションの花が朝毎に咲いて、介護帰省で疲れた体と心を元気付けてくれた。

以前、老人ホームのメンバーといろんな種を蒔いていた時もなかなかうまく育てられなかったことがある。パンジー、ビオラ、日々草、千日紅、マリゴールド、・・・花壇に植える花々の種を蒔いた。乾かないようにビニルで覆ったり、濡れた新聞紙を被せたり、いろいろ工夫していたが、10鉢のうち2,3鉢しか芽を出してくれなかった。

ところが、ある時、一人の方が、毎日水やりをしましょうと申し出てくださってからというもの、酷暑の夏も発芽率がグンと上がって、10鉢のうち8,9鉢が芽を出し、見事な花苗に育ってくれるようになった。

植物の種蒔き、苗育てを人の育ちに例えることがある。硬い種、小さな種、大きい種、それぞれが芽を出しやすいよう、大きいのは一晩水につけたり、硬すぎる種皮を脱ぎ易いよう傷をつけたり。小さすぎるのは、2,3粒一緒に蒔く。芽が出るまで日々は、辛抱強く見守らなければならない。いったん蒔いたらカラカラに乾かすことのないよう水やりを怠らないなど。しかし、手をかけすぎると逆に芽を出さないこともある。植物のための手間のかけ方は、どこか人の育ちにも通じるのかもしれない。
 
先日、我が家の末っ子が巣立った。親である私たちが娘に持たせたのは弁当箱とうちで使い古した料理本。どうか、体が養われてすこやかに暮らせるようにとの祈りを込めて。
この子との今までを振り返ると、手を出しすぎてうまくいかないこと、逆に祈りながら待っていた時期もあった。そうして、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ3:6)という聖句にいきあたった。

改めて、親がしてやれることは何もない気もする。手も口も出しすぎてはいけない思いになる。幸せを信じてひたすら祈り続けたい。
それにしても、ずっとずっと人間の悔い改めと立ち返りを待ち続けておられる神様の深い思いはいかばかりか。

By おたね

ハレルヤ!

月曜日、思いつくまま車を飛ばし、八ヶ岳を望む蓼科の森の中に向かった。高原はすっかり秋に姿を変え、肺は澄んだ空気で満たされる。森の中にある小さな薬草店が目指す処。
ハーブの勉強をするようになると、その多くが聖書の中に登場することを気付かされる。
これからは、このオリーブの香りの執筆内容を、ハーブと聖書のコラボでお贈りしていきたいと思う。

先日、祈り会の際に、S姉から畑で育てているハーブを分けて貰えないかと尋ねられ、特にセージがあれば、パン作りの材料に入れたいと言われた。
学名Salvia officinalis、シソ科のセージについて、お伝え出来ることを幾つか...。
属名のSalviaは、『救う』『癒す』と言う意味のラテン語『salvere』 に由来します。天使にラブソングをの映画の中でも、シスターたちが歌った曲の歌詞に出てきます。
古代ギリシャ人やローマ人にとって神聖な植物のセージ。
中世のヨーロッパの修道院の庭には、必ず植えてあり、不老長寿の薬草として大切に育てられていました。今日では肉料理の臭み取りとして使われたり、天然素材のデオドラントとして歯磨き粉としても使用されています。

『純金で燭台を作りなさい。燭台は打ち出し作りとし、台座と支柱、萼と節と花弁は一体でなければならない。六本の支柱が左右に出るように作り、一方に三本、他方に三本付ける』出エジプト記25章31~32。

セージの一種S.judaicaは、この旧約聖書に出てくる燭台の起源とされているそうです。パレスチナの山や丘に自生するセージの花穂の形状が、7本の枝に別れた燭台と似ていることからモデルにしたのではと考えられているようで...

礼拝前、朝一番で畑に行って摘み取れるといいな。
そろそろ夜も更けて来ました。
眠りに就く前に、一杯のハーブティーと、秋の収穫の感謝のお祈り...おやすみなさい。

by MxM

先日、ちょっとイライラしている時がありました。
ちょうどその時、息子が家にいて、たいしたことでもないのに息子に声を荒げて
怒ってしまいました。しかも、1度だけではなく。。。

その後、私は自分で自己嫌悪に陥り。。。
これではだめだと息子に謝りました。

「お母さん、本当は嫌なことがあって、イライラしていたの。
だから、叱ってばかりいたお母さんは良くなかった。ごめんね。」
息子は、ただ「うん」とだけ言って、部屋にいきました。

勇気のいることでしたが、やはり謝ることが必要だと思ったので、そのようにして
よかった、と思いました。

その後、日曜日のメッセージをふと思い出しました。
人は、大きくなろうとばかりするが、小さくなることこそ、神の国の平安を得る
ための秘訣。声を荒げて自分が大きくなろうとしていましたが、そうではなく、
しっかり自分の小ささを認めることの大切さを学びました。

謝った後、その前とは違って平安が与えられたのは、言うまでもありません。。。

by りかち。

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