今年は、年度初めの日4/1がイースター(復活祭)でした。
クリスマスと違い、イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」なので、毎年日付が変わりますが、年度初めの日がイースター(復活祭)にあたるのはなんと1956年以来、62年ぶりだそうで。
(ちなみに次に4/1がイースターになるのは2029年)

そのイースターの日曜日に、いよいよ、坂西恵悟師がJOYチャペル3代目牧師として着任しました !

「復活祭は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭」 ウィキペディアより。

クリスチャンにとって、一番大切な、祝いのときであり、喜びの日に、JOYチャペルの新たな1ページが始まりました。 新たな気持ちをもって、神様のなされる業に期待したいと思います。

by しん1

ハレルヤ!

受難節に入りました。
イースターにバプテスマを受ける友が、その日まで守られるように、祈りに力が入ります。

先日バッハ・コレギウム・ジャパンが主催する、J.S.バッハ ヨハネ受難曲をオペラシティ コンサートホールに聞きに行って来ました。
足の骨折で断念した姉妹が貴重なチケットを譲って下さり、心から感謝です。

ホールに入る前に、ヨハネによる福音書18章から19章を声に出して読みました。何故、それをしたかと言えば...主がそう導いたからとしか言えません。
台本歌詞冒頭から終わりまで、コレギウムジャパンの演奏を聞いていたのに、「主の栄光を見た」感覚に陥ったのです。
ラストのエヴァンゲリストの放った歌声「彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ」ヨハネによる福音書19章40節...このイエス様を包んだ布は、亜麻という植物の茎から作られるリネンの事で、種(フラックスシード)からは油が取れ、今日では生活習慣病予防に効果がある亜麻仁油としてスーパーに陳列されています。

2000年前の聖書のみことばが、現代の私達の口に繋がって来たように、イエス様の肌を包んだ植物もまた、私達の生活を取り込んでいるのですね。

この日のバッハ コレギウムジャパンの演奏の素晴らしさは言うまでもなく、チェンバロ、リュートの音色は、中世の時に私を連れて行き、プロを超えた一流の音や言葉は、何より、神ご自身が奏でた受難曲でした。

草花の芽吹きと共に、イースターを待ち望みます。

by MxM

父が何度か言っていた、「チャップリンの映画を観なさい、チャップリンは喜劇王と言われたが、あの人の映画はただの喜劇ではない 思想がある。」私はこの言葉を時々思い出すだけだった。

先日ひょんな事からチャップリンの自伝を読んだ、そして映画を観ると決めた。チャップリンが監督、制作、主演した「独裁者」を借りた。ファシズムに立ち向かったこの映画は製作中から脅しの手紙が舞い込んだと云う。

この紙面ではこの映画のラストシーンでチャップリン自身の6分間のスピーチ(歴史上もっとも感動的と言われている)を抜粋して紹介したい。

 『私たちは皆、助け合いたいのだ。人間はそういうものなんだ。ユダヤ人もユダヤ人以外も黒人も白人も私たちは他人の不幸ではなく、おたがいの幸福と寄り添って生きたいのだ。ー中略ー 賢さよりも優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。私の声が聞こえる人に云う。絶望してはいけない!(ルカの福音書17章に『神の国は人間の中にある』)と書かれている。一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。君たちなんだ。世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐えきれない苦しみと貪欲を失くすために一緒に闘おう』

映画を観終わり75年前のチャップリンのスピーチが私の心に響きました。こんな今の時代にいるからでしょうか、父からの宿題がやっと終わりました。

by ゆっこ

1月2日夕方の福岡空港は、里帰りを終えていつもの暮らしに戻る家族連れでごった返していた。毎月1回、同じくらいの時間に乗る時は、ほぼ背広服姿で埋め尽くされているので、久々に見る光景だった。
赤ん坊を抱いた若い夫婦、よちよち歩きの子どもの手を引く小学生が行ったり来たりするのを眺めていたら、もう何10年も前に聞いた先輩お母さんの言葉を思い出した。

