「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」(箴言4:23)

◆1999年9月、JOYチャペルはスタートしました。2004年12月に教会組織をし、2010年に現在の会堂が献堂されました。開拓からスタートし、現在では約70名の礼拝出席になるほど成長していきました。私自身も、4月に就任し4ヶ月が経ちました。みなさんの日々の祈りと励ましに心から感謝致します。

◆開拓からスタートし、規模が大きくなる教会によく起こる出来事に"効率化"があると思います。少人数で、みんなが家族のような状況から、様々な考え方が出て来るようになる規模になった時に"効率化"を目指そうとします。ここでは、"効率化"が悪いのではなく、"効率化"に伴い私たちの心がどこに向いているのかがとても重要になると思うのです。一般社会の中においては、効率的な組織運営を目指していきますが、教会にそれをそのまま当てはめることはできません。"効率化"はある時に排他的となりうるものだからです。

◆JOYチャペルでも今後ある部分は"効率化"しようとする所が出て来ることもあるでしょう。また、"効率化"だけでなく、ミニストリーの中に"作業的"になってしまったり"タスク"になってしまうものが出て来る可能性もあります。このような状態にならない為に、私たちは日々心を主に向けることを第一にすることが必要です。神様が何を望まれているのか、神様は何を喜ばれるのか、このことを私たちは一つ一つの働きの中に植え付けることが大切です。その為に、私たちは日々のデボーションによって、礼拝の中において、交わりの中において御言葉を心に蓄えることが大切です。

「キリストの言葉をあなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイ3:16)

坂西恵悟

今週の一面『「暇」について』8/5  

Shin1

◆私が高校3年生の時、日曜日礼拝に行こうとしたら、「そんなに暇があるなら受験勉強を!」と母に言われたことを忘れることができません。又、坂西牧師にバトンタッチしてから「お暇そうですね」と言われることがあり、改めて「暇」ということについて考えさせられています。

◆昔、「暇」を「日間」と書いていたそうです。人が働くことや様々なことで忙しくて、心がビッシリ詰まっている時、そこには日の光が射し込む隙間がありません。日の光を受けない植物が育たず実を結ばず、病気になってしおれてしまうように、忙しさは心を亡ぼし、ゆとりを失わせる危険が伴うことから、「日間(日の射し込む間)を大切に」と言われてたそうです。

◆御言葉に「全世界を自分のものにしても、自分自身を失ったら何の益があるだろうか」とあります。「私は、木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった」よい木を、より速く、より多く切ることに専念したが、退職後、見出したのは、刃がボロボロに欠けた斧でした。という語があります。

◆働きにおいて、大きな成果を挙げたとしても、木を切っていた斧である自分自身が、その間、心身共にすり減っていたとしたら、本末転倒です。

◆常に木を切る斧である自分自身に油をさし、日の光が射し込む日間を大切に。イエス様の公生涯は日間(礼拝、弟子達と共に祈る祈り会、ディボーション)を大切にされました。 

石田政美

今週の一面『感謝の心を』7/29  

Shin1

「わたしは心を尽くして主に感謝をささげ 驚くべき御業をすべて語り伝えよう。」

(詩編9:2)

◆私たちは普段どれほど感謝を表しているでしょうか。神様に対してだけでなく、人に対してもです。新改訳聖書では、「感謝」という言葉が150回以上出てきます。また、聖書を見ると、主に感謝をする時、いくつかのパターンがあります。賛美と感謝、宣教と感謝、いけにえと感謝。つまり、聖書において感謝するとき、何かしらを主に献げている。もしくは、主を伝えているということがわかります。神様を通して与えられた恵みに応答して、賛美をしたりいけにえを献げたりして感謝を表しているのです。

◆実生活において、私たちの口から出やすいのは感謝ではなく、人を貶める言葉であったり、傷つける言葉であったり、愚痴であったりと他の人が聞いて気持ちのいい言葉ではありません。それは、人間が他人よりも優れていたいという欲求があるからこそ、出てくる言葉であると思うのです。また、これは私たちの罪の性質の一部でもあるでしょう。だからこそ、私たちは神様が与えてくださる日々の恵みを覚え、感謝することが大切なのです。

◆パウロはテサロニケの信徒への手紙にこのように書き送りました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

(Ⅰテサロニケ5:16-18)

