◆申命記は、全体の3分の1ほどに渡って律法が書かれています。守るべきこと、守らなかった時の呪いと守った時の祝福。祝福と呪いが書かれている書物でもあります。モーセは、荒野での旅の終わりに、これから新しい歩みを始めるイスラエルの民に対し、神様から語られたこと、約束されたことを語ったのです。

◆この中には、イスラエルの民だけでなく、その枠組みを超えたものもありました。
「わたしはあなたたちとだけ、呪いの誓いを伴うことの契約を結ぶのではなく、今日、ここで、我々の神、主の御前に我々と共に立っている者とも、今日ここに我々と共にいない者とも結ぶのである。」(29:13-14)

◆モーセは、主の掟と法を守るようにと何度も命じました。その先にある祝福と呪いも何度も語りました。しかし、それはイスラエルの民の中に止まっていました。けれども、神様が新しく与えてくださった約束は、イスラエルの民だけにとどまらなかったのです。そして、それは今の私たちにもイエスキリストによって与えてくださる恵みとなっているのです。

◆2019年を振り返った時、私たちは神様に従順であったり、時に不従順になってしまったことがあったかもしれません。しかし、神様は、そんな私たちを変わらず愛してくださり、何度も何度も立ち帰るようにと語ってくださったのではないでしょうか。放蕩息子の父親のように、主の前から離れ、立ち帰る私たちを待っていてくださり、受け止めてくださる。そこには神様の喜びがあるのです。新しい1年が、ますます主に喜ばれる歩みをしていくことができるように、主に信頼していきましょう。

坂西恵悟

◆神様はイスラエルの民に対し何度も、戒めを守るようにと命じました。そして、守るなら「乳と蜜の流れる土地で長く生きることができる」と約束してくださいました。私たちが神様からの恵みをイメージする時、どのようにイメージするでしょうか。誕生日プレゼントやお年玉のように、一過性のもののようにイメージしていることはないでしょうか。神様からの恵みは、その時だけというイメージを持ってしまうこともあると思います。

◆エジプトでは、「自分の足で水をやる必要があった」(10節)けれども、イスラエルの民が入ろうとする約束の地では、「天から降る雨で潤されている」(11節)土地でした。そこには、神様からの一過性の恵みではなく、継続的な恵みが用意されているのです。
「それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である。」(12節)

◆神様は、イスラエルの民を常に心にかけてくださっているのです。またそれだけでなく、素晴らしい土地と十分な雨のもと、「あなたは食べて満足する」(15節)と約束してくださっています。神様が与えてくださる恵みは、一時的でなく、私たちが満足しても続いていくのです。40年間の荒野での旅は不自由もあったことでしょう。しかし、それ以上にイスラエルの民は十分に与えられ続けてきました。神様が常に心にかけてくださっていたからです。

◆そして、この祝福はイエスキリストを通して、今を生きる私たちにも与えられています。私たちにとっての一番の恵みは、イエスキリストによる救いです。それだけでなく、インマヌエルである主が私たちと共にいてくださり、常に心にかけてくださっているのです。このことを感謝しつつ、主に従う者になりましょう。
坂西恵悟

◆預かっている赤ちゃん達を乳母車に乗せて散歩している途中、この言葉に出会いました。パン屋さんの窓に貼られた一枚の紙。街にジングルベルの曲が流れる頃のことです。後になって、「よき おとずれ」が、「福音」のことだとわかりました。

◆「福音」とは、良い知らせという意味。神が私たちの罪の贖いのために、ご自身の御子イエスを遣わされ、そのイエスを死者の中からよみがえらせたことによって、信じる者はだれでも永遠の命をもつことができるということ。

◆この秋、入院中の義母の傍らで祈る時を与えられました。胸中の苦しみを訴える義母と祈り、私が祈り終えた時、クリスチャンではない義母の口から「天にまします我らの父よ・・・」と「主の祈り」が聞こえてきました。義母は全文を覚えていて、最後まで祈り通しました。大きな驚きでした。教会へ通った期間は短いが、子どもの頃、宣教師から教えてもらって覚えたとのこと。この祈りが80年余の間、心の中に生き続けていたことを目の当たりにして、主のみ業の深さを改めて知る恵みをいただきました。

「主の名を呼び求める者は、だれでも救われる。」
               (ローマの信徒への手紙 10:13)
「信じたことのない方をどうして呼び求められよう。聞いたことの
 ない方をどうして信じられよう。また宣べ伝える人がなければ、
 どうして聞くことができよう。」
(ローマの信徒への手紙 10:14 )