「『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』をどんな時にも言い続けるのって大事よ」と。与えられた子どもたち3人との都会での暮らしは、田舎者のわたしには戸惑うことが多かった。不器用な母親のせいで子ども達も迷惑を被ったことだろう。
そんな中で、どうにか続けてきた「いってらっしゃい」「おかえりなさい」の声かけ。私が働きに出るようになってからは、食卓の上に書き置いていた。

2011年震災の後、訪ねた大槌町の仮設住宅で、我が子に、愛する妻に夫に「おかえりなさい」と言いたい思いを胸に閉じ込めて、懸命に耐えておられる方々にお会いした。当たり前のいつでも言える言葉だと思い込んでいた自分の薄っぺらさが心底恥ずかしかった。

家族を送り出す時、必ず心の中で祈ると言っていた友人の顔が浮かぶ。
「いってらっしゃい」「おかえりなさい」という何気ない日常の挨拶には、様々な祈りと願いが込められている。言葉にならなくても、目の前に相手がいなくても、天国にさえ届く祈りと願いがあるのではないか。
朝毎の祈りの時間に思い浮かべるたくさんの顔、かお、顔。祈りの最後に離れて暮らす家族への思いを神様に打ち明ける。年を重ね、自分のできることの小ささが身に沁みるようになるにつれ、この時間が大切になってきた。神様に「おかえりなさい」と言ってもらえる日まで、この時間をこつこつと積み重ねていきたい。

「あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。」(詩編121:8)

By おたね

ニューヨークタイムズ紙で絶賛されたという「羊飼いの暮らし」を読んでみました。
羊飼いは季節ごとに羊達を、山の中腹に連れていって放牧したり、毛を刈ったり、出産させたりするために麓に戻したりするそうです。
羊達は目が悪いですから移動する時に、かわいそうに川に落ちてしまったり、山と山の間の斜面にある洞穴(これが案外多いそうです)に迷い込んでしまい、見つからなくなってしまうことが少なくないようです。
しかし優秀な牧羊犬は、100頭ほどもいる羊達の中から、そのように道を外れてしまった羊を見つけ出し、元の道に連れ戻すそうです。ただそれは簡単なことではなく、その1頭にばかり気をとられていると、それ以外の99頭がバラバラになってしまう危険があるそうです。
「1人くらいいいか・・・」と思わずに心配して探し出してくれる神様。
聖書の詩篇23篇に書いてある「主は私の羊飼い」って本当ですね。

shephard.png

by とと

ハレルヤ!

友人を招いて、アドベントクランツ作りを楽しんだ後、12月3日から24日まで、毎日違うブレンドのお茶が楽しめるアドベントハーブティーを作ってみました。
スパイシーな香りもあれば、甘く柔らかいテイストのものまで、一日の何処かの時間に、ゆったり、ほっこりのティータイムは、待ち望むクリスマスに心も身体も温めてくれます。

『家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。』マタイ2:11〜12

生まれて間もないイエスの危機、そして迫害の始まりですが、天使のお告げでヨセフ家族はエジプトへ逃れ救われました。
その際、緑の葉と白い花で生い茂るローズマリーの中に身を隠し、その上にマントを広げた途端、白い花が青に変わったと一説では言われているそうですが、この花がローズマリー...学名のラテン語は、海の雫と訳されますが、英語名ではマリア様のバラの名称で親しまれています。

一年中、ツヤツヤした深緑色の針のように硬い葉からは、キリリとした高貴な香りがします。そして、ハーブの中でも群を抜いて力強く大地に根ざします。きっとイエス様の身を守ったほどの強さの現れではないかしら?

