◆いま新しい時代に生きる私たちは、主の働きの新しい局面を見ようとしています。これからますます内外とも①先の予測できない激動の時代です。②しかし、変化する時代にあって決して変わらない神様がいらっしゃるのです。③私たちはこの変わらない神様を頼って、新しい時代に備えてまいりたいと思います。

◆このような時、ヨシュア記1:1〜5から御旨を求めます。40年に渡り出エジプトをイスラエルの民を愛と忍耐と知恵と勇気をもって導き続けた大指導者モーセは、神の御旨により、姿を消しました。そして忠実にモーセに仕えてきたヨシュアが新しい指導者としてたてられ、イスラエルイスラエルの民は約束の地カナンに入場する新たな出発をします。

◎3つの変化が起こりました。
 ①新しい指導者が立てられた。
  モーセが死に、新しい指導者ヨシュアが立てられた。
 ②新しい民の出現です。
  40年間荒野をさすらい、新しい世代、新しい民がヨシュアと共に
  約束の地に入ろうとしていた。
 ③新しい土地、新しい責務が与えられた。
  ヨルダン川により隔てられていたヨルダンを渡り、新しい土地(約
  束の地)を獲得する責務が与えられた。

これは、霊的な戦い。「不変の神」「今働かれる神」「神の約束」を信じ、御言葉に御旨に全面的に服従し、続ける信仰が求められます。

石田政美

◆祈り会では,川端光生先生の書かれた「キリスト実現をめざす」を学びました。先日「3章5.神の臨在が見える」の学びの担当をしました。川端先生独特のとらえ方、言葉の使い方に驚かされます。

1.臨在の体験を求める信仰:豪邸を建てて中に入らず外からほれぼれして眺めるだけでは,家の意味がない。信仰もそうです。生活の中で具体的に神を体験するためにあります。

2.教会で神の臨在を体験する:神の臨在体験は個人のものだけでなく教会に祝福が注がれるとき、兄弟姉妹の祈りに主が応えて下さるとき、そしてそれを心から喜べるとき、私たちは神の臨在を体験しているのです。

3.教会から離れない:イエスを裏切ってしまったユダとペテロを見て、ユダは孤独の中で早まったことをしてしまいました。ペテロは、イエスを知らないと言った後、他の弟子たちの所に戻りました。彼も死にたいほど辛かったことでしょう。でも、仲間と一緒にいて悲しみと苦悶をともにし、主が語られた三日目を待ったのです。闇の中を涙ですごしたことでしょうが、それでも仲間のそばにいたから復活の朝まで待てたのです。信仰の仲間と一緒にいて、励ましや、慰めを受けるべきです。

4.神の臨在が見える教会になる:「ああ、ここに主が臨在なさっている」と教会に来られた方々が思っていただけるような教会を目指しましょう。

◆JOY教会も「神の臨在が見える教会」を祈っていきましょう。既にそのようになっているかも知れません。たとえ主に不従順なことがあったとしても、一人で結論を出して早まった行動を取ってしまうのではなく、神の家族と共に祈り、主が与えてくださる祝福、慰めを希望を持って待つことができるならば、きっと神の臨在が見える教会になると信じます。       

伊東昌彦

今週の一面『召天者記念礼拝』9/10  

Shin1

◆人は死んだらどうなるのか、というのは人類永遠の問いです。聖書はこのことについてどのように教えているのでしょうか。

◆イエス・キリストは十字架につけられ死ぬ前に「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」と言っています(ヨハネ4:2)。死の向こう側に、私たちを迎える場所が備えられているというのです。この世にあって、イエス・キリストを信じて神との交わりに入れられた者は、死の後には天国で神との交わりに迎えられます。

◆キリストを信じると、地上のいのちの終わりは絶望ではなく、希望に変わります。死は終わりではなく、天国への入り口なのです。聖書は死んだ人のことを「眠りについた人々」と呼んでいます。それは今の世の終わり、つまり新しい世界がはじまるときには、生きている人も死んだ人も神様に呼び出されて、再び会えることが約束されているからです(第一テサロニケ4:13〜17)。ですから死が愛する人との別れをもたらしても、失望しないで希望をもって生きていくことができるのです。

◆私たちは生きているかぎり、愛する人を見送るという大切なときを経験します。召天者記念礼拝は、見送った時はつらい経験でもあったでしょうが、再び会える希望を覚える時として、そのために十字架に死んで、天国への道を開いてくださったイエス・キリストに心からの感謝をささげる時なのです。