◆自分の店の窓を用いて福音を伝えたパン屋さんのように、イエス様に救われ、赦されて生きる喜びを伝えないではいられない。そのような者に造りかえてくださいと祈る2019年のアドベントです。

西原 寿美子

◆モーセはイスラエルの民に対し、「注意しなさい」と注意を促す言葉を語り、この内容が大切であることを強調しました。40年の荒野の旅を通して、何を忘れないようにするのか、何を覚えておくのかを明確に語ったのです。主の命じられた戒めを守ること、主がイスラエルの民を訓練されること、その先にある主が与えてくださった良い土地があること、これを思い起こし礼拝をすることを語りました。(8:1-10)

◆11節では「注意しなさい」と語っています。何を注意するのでしょうか。それは、「あなたの神、主を忘れることのないように」ということです。主が与えてくださったその土地に入り、永住していくなかで、生活の豊かさを体験していきます。その結果、彼らの心におごりが発生し、主を忘れないようにと注意しているのです。「心のおごり」とは、17節で語られている「自分の力と手の働きで、この富を築いた」という考えです。

◆この「心のおごり」は、今を生きる私たちの内にも起きてくるものです。様々なことがうまくいき、順調に物事が進んでいるとき、私たちは自分の力や働きを誇示することがあります。その結果、私たちは神を忘れてしまっていないでしょうか。そんな私たちにも、モーセは、はっきりと語っています。
むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」(8:18)

◆私たちは、恵みの源である主から様々な力をいただいています。過去の功績や実績を通して自分自身に目を向けるのではなく、その力を与えてくださった主に心を向けていきましょう。主をほめたたえる、主を礼拝することが、主に心を向ける最善の方法です。

坂西恵悟

◆神様はイスラエルの民をご自分の「聖なる民」「宝の民」とされました。その祝福に預かることのできたイスラエルの民に対し、神様はさらに約束をしてくださったのです。約束の地に住んでいた諸国の民を主が滅ぼし、イスラエルの民が約束の地へと足を踏みいれることです。

◆けれども、イスラエルの民には"恐れ"がありました。彼らは偵察隊を送った後、約束の地に入ることを躊躇してしまったのです。イスラエルに対して神様はおっしゃいました。「彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主はあなたのただ中におられ、大いなる畏るべき神だからである。」(7:21)と励まし、さらに神様が「エジプトの全土になさったこと」、「主のしるしと奇跡、力ある御手と伸ばされた御腕をもってなされたこと」を思い起こしなさいと励まされたのです。(7:18,19)

◆私たちは人生の中で多くの壁を経験します。その壁の高さに愕然として諦めてしまうこともあるでしょう。何かをしようとしたときに"恐れ"を感じることもあるかもしれません。しかし、イスラエルの民を愛し、私たちを愛してくださる神様は、聖書を通して約束してくださっています。まず、私たちの「ただ中におられる」ということです。つまり、私たちの中心に共にいてくださるということです。次に、神様のなされた御業を「思い起こしなさい」ということです。私たちは主が共におられるということは何度も聞き、考えることがあると思います。一方でどれほど、主のなされた御業を思い起こしているでしょうか。

◆主のなされた御業を思い起こすとき、主の素晴らしさだけでなく、主の愛、励まし、慰め、希望を思い起こすことができるのです。

坂西恵悟

今週の一面『心をひとつに』 11/17  

Shin1

◆11/13~15に連盟定期総会が行われました。様々なことが協議され、これからの歩みについて決議されていきました。この総会の前に行われた日本バプテスト祈祷聖会では、1泊2日の短い期間でありながらも、内容の濃い1泊2日でした。何か特別なことを行ったのではなく、礼拝と祈りと証しの時間だけです。参加されたお一人お一人の証しを聞き、御言葉と祈りと賛美によって霊的な養いをいただくことができました。

◆この祈祷聖会は、昨年からスタートしましたが、きっかけ定期総会時に行われた早天祈祷会です。「聖書信仰に立ち、聖霊を求め、日本のリバイバルを求めて祈る。バプテスト本来の信仰の源流に立ち還る。日本バプテスト連盟加盟諸教会の祝福をとりなし祈る。イエス・キリストを証しし、宣べ伝える。」という目的でスタートした祈り会です。