不思議なことに、イエス キリストの背丈よりも成長することはなく、33年の月日が経つと枯れてしまうそうです。

数ヶ月前に見た映画、アメージングジャーニーで、聖霊が棺にローズマリーを投げ込むシーンがとても美しかったのも覚えています。

アドベントクランツの中にも、ひと枝のローズマリーを差し込んでみました。ハーブティーにも、ほんの少しだけ香り付けに入れてみました。

ローズマリーの香りと共に、クリスマスを心から待ち望みます。

by MxM

私は普段、滅多に人前で泣きません。
映画に感動してないたりはしますが、例えば悔しくて泣くとか、
嬉し泣きなどはほとんどしません。

そんな私ですが、この間教会で賛美をしているときに、勝手に涙があふれだし、止まらなくなってしまいました。
何が起こったのか理解できず、困惑するしかなかったのですが、
あふれ出る涙を止めることができず、ただただ、泣くことしかできませんでした。

最近の私は、現実のことに精一杯で、自分の信仰を見失いかけていました。
毎日、食事の前や不安があったときは祈るようにしていたのですが、
いつの間にかその祈りが決まり文句のようにただ口から出てくるだけで、心がこもっていなかったり、
まだまだ分からいこと、知らないことが多い中で、教会の奉仕をやっていていいんだろうかと悩んでいたり。

それらを取り戻すために何かをしなければ、と思っているのに、仕事などに追われてしまい、
その時間を確保できない自分に焦りや苛立ちを感じる中で、信仰そのものが見えなくなっていったんだと思います。

そんなとき、教会で『賛美礼拝』といういつもと少し趣向を変えた礼拝が行われました。
最初にいつも通り賛美をしていたところで、涙が止まらなくなってしまいました。

自分でどうにかする必要はない、ただ私を信じなさい
あなたは何も悪くない

そんな言葉を優しくかけて、神様が私を抱きしめてくれたのかな、と後から思いました。
信仰を持つ前の自分に戻りかけていたところを神様によって、改めて救われたのだと思います。

そっと寄り添ってくださる神様とこれからも歩んでいきたいと思います。

by Hiro

~オリーブの香り~ No 273『笑顔』  

Shin1

毎月、九州に住む母たちの所に帰る。姑は満身創痍ながら気丈に一人暮らしを続ける88歳。ひょっこりやって来る嫁のために、あんこ餅を冷凍して待っていてくれる。私の母は着々と認知症が進行中の84歳。私の顔を見ても「世話しに来た人」と気にも留めない様子で、大音響のテレビを見続けている。
 
ついひと月前までは一緒に買い物に行くと食べたいものを自分で選んで、かごに入れていたのに、今は「わからん」とつぶやいて手に取ることもなくなった。食べることも忘れている時もあれば、夜中にご飯とお菓子をガッツリ食べこんだりする。
 そんな母が肉屋のおじさんにかけたひと言に驚いた。「この頃はひとりで店ばしよると?奥さんは?」と普通に気遣いをみせたからだ。ガソリンスタンドを始めた父に19歳で嫁いで65年、商売に明け暮れた母の魂はしっかり保たれていた。そのことを家族に伝えると「肉屋の人、いっつも笑顔やろう。そやけんたい」と言う。確かに母が普通に会話する相手はみんな笑顔の人だった。
 
そんなやりとりの後、いつもの仕事に戻ってのこと。放課後の小学校の校庭で、さかんに注意されているA君、ひたすら友達を追いかけ回しては抱きつくことをやめない。何かにつかれたように友達を引き倒して抱きつこうとする。ふと思いついて「おんぶしようか」と笑顔で話しかけてみた。はじめは挑むような目つきになり、唾を吐きかけたりしていたが、こちらがニッコリし続けていると「何して遊ぶの?」と聞いてきた。そばにあった鉄棒に誘ってみるとぶら下がりが得意らしく、褒められるといつまでもぶら下がり続けている。笑顔で見つめている私に近寄ってきたA君が、「ぼくの力強いよ」とおばさんの私を背負ってくれようとする。むろんひっくり返りそうになりながら。

よくよく話を聞いてみると彼が抱きつきを求めたくなるような出来事が家庭に起こっているらしかった。どうしようもない不安の中にいたのだ。「わからん」とつぶやいて、まわりを唖然とさせる振る舞いの増した母も、A君も、なんだか訳のわからないことが起こり続ける不安を生きている。そんな人たちが「笑顔」に安らぎ、人と人とのつながりを取り戻していく。
 