石田政美

今週の一面『荒野の祝福(2)』9/3  

Shin1

◆この世での生活は、荒野にたとえることができます。嵐が絶えず、逆境と戦わなければいけない厳しい生活です。イスラエルの民も出エジプトの後、このような荒野を通らなければなりませんでした。しかし、神は荒野に驚くべき祝福の秘密を隠しておられました。

◆荒野での初めの祝福の奇跡は、飲む水がなかった時、神が苦い水を甘い水に変えてくださった出来事です。また、食物がなくなったとき、マナをくださり、イスラエルを荒野で祝福されました。

◆イスラエルの民は荒野で敵であるアマレク人に出会いました。民は戦いを避けられない状態でした。しかし、神はアマレクとの戦いに際して、とりなしの祈りの秘密(出エジプト17:8〜13)を教えて下さり、民を勝利へと導いてくださいました。

◆神が共におられる時はすべてが与えられ、勝利することができます。出エジプトのクライマックスは雲の柱と火の柱です。イスラエルの民は行く道を知らなかったとき、神が雲の柱と火の柱で彼らを導き、厳しい荒野での生活をすばらしい祝福の場へと変えられたのです。

◆こどもたちは、宝探しが大好きです。神は荒野にこの宝を隠しておられます。荒野はとても苦しく、辛い所ですが、宝物を見つけた人々には興奮する場であり、祝福の場所なのです。    (続く)

石田政美

今週の一面『荒野の祝福(1)』8/27  

Shin1

◆神様は、ご自分の愛する民に、「なぜ苦しみを与え、荒野の道を歩かせるのだろうか」、「荒野の生活は祝福だろうか」という疑問が常にあります。

◆荒野は人が住めない所であり、見捨てられた地です。しかし、聖書の答えは、「荒野の中におられるキリスト」に出会うためであると繰り返し語ります。それゆえ、荒野は苦しみと共に、栄光の主がおられるのです。

◆ノアの箱舟が、どうして恵みの場なのでしょうか。あの狭い箱舟の中、外を見ることもできず、一年間数多い動物達と箱舟の中に閉ざされているのです。しかし、箱舟は洪水の間は一番安全な所です。箱舟の特徴は、かいもなく、帆もないということだけではなく、舵もなく羅針盤もないのです。箱舟は風の吹くまま、水に流されるまま行くのです。

◆しかし、その箱舟の航海士が神様であられるなら、それよりもっと安全な所があるでしょうか。ソドムとゴモラは安全な場所ではありません。かえって、見捨てられた荒野がより安全な所であり、神様に出会う場所なのです。

◆荒野にはキリストがおられるのです。その方は苦い水を甘い水に変えて下さり、天からマナを雨のように降り注ぎ、岩から泉を湧き出させます。傷ついた心を癒し、罪ととがを赦して下さる幕屋となってくださいます。また、道を失った人生の火の柱、雲の柱となって下さいます。荒野は祝福の地であり、恵みの地なのです。(続く)

石田政美

◆以前イスラエルに行った時、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、今は聖書の地理や考古学を研究しているという一人のユダヤ人が説明してくれました。

◆「ここは、かつてダビデがサウル王から逃げまどって、つらい日々を隠れながら過ごした荒野です。実は、そこから『荒野』というヘブライ語は、『ことば』からきたと思われます」と。

◆水もなく、動物も植物も生きられない苛酷状況の荒野。けれども、この極限の状態でダビデは神にのみ信頼すべきことを、特に神の「みことば」にのみ信頼を置いて生きるべきことを学んでいったのではないか、とのことでした。

◆人に頼らず、神にのみ拠りすがり、そのおことばが必ず成就することを信じて疑わず、ひたすらに待つ。

◆この得がたい信仰の学びを習得するのに、荒野はダビデにとって最善の場所だったのでしょう。

「サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、
エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。」
(I.サムエル24:1/新改訳)
石田政美

◆「こどもへのまなざし」の著者であり、児童精神科医の佐々木正美先生が、先月天国へ召されました。私はこの神様の愛に根付いた子育てに感銘を受け、事あるごとに本を読み返し、「子育ては本当に大変な大仕事」と語る先生に何度も励まされてきました。

◆佐々木先生の本を読んでいると、どの本にも一貫して「ありのまま」を受け入れる、という聖書を土台とした考え方があるのに気がつきます。親自身がありのままの自分を受け入れることで、子どものことも全面的に受容できるようになるという考え方です。思うようにいかない子育て、、、その劣等感で押しつぶされそうになる親に、「完璧になろうと苦しまないで」と優しく語ってくださいます。

 「お父さんお母さん、あなたも自分を肯定していいのです。
  あなたはあなたのままでいい。
  十分頑張っているお父さんとお母さんです。」

◆人間は努力とは関係なく不完全です。神様が私の不完全なところに触れてくださる時、十字架の愛によって赦し、癒し、慰め、また励ましてくださいます。完璧を求めることより、ありのままを受け入れる勇気と謙遜さを持って生きたいものです。

高橋利佳

◆今月に入って、主にある兄弟姉妹(特に海外から)のお客様が多く伝道のためにおいでくださった。このことは、どう言うことなのだろうか。

◆神がこの教会に期待をしておられ、神の選びの世界の中に私たちも教会もおかれているんだということに改めて目が開かれる思いでした。

◆伝道がどんなに大変なのかとか、教会を建て上げることの難しさというとこよりも、むしろ、そういうことを突き抜けて、「私はあなたがたの教会をいつも見つめている。忘れていない。」という神の有無を言わせぬメッセージと受けとめ、神の熱いおもいが伝わってくるようで、胸が熱くなるのを感じます。

◆日本の伝道はあっちでもこっちでも困難だと聞いて、困難だ困難だと思いながら伝道するのも何かさみしい話です。困難はあるけれども、しかし、それにいやまさる神の大きな期待がある。

◆ある無名捕手が日の目を見ない頃、監督に「おまえを日本一の捕手にしてやる」と言われたそうです。彼は、とにかく燃えました。仮にも、日本一の捕手にすると監督が言ってくれた。監督は、そこまで自分に期待してくれている...彼はどの選手よりも早くグラウンドに行き、どの選手よりも遅くまで練習しました。その結果、日本一といわれる捕手として活躍された話は有名です。

◆大きく期待されていると知ったら、奮闘せずにいられないのもうなずけます。神は、私たちのうちに可能性を見い出し、熱く期待しておられるのです。神の祝福を感じて立ち上がりましょう。

石田政美

◆米国テキサス・パートナーシップ伝道チームは7/9〜7/16まで当教会で次の伝道奉仕をされます。お祈りに覚えてください。

7/ 9(日) 主日礼拝(証し) 午後歓迎愛さん会(証し)
7/11(火) 11:30〜15:00 with RMG(緑園マザー・ゴスペル)
      16:00〜     鈴木家庭会(宮﨑家合同)
7/12(水) 10:30〜13:00 Bible Café
13:00〜 チラシ配布奉仕
20:00〜21:30 夜の祈り会(証しと賛美)
7/13(木)10:30〜12:00 昼の祈り会(証しと賛美)
7/14(金) 玉川聖学院訪問(JOY休み)
7/15(土)10:00〜 青成(青年、若い家族)プログラム
7/16(日) 9:30 CS奉仕(証し)
10:30 主日礼拝(メッセージ、証し、賛美)
13:00〜 感謝会
14:00〜 JOYサマー・フェスティバル

※7/16は、ブラッド、アシュリー、リサ、マイケル、ダニエル、
 シャーリー、ランディの7人の兄姉が奉仕されます。

〜ローマ12:13〜

◆私は夫と、これまで幾つかの教会を訪問しました。その訪問で共通する忘れられない嬉しい体験を3つに絞ってお話ししましょう。

①20数年前、韓国釜山のバプテスト教会から招待を受けました。会員200名くらいの教会でしたが、礼拝後の愛餐の時、ビックリしました。私たち二人の前に並べられた韓国料理は山のように盛りつけられ、しかも10人分くらいはあったでしょう。この熱い歓迎に答え必死で食べたことでした。

②4年前には、長野県・高遠の聖教団の教会を何組かの牧師夫婦と訪問しました。障害者施設を運営しているその教会は、とうもろこし畑の真ん中にありました。ここでの体験も土地柄ピッタリ、高遠の民謡を歌って下さりその後一緒にさんびを歌い、主をほめたたえました。帰りの車には、施設の方や教会の方々が作られた野菜がいっぱい積み込まれました。あたたかい歓迎でした。

③また、沖縄の教会の新しい会堂の献堂式に伺いました。この時は教会から数人一緒に参加しました。沖縄大好きの日出海さん、澤田寿子さんも一緒でした。沖縄の熱い気温と同じ信仰の熱気でうずまいた献堂式でした。2部では、クリスチャンの具志堅ファミリーの沖縄民謡の三味線の音と歌声がなりやみませんでした。

◆さあ!JOYもいよいよ来週、米国から伝道チームをお迎えします。日本人に福音を伝えたくて、日本の教会の伝道のお手伝いをしたくて、自費でおいで下さいます。今、私たちが祈っている人にチラシを渡し、声をかけましょう。そして、JOYらしい歓迎をしましょう。

石田幸子

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