◆エジプトを脱出し、神様の多くの奇跡と御業を体験したモーセのもとに、しゅう とであるエトロが訪問しました。エトロは、神様がモーセとイスラエルの民になさ ったすべてのこと、エジプトから導き出されたことを聞いて、モーセの家族と共に モーセのもとへと訪れたのです。エトロを迎えたモーセは、神様がイスラエルのた めにファラオとエジプトに対してなされたこと、道中での神様の御業を話しまし た。このような証を聞き、またエトロ自身も目の前にある雲の柱、火の柱、マナを 目の当たりにして驚き感動を覚えたことでしょう。エトロはこの証を聞いて喜び、 主を賛美し、いけにえをささげました。(出エジプト18:10-12)

◆異邦人であるエトロがこのような行動に出るほど、神様の行われた御業がどれほ ど素晴らしいのかを知ることができます。エトロはイスラエルのことを耳にしてい ました。そして、実際にモーセと話し、目の前の出来事を見て、主を賛美したのです。 まことの神様を信じる人が、神様に信頼を持って従い、神様の力と神様の恵みを体験 する時、まことの神様を知らない人に対して、主を証することができるのです。

◆私たちは、神様の恵みに満ちあふれた日々を送ることが出来ているでしょうか。 私たちの日々の歩みの中に、主が働き、主の偉大な御業と力と恵みと愛を私たちは 見つけることが出来ているでしょうか。神様のもとに一歩進んだ時、私たちの目の 前には主の偉大な御業、力、豊かな恵み、変わらぬ愛が広がっています。その恵み を受け取る時、私たちの口からは主への賛美で溢れることでしょう。また、私たち の歩みを通して、周りの人々も主を賛美することができたら、なんと素晴らしいこ とでしょうか。

「主をたたえよ・・・今、わたしは知った・・・主はすべての神々にまさって偉大 であったことを。」(出エジプト18:10-11)

坂西恵悟

◆人間は、弱いものです。神様の素晴らしい御業を体験しても、時間が経つ と忘れてしまいます。イスラエルの民も例外ではありませんでした。むし ろ、彼らの姿は、弱さをよく映し出しているものでもあるでしょう。十の 災いの奇跡を目の当たりにし、エジプトを脱出した後も目の前には雲の柱、 火の柱が導いているにも関わらず、彼らの口からは恐れや不満でした。エジ プトの民は、後ろから迫ってくるエジプトの大軍に恐れました。エジプト の神々を打ち砕いた方がいるにも関わらず、彼らは、目の前のことに集中 していたのです。

◆私たちも、神様からの恵みを忘れてしまうことがあります。そして、試 練の中で恐れてしまうことが、よくあると思うのです。過去の恵みを早くに 忘れ、今の不安定な環境に飲み込まれてしまいやすいものです。

◆葦の海での出来事は、イスラエルの民にとって大きな試練の一つです。 しかし、この試練は、神様によって与えられたものです。試練も、神様の 御手の中にあるのです。この試練の中において、イスラエルの民は、主に 向かって叫びました。試練の中において信仰をもって、助けや守りを神様 に求めることは、とても良いことです。しかし、このイスラエルの民の叫 びは、不平不満な叫びでした。彼らは、神様だけにではなく、リーダーで あるモーセに対しても言ったのです。彼らは、エジプトから救ってくださっ た神様の御業に不平を言い、エジプトに戻ることを望んだのです。神様の 御業を否定することほど、残念なことはありません。ここに、私たちの弱さ が、顕著に表されているのではないでしょうか。モーセは、イスラエルの 民に言いました。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の 救いを見なさい。」(出エジプト14:13)

◆主が、私たちのために御業をなしてくださいます。その御業を感謝し、主 に信頼するものでありたいと願います。

坂西恵悟

◆アロンを助け手として与えられ、ファラオの元へと遣わされたモーセ。イスラエルの民をエジプトから出してほしいと願うもファラオには聞き入れられませんでした。ファラオの心は頑なでした。そんな、頑ななファラオやエジプトに対し、神様は10のしるし(災禍)を起こされました。ナイル川の水が血に変わり、蛙が群がり、ぶよ、あぶがエジプトに広がり、家畜に疫病が蔓延し、はれ物が人と家畜に生じました。また、雹が降り、いなごの大群が押し寄せ、暗闇がエジプトを覆いました。そして最後にエジプト中の初子が過越の出来事により打たれました。この10のしるし(災禍)を通して、ファラオはイスラエルの民がエジプトから出ていくことをゆるしたのです。この10のしるし(災禍)を通して神様は何を教えようとされたのでしょうか。

「それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、

わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたがたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」(出エジプト10:1b-2)

◆神様が教えようとしたことは、神様が主であるということです。力も権威も命も人のものではなく、神様のご支配の中にあるということです。この出来事は神様の言葉に従う者、従わない者の違いを見ることができます。また10番目のしるしは、イエス様の十字架を想起させます。救いの御業は神様からのものです。神様の言葉を信じたイスラエルの民と信じなかったエジプト、この違いは明確でした。新約の時代に入った私たちにとって、イエス様の十字架が私たちの救いです。私たちはこの救いの御業に感謝をささげるのです。

坂西恵悟

今週の一面 『与えられる助け手』 6/2  

管理人

◆神様からの召命を受けたモーセでしたが、彼は様々な理由を並べすぐに従うことはしませんでした。モーセは語ることに不安がありました。彼は「口が重く、舌の重い者」と自分を表していました。そんなモーセに神様は感情を出されました。

「主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。」(出エジプト4:14)

◆モーセの兄アロンがモーセの代わりに語ることをゆるしてくださったのです。神様はモーセを神様の代わりに、アロンをモーセの預言者として立たせ、イスラエルの民の救いのためにファラオの元へと遣わしてくださったのです。

◆神様は私たちを遣わす時、一人ではなく助け手を与えてくださいます。モーセにはアロンやフルが、アダムにはエバが。神様は必ず私たちの必要を与えてくださる方なのです。

◆20年前、JOYチャペルがスタートした時もそうだったでしょう。人に志を与えてくださり、助け手、支え手を与えてくださったことにより、JOYチャペルはスタートしていきました。神様の働きに足りないものはありません。私たちが足りないと思ったものがあったとしても、神様は必要を全て備えてくださるからです。主の助けと、備えがあるからこそ、そのことを信じるからこそ私たちは大胆に宣教の働きを行うことができるのです。

◆モーセにはアロンが与えられ、その後、後継者ヨシュアが与えられました。そして、40年かかりましたが、神様の約束の通りイスラエルの民はカナンの地へと入っていくのです。私たちの歩みにも主が共にいてくださいます。そして、必要を満たし助け手を与えてくださるのです。このことを信じ、私たちは歩んでいく者でありたいのです。

坂西恵悟

今週の一面 『神様からの召命』 5/26  

管理人

◆「召命」という言葉は牧師や伝道師などの「献身者」によく使われる言葉です。聖書を見ても、神様から召命を受けている人は、「選ばれた人」です。「召命」は「選ばれた人」だけなのでしょうか。そうではないと思います。クリスチャン全員が主から「召命」された人々だと思います。だからこそ、一人一人が主の証人として生きることが必要になってきます。私たちが用いられる場所があり、そこに主が遣わしてくださるのです。

◆モーセは神様から直接召命を受けた人物です。しかも、彼が召命を受けた時は80歳でした。普通では考えられない年齢でも、不安要素が多い状況でも神様は用いようとしてくださる。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。」(出エジプト3:9)と神様がモーセに語ったように、私たちも神様から遣わされている者なのです。

◆モーセは神様からの召命に対して、二つ返事で返答しませんでした。様々な不安要因を挙げていました。私たちも遣わされようとしている時、何か言い訳を考えてしまうことはないでしょうか。自分の置かれている状況を考えたり、必要がそろっていないことを考えてしまったりすることがあると思うのです。それでも、準備が不完全だったとしても、主は私たちを用いようとしてくださっているのです。

◆私たちが置かれている場に主は私たちを遣わしてくださっているのです。そして、そこに主が共にいてくださり、私たちを支え、必要を満たし励ましてくださるのです。主の召命に対して、私たちは「はい」と「私を遣わしてください」と答えることができればなんと幸いなことでしょうか。

 「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」(出エジプト3:12)

坂西恵悟

◆1999年9月12日に初めて、私はJOYチャペルに導かれました。JOYチャペルがなかなか見つからず、帰ろうかなと思った時に、主は魚マークを付けた車を用意され、私を礼拝場所へ導かれました。「主がお入り用なのです。」との祈りを持って、JOYのメンバーにしていただきました。

◆JOYに集められた一人一人が主のために用いられたいという祈りを持って、礼拝場所を求めていた時、主は夢を持って示され、先回りしてその場所を示されました。横浜西YMCAが礼拝場所としての使用を許してくださったのです。ビルの4階を牧師室にと決める時も、ビルの2階を礼拝堂として使用する時も、牧師館兼ぶどう館を求める時も「主がお入り用なのです。」という祈りを持ってあたったとき、主が全ての必要を満たして待っていてくださいました。

◆人が入れきれないくらいの礼拝になり、土地探しを始めました。いくつもの土地を見て歩きましたが、教会に相応しい土地が見つかりません。「主がこのJOYを必要とされています。主がお入り用なのです。」と言う祈りが捧げられその結果、今の土地が与えられました。お金の面でも、必要を満たされたのです。教会堂の建築も間を空けずに始まり、主を礼拝することを第一にする会堂が出来たのです。隣地購入もその時を与えられ、必要なものを全て用意していただきました。まだ売り出される前から、「隣地が必要ですから与えてください。」という祈りがあったことを忘れてはならないと思います。

◆今年は、JOYの伝道開始20年目の年です。まず自らを主に「主がお入り用なのです。」と差し出すことが求められています。そうすることで、主のご計画を知ることができ、主が祝してくださり、用いてくださるのです。

「もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」マタイ21:3

伊東昌彦

◆イスラエル人に対し、苦役を課し、生まれてくる子どもを殺害することを命じたエジプトにおいて、イスラエルの民は増え広がっていました。そのような中、モーセが生まれ、彼はエジプトのファラオの娘の子どもとして、育てられていったのです。モーセは同胞の苦役を目の当たりにし、エジプト人を殺害しました。彼は恐れ、ミデヤンの地へと逃げていったのです。ミデヤンの地で、モーセは結婚をし、子どもが与えられていました。モーセは40年間、ミデヤンの地で生活をしていたのです。

◆一方エジプトでは、イスラエル人に対する苦役が続いていました。エジプトの王が変わっても苦役からの解放はなく、重い苦役に苦しんでいたのです。イスラエル人は、異邦の神ではなく、アブラハム・イサク・ヤコブとの契約をした神に助けを求めたのです。神は、イスラエルの民のうめきを聞きました。そして、アブラハムたちと結んだ契約を思い起こし、イスラエルの人々を顧みられたのです。その後、モーセを選び出しました。

◆苦しみの時、私たちは神様の「沈黙」に失望することがあります。こんなに叫んでいるのに、こんなに願っているのに、神様は答えを出してくれない。このような経験があるでしょう。しかし、神様は答えを出してくれないのでも、聞いていないのでもなく、私たちの叫びを聞いてくださる方であると聖書は言っています。すぐに解決できる答えが与えられない時もあります。しかし、神様は私たちの願った通りではない別の方法を用いて、答えられることもあるでしょう。イスラエルの民にとって、確かに長い苦役でした。しかし、その苦役から脱出をさせてくれるリーダーを与えてくださったのです。神様は「聞いておられる」のです。そして、神様のタイミングで答えてくださるのです。

坂西恵悟

今週の一面 『祝福の前の苦しみ』 5/5  

管理人

◆ヤコブの一族はエジプトに移住し生活を続けました。ヤコブの息子、孫の数は70人でした。その後、イスラエルの人々は子を産み、増え広がっていきました。ヨセフの時代を知らない王が誕生した時、イスラエル人の増え広がりを危惧したのです。そして、イスラエル人に対し重労働を課したのです。しかし、重労働の中においても、イスラエル人はますます増え広がったのです。

◆イスラエル人に対しての苦しみは、重労働だけではありませんでした。エジプト王は、ヘブライ人の助産婦、シフラとプアに出産時に男の子だった場合殺すように命じたのです。しかし、彼女たちはエジプト王に従うことはありませんでした。彼女たちがおそれたのは、エジプト王ではなく、神様をおそれていたのです。この助産婦の信仰を私たちも見習いたいのです。私たちは様々なものに対して恐れを覚えます。将来だったり、世の中の権力などです。ただ私たちは、上に立つ権威には従うべき(ローマ13:1)ですが、その要求や命令が神様からの教えに逆らうものならば、私たちは人間よりも、神様をおそれなくてはなりません。(使徒5:29)助産婦たちは神様をおそれました。その結果、彼女たちは神様から祝福され、彼女たちも子宝に恵まれたのです。