 「どんなことにも感謝する」これが、神様が望んでおられることです。日々、命が与えられていること、衣食住が与えられていること、仕事が与えられていること、私たちが普段から"当たり前"と思っていることや、無意識のうちに過ごしてしまっているものすべてが、神様から与えられた恵みであるのです。主に感謝を献げることを通して、私たちは、主が私自身にどのようなことをしてくださったのか、その主の御業を語り伝えることができるのです。
坂西恵悟

◆先日のCSリーダー会の学びの中で、「自覚的信仰告白」という記事から学びました。(『いま、バプテストを生きる』より)その中で初期のバプテスト教会がこだわった表現に教会を「Church」ではなく、「Company」という言葉で教会を表現していました。そこには、「国家権力の統制のもとにある信仰ではなく、個人の主体性と自由に基づく信仰を主張したのがバプテストであり、本人の自覚を差し置いて国や家が信仰を決めていく仕組みに対して、彼らは命がけで抵抗したのです。」という思いがありました。 

◆会社の中でよく言われる言葉に「全員経営」という言葉があります。これは、「従業員一人一人が経営に関わる意識を持ち、自主的に行動、判断すること。」これを、教会に当てはめるとどうなるでしょうか?「教会員一人一人が、教会の働きに関わる意識を持ち、自主的に行動、判断すること。」となると思います。このように見ると、初期のバプテスト教会の思いがよく伝わると思います。個人の主体性が集まって教会を形成していく。それぞれがバラバラに動くのではなく、同じ目標を持って、それぞれが置かれているところで動いていくことを目指していると思うのです。

◆つまり、教会において私たちは「お客様」ではないということです。パウロが教会を身体の器官として表現しているのは、一人一人の働きがとても大切で重要だからです。年齢や信仰歴は関係ありません。私たち一人一人がキリストの弟子として歩む時、そこに教会の働きが前進していくのです。 

◆「誰かが」ではなく、「私が」福音宣教の働きを担うのです。キリストの弟子として召されている私たちが教会において、またそれぞれの遣わされている場において福音を宣べ伝えるのです。

わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。」(Ⅱコリント4:5)

坂西恵悟

「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(ヤコブ5:16)

◆日本バプテスト連盟の中で、「協力伝道」という言葉をよく聞きます。これは、各個教会が単立で宣教の働きを担うのではなく、各個教会が集まり、協力して宣教の働きを担うということを目的としています。私たちのJOYチャペルも、私たちだけで宣教を行うのではなく、神奈川連合の諸教会や、日立教会などと共同で広い範囲で宣教の働きを担っていくことが大切です。その為に、私たちは何ができるのか、何をするべきなのかを考えていくことが必要です。

◆先週末の豪雨(2018年7月豪雨)により、西日本の広い地域で多くの方が亡くなり、今もなお行方不明の方が多くいらっしゃることを私たちは日々のニュースで知ることができます。たくさんの方の心が痛み、現実を直視できない状況の方々が多くいることでしょう。このような状況で、歯がゆい思いをされる方もいらっしゃると思います。私たちが今できることは何でしょうか。被害に遭われた方々の為に、地域の教会の為に何ができるのでしょうか。お先真っ暗に思えてしまうこのような時だからこそ、主にある希望を私たちは伝えていくことが必要だと思います。

◆その為にまず私たちは祈りから始めましょう。「祈りの力を信じます」と掲げている私たちが、祈ることをやめてはいけません。私たちの教会だけでなく、多くの教会と共に祈っていくことが必要だと思うのです。これも「協力伝道」の一つの形であると思います。ぜひ、家族と友人と教会を超えた主の交わりの中で祈っていただきたいです。

「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」 (ローマ15:5 新改訳)

坂西恵悟

今週の一面『夢を見よう』7/8  

Shin1

◆今、私たちの教会では「信仰告白」の見直しを行っています。教会の信仰を再度確認し、教会の一つの基盤を再構築しています。バプテスト連盟では、各教会がそれぞれ「信仰告白」を持っています。その「信仰告白」を基盤に、それぞれが様々な方法で宣教の働きを行なっています。個人を見てみると、バプテスマを受ける際、各人が「信仰告白」を作成します。そして、バプテスマを受け、一人のクリスチャンとしてスタートするのです。つまり、「信仰告白」は私たちがクリスチャンとして歩む上で必要なものになります。教会の「信仰告白」は教会が宣教の働きを行う上で必要なものです。

◆教会が宣教の働きを行うのに必要なものを準備している私たちが、次に目指すべきものなんでしょうか。それは、宣教のビジョンを明確にすることだと思います。キング牧師の有名な演説に「I Have a Dream」があります。彼は、差別のない平和で平等な世界を夢見ました。出エジプトの時、イスラエルの民が目指したものは約束の地でした。ネヘミヤは、散らされた民が再度集められ、城壁を再建し神を礼拝することを目指しました。イエス・キリストは、すべての人が悔い改め、天の御国を待ち望むこと、求めることを目指しました。

◆私たちは、個人として、教会として何を目指していますか。何を夢見ていますか。その夢を、目指すものを明確にしたいのです。それが明確になった時、具体的に私たちが何をすべきなのかがはっきりとわかり、効果的に宣教の働きを担うことができるのではないでしょうか。

◆ぜひ、夢を持っていただきたい。その夢を分かち合い、教会の夢をより明確にしていきたいのです。夢を持つ教会を、夢の実現を目指して行動する教会を一緒に建て上げていきましょう。

「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。」  (マタイ6:10)

坂西恵悟

「力を捨てよ、知れ わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」(詩編46:11)

◆先週は、デボーションのことについて学びました。御言葉を日々読む(聴く)大切さを学びました。キリスト教会におけるデボーションの意味の中で「静思の時」という意味があります。御言葉を読む(聴く)以外にも"祈る"こともデボーションです。今日は、デボーションにおける"祈り"について学びましょう。

◆私たちは普段どれだけデボーションに時間を取っているでしょうか。24時間のうちどれくらいですか。10分?30分?1時間?一人一人様々だと思います。「時間が長ければ良い」「短いからダメ」ではなく、その時間の中でどれだけ、神様と深い交わりが出来ているかが大切だと思います。前回お伝えしたデボーションの方法を取ると、短くても15分。30分以上かかることもある方法です。日常の中でその時間を取るというのは難しい方が多いと思います。だからこそ、逆にしっかりと時間を確保した時の、充実度は高いのではないでしょうか。

◆冒頭の詩編は新共同訳です。この聖書箇所を別の訳で見るとこのようになっています。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる。」(口語訳)
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(新改訳第3版)
「よく聞きなさい。わたしこそ神であることを、よくよく知りなさい。わたしは全世界でほめたたえられる。」(リビングバイブル)

◆充実した深いデボーション(御言葉と祈り)を持つために、私たちがすることは、「静まる」ことです。忙しい日々だからこそ、一度「やめて」、「力を捨て」て、「よく聞き」たいと思うのです。毎日これをするのは難しいかもしれません。でも、少なくても週に1回はこのような時間を持っていただきたいのです。
 神様の前に何も持たずに、喧騒を忘れ、置いて、静まる日を持ってみませんか?

坂西恵悟

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(2テモテ3:16,17)

◆横浜JOYバプテスト教会のミッションステートメントにこのような1文があります。「主の日の礼拝と祈り会、そしてデボーションを大切にします。」教会の大切にしているものの一つであるデボーション。デボーションは「献身」「忠誠」という意味が本来ですが、教会においては、「静思の時」や「神様との交わり」という意味が強いです。なぜ、教会はデボーションを大切にしているのでしょうか。それは、このテモテへの手紙に書かれていることの通りです。聖書によって、私たちは整えられていきます。日々のデボーションは私たちがクリスチャンとして歩む上で必要不可欠なものなのです。

◆「S.O.A.P」と呼ばれるデボーションの方法があります。「S」=Scripture(みことば)、「O」=Observation(観察)、「A」=Application(適用)、「P」=Pray(祈り)の4つの項目で進めていく方法です。(『The Divine Mentor あなたを導く神様の個人レッスン』 ウェイン・コデイロ著)
「S」:その日読んだ聖書箇所から "1節" 今の自分に必要な、心に止められた御言葉を選びます。もちろん、始める前に"お祈り"から始めてください。その中、必要な御言葉が与えられるように祈ってください。
「O」:読んだ聖書箇所にどのようなこと(もの)が書かれているのか、何がどのように、どの場所で起こったか、誰に起こったかなどの背景や状況を考えてください。
「A」:「S」と「O」を通して、どのように適用できるかを考えてください。
「P」:デボーションの感謝と適用することが実行できるように祈ります。

◆以上のことをノートにメモします。そうすることで、何を考えたか、感じたかを整理することができ、振り返ることができます。デボーションテキストを使用している方や、「1日1章」を使用されている方など、様々な方法でデボーションをしていると思います。今の方法をそのまま継続していただいてもいいですし、今勧めた方法でデボーションしていただいてもいいです。何より大切なのは、私たちが毎日、御言葉を読む(聴く)ことです。』

坂西恵悟

「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。感謝の歌をうたって主の門に進み 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をほめたたえよ。主は恵み深く、慈しみはとこしえに 主の真実は世々に及ぶ。」  (詩編100:3-5)

先週に引き続き、詩編100から礼拝について学びましょう。礼拝は「主に向かって喜ぶ」こと。「主に仕える」ことを学びました。今週は、3節から5節を通して学びたいと思います。

3.主を知る
 礼拝の目的の一つに「主を知る」ことであると聖書は言います。主はどのような方でしょうか。3節には、「主はわたしたちを造られた。」とあります。また、詩編96:5,6からも「主が造られた」ということを知ることができます。3節の後半部分からは、私たちを養ってくださるのが主であることがわかります。つまり、私たちは礼拝のプログラム一つ一つを通して「主を知る」ことができます。礼拝の様々なところに、主がどのような方かを知る機会がたくさんあるということを私たちは覚えましょう。私たちを養ってくださる主がいつも私たちに必要なもの(こと)を用意してくださっているのです。

4.主を賛美する
 4,5節から、「主を賛美する」ことの大切さを学ぶことができます。礼拝において賛美は必要不可欠です。感謝を携え、主を賛美し礼拝をすることが大切です。詩編100は「感謝の賛歌」と言われています。まさに「主を賛美する」ことが礼拝なのです。賛美を通して感謝をささげ、賛美を通して主を知ることができる。賛美は主との交わりを深めます。賛美によって、満たされ、励まされ、慰められます。それは、一般の歌とは違い、主なる神へのささげものだからです。だから、私たちは賛美を通して主を知ることがだできるのです。
「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。」    (詩編34:1)

坂西恵悟

「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え 喜び歌って御前に進み出よ。」(詩編100:1,2)

◆礼拝は「神様への応答」です。では、何に対しての応答なのでしょうか?それは、神様が私たちを招いてくださることへの応答なのです。

◆礼拝プログラムの中に「招詞(招きの言葉)」があります。神様が、私たちの罪をゆるしてくださり、神の子どもとして私たちをご自分のもとへと招いてくださるという意味があります。この詩編100は、招詞としては非常に有名な箇所です。ここでは、神様の招きに対して私たちのあるべき応答の姿が書かれています。

1.主に向かって喜ぶ
 この詩編の詩人はどのように神様への応答を行うのか、一番はじめにあげたことが「喜ぶ」ことでした。礼拝は、沈黙してささげるものではなく、喜びの叫び、歌を持ってささげるものなのです。毎週の礼拝で「喜び」はありますか?「喜び」をもって集まっているでしょうか?私たちは、親しい友人などに招かれる時、どのような思いを持つでしょうか。反対に、友人を招く時、どのような思いを持ちますか。招かれる側が疲弊しきっているととても残念だと思うのです。友人に招かれた際、そのような状態で伺うことはしないでしょう。礼拝も同様です。神様は私たちを招いてくださっています。私たちは「喜び」をもって、その招きに応答することが大切です。

2. 主に仕える
 2つ目に「主に仕える」ことを聖書は教えています。教会の礼拝には様々な奉仕があります。司会、説教者、奏楽者、受付、アッシャー、ナースリーなどの目に見える奉仕、週報作成、印刷、掃除などの目に見えない奉仕。1回の礼拝を行うために様々な奉仕によって支えられています。奉仕をしてくださりありがとうございます。神様も一番喜んでくださっているでしょう。私たちが「主に仕える」こと。これも私たちの「神様への応答」です。奉仕を通して主を喜び、賛美し、感謝を表していると思うのです。誰のためでもなく、主のために共に仕えていきましょう。        礼拝③につづく

坂西恵悟

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