どんな人であっても、神は人間を自分の似姿として創造され、「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章)と言われる。「笑顔」は、わがままで弱い人間に与えられた神様の贈り物。

「貧しい人たちに、命だって上げることはできます。しかし、微笑みを浮べてそれをしなければ、何も与えたことにはなりません。平和は微笑みから始ります。一日5回、あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みなさい。それを平和のためにするのです。何でもない微笑みが及ぼす効果には、計り知れないものがあります。温かい微笑み。妻に、夫に、子どもに、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。」(マザー・テレサ)

By おたね

私は実家に母と兄がいますが遠方のため、会うのは年1回です。クリスチャンではありません。母ももうすぐ80歳、兄も色々心配です・・というか妻が私以上に心配して「もう祈ろう!教会に誘おう!」と言ってくれました。で、例年は実家➕観光ですが今年は実家➕伝道に。
事前に「土曜、泊まって日曜は実家の近くの教会行くから一緒に行こうか」と言うと「ん・・」と母はあやふやな返事。これ以上言うと「いいよ(遠慮しとく)私は」と言われそうだったので、あとは当日に任せることに。
前日の反応、兄は「ちょっと友達と予定あるから」、母「ん、ん〜」
当日、約束の2分前に迎えに行くともう玄関から出てきてるではありませんか!
こどもの頃、日曜学校に行ったことはあるとのことで、それほど礼拝自体はびっくりしている様子ではありませんでした。感動して泣いている?ただの風邪気味?メッセージにあきて寝てる?どう感じたのか、次また行く気はあるのか?と思っていたら、教会で借りた賛美歌を間違って持って帰って来てしまったため、嫌でももう一回教会に行くことに!
牧師先生から送られてきた「また来て下さい。」の手紙も喜んでました。
毎週行くよとか兄も連れてくよとはまだ言ってませんが、今回、母と礼拝に一緒に出るというにはなんとも不思議な経験でした。
でもひょっとしたら母はこう思っているのかもしれません。
「あなた教会行ったの大人になってからでしょ、私はこどもの頃、すでに行ってるのよ、私のほうが早く神様に出会ってるんだから」
皆様のとりなしの祈りにも感謝です!

byとと

ハレルヤ!

木枯らしが、北の大地からやって来て、耳たぶにお仕置きをする季節となりました。
2週間前、夫は日本一早いインフルエンザ患者になったようで...還暦過ぎて40度超えの熱は、だいぶ身体に堪えたようです。
さぁ、大変!他の家族が感染しないように、家中の空気をきれいにしたり、湿度を保ったり、インフルエンザの特効薬と言われるエルダーフラワーのお茶を淹れて飲んだりと。
早めの予防が功を成して、誰も感染せずに元気に毎日過ごすことが出来て感謝です。

看病しなければいけないけれど、少し熱が下がった頃を見計らって、借りているHerb畑に行ってみました。
初冬の風は冷たいけれど、陽射しをいっぱい浴びて作業していると、だんだん汗ばんで来ます。
秋にもグンと伸びる草花や野菜はたくさんあります。彼らがどんな季節にも成長する理由の一つに、争わない事があると感じます。罵り合ったり、叩きのめしたり、傷つけ合って、何かを占領しないのです。でも、人、鳥や虫に傷つけられる事はあります。そうすると、その植物が持っている力で自分を立て直して行くのです。抗菌作用や鎮静作用だったり...。
神さまが描かれた地上の緑の絵筆は、なんと強いのでしょう。
さて、先程出てきた薬草のエルダーフラワー。手元にある資料には、こんな言い伝えが記されています。
キリストが磔にされた十字架は、エルダーで作られていたと...。もしかしたら、世界のあちこちにある十字架も、エルダーで作られているものも多いのかもしれないですね。
インフルエンザの特効薬と言われているエルダーフラワー...人の身体に飲み物として取り入れると、ウィルスを増殖させないように、ここはサタンをやっつけるように退治してくれるのです!

十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。エペソ2:16

争わず、戦わず、常に主を見上げる植物のように、私達もまた平和で満たされますように...。

by MxM

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