◆ファラオの願った通りにならない中、ファラオは新しく命令を出しました。生まれた男の子をナイル川に投げ込むよう命じたのです。分娩時に殺すことができないならば、生まれてから殺すことを命じたのです。このことを通して、イスラエルの民は神様の御業を体験する前に、苦しみを体験することになりました。私たちは、受ける恵みが大きいほど、受ける苦しみも大きいことがあります。しかし、神様は、苦しみの後に、その苦しみをも上回る祝福を備えてくださっているのです。(Ⅰペテロ5:10)

坂西恵悟

◆ヤコブの一族がエジプトに来て、ゴシェンの地に住むことがゆるされました。その間も、ヨセフはエジプトの責任者としての勤めを全うしました。ヤコブは父イサク、祖父アブラハムと同じ墓に入れるよう伝え、息を引き取りました。ヨセフはヤコブの遺言通りに行いました。

◆ヤコブの死後、ヨセフの兄達はヨセフの仕返しを恐れていました。父ヤコブのいない今、昔ヨセフにしたことの仕返しをされるかもしれないと思っていたのです。そして、ヨセフに人を送り赦しを請うたのです。その兄たちに対し、ヨセフは言いました。

「恐ることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」(創世記50:19-21)

◆ヨセフは兄達を赦しました。ヨセフは罪を赦すことは人ではなく、神が行うことであることを信じていたからです。それだけでなく、兄たちの悪い計らいも、神様が良いことのための計らいとしたことを信じていたのです。そして、最後に、兄達に対する愛を明らかにしました。

◆人間関係の中において、嫌なことを体験することがあります。その中で私たちは赦すことの難しさ、仕返しをしたくなる思いが生まれてくるでしょう。けれども、神様が望んでおられることは、隣人を愛するということです。ヨセフは、兄達を赦し、愛しました。もちろん、すぐにできなかったかもしれません。しかし、すべてが神様の御手の中にあるという確信が、彼に赦しと愛を与えたのです。

坂西恵悟

今週の一面 『神の摂理』 4/21  

管理人
◆エジプトのNo.2となったヨセフ。彼は、7年の豊作とその後の7年の飢饉に備えていました。そして、飢饉がきた時、エジプトの国内だけでなく、他の地域の人々も穀物を求めエジプトにやってきたのです。エジプトだけでなく、他の地域でも飢饉が激しくなっていたのです。ヤコブ達が住んでいたカナン地方も同様でした。ヤコブは10人の息子たちにエジプトに穀物を買いに行くよう命じたのです。

◆ヨセフは穀物を買いに来た兄たちに気づきました。一方、兄達はヨセフだと気づいていませんでした。兄達との関わりの中で、彼らの砕かれた姿、ユダの訴え聞き、兄達が真に悔い改めていること、父への愛を確認し、自分自身の身を明かしました。ヨセフは兄たちに対し、自分を売ったことを悔いたり、責め合うことをしないようにと話ました。(45:5)それは、ヨセフ自身が神様が自分を遣わしたと信じていたからです。ヨセフが先に遣わされたのは、大いなる救いに至らせるためだと告白したのです。そのためのエジプトでの生活であり、今の立場を神様が与えてくださったと信じているのです。このご計画は、エジプトの民が救われるだけでなく、イスラエルの民の救いにも繋がっています。すべてが神様のご計画であると信じているヨセフは、自分の能力や立場を自分のために用いるのではなく、兄弟と異邦人のために用いたのです。

◆私たちもこのヨセフのように神様のご計画を信じて歩む者でありたいのです。良いことも悪いことも、すべての出来事に意味があり、その先に神様のご計画があるということを信じていきたいのです。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは、平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29:11)

坂西恵悟
4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

過去の記事

ケータイサイト


記事コンテンツがケータイで見れます。
ケータイで上のQRコードを読み取りアクセスして下さい
お持ちのケータイにバーコード読み取り機能が無い場合には↓
URLをケータイに送信