◆昨年初めて定期総会に出席した時、全国の教会の牧師、信徒の方が集まっているのに、教会での恵みの分かち合いや祈り合いがないことに残念な気持ちになっていました。もちろん、大切なことを話し合っていますが、せっかくの機会がもったいないなと思わされたのです。そのような中、早朝に集まり祈るこの会は、憩いの場所となりました。

◆志を同じくする牧師や信徒の方々と、心を合わせて祈る。教会内で行われていることが教会を超えた交わりの中で行われていることに非常に励まされました。是非、この祈りの輪に加わっていただきたいと願います。
「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。」ガラテヤ6:14

坂西恵悟

◆イスラエルの民に再度、十戒を語ったモーセ。モーセは続けて、"主"がどのような方なのかを語りました。イスラエルはいつも異教の神に囲まれていました。アブラハムは月神信仰の地で育ち、エジプトでは様々な神がおり、約束の地には異教を信じている人々が住んでいる。このような状況を目の前に、モーセは再度 "主"がどのような方なのかを語ったのです。

◆モーセが語った"主"、それは「唯一の神」です。「ただ一人の神」です。このことが何よりもイスラエルの民の中ではっきりと知らせるべきことでした。またこのことは、申命記全体を通しても一貫して語られていることでもあります。

◆神様から大切な啓示を受けたイスラエルの民に、唯一の神を愛することが教えられています。
「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
(申命記6:5)
この言葉はイエス様も大切にされた第一の戒めです。神を愛することが、神様への応答となるのです。この4,5節の言葉が土台となり、6節以降では、信仰継承の広がりが語られています。「神を愛し、隣人を愛する」ことは、親から子、子から孫へと世代を超えて継承されていくのです。

◆私たちもこのことを大切にしていくことが必要です。何よりも、まず主が「唯一の神」であることを認め、その主を愛す。この神様への応答を私たちが行っていくことが大事です。普段の生活の中で、どれほど神を神とし、愛することができるのかを確認しているでしょうか。神を愛することを次世代に伝えていくことができているでしょうか。私たちは気づくと人中心になってしまいます。もちろん大切なことですが、イエス様も教えてくださっているように、モーセの時代から大切にされているように、まず唯一の神を愛していきましょう。

坂西恵悟

◆申命記4章は、申命記全体を要約している箇所とも言えます。モーセは1節において「今」にフォーカスを当てています。
「イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。」(4:1)

◆3章までの荒野の旅が、ただ過去のもので終わるのではなく、目の前に広がっている約束の地がただの将来ではない。過去と今、今と将来はつながっているものなのです。モーセはこれまでの歩みを踏まえ、そしてこれからの歩みを踏まえて、「今」何が大切なのかを教えてくれているのです。それは、神様のことばを聞き、従うことです。神様のことばを聞くことによって与えられる喜びに満たされることです。このことは、イスラエルの民はもちろんのこと、今を生きる私たちにも必要なことです。

◆旧約聖書の人物エリヤは、神の山ホレブの洞穴で夜を過ごした時、神様が通り過ぎて行かれました。その時には、激しい風や山を裂き、岩が砕かれ、地震が起こり、火がおきました。その後、静かにささやく神様の声が聞こえたのです。(列王記上19:11-12)私たちの周りは様々な声があります。その中で「静かにささやく」神様の声に聞き従っていきましょう。「今」語られる、主の言葉に従っていきましょう。

◆聖書は私たちに「主こそ神であり、ほかに神はいない」ということを過去を通して示してくださっています。その過去を踏まえ、「今」を歩んでいきましょう。将来にある希望と祝福を期待していきましょう。

坂西恵悟

◆イスラエルの民は、カデシュ・バルネアを出発し、ゼレド川を渡るのに38年をかかりました。(申命記2:14)神様の約束通り、前の世代はいなくなったのです。その後、ヘシュボンの王シホン、バシャンの王オグとの戦いを終え、ヨルダン川の東側をイスラエルの民で割り当てました。

◆モーセは神様にヨルダン川の向こうの土地に行くことを求めました。しかし、神様の答えはNOでした。神様はモーセの願いを退け、ピスガの頂上から見渡すように言われたのです。モーセは、ヨシュアを励ますようにと使命を与えられたのです。

◆モーセの祈りは、ただ自分自身の願いを言い表すものではありませんでした。彼の祈りは、神様の御心を聞く祈りでした。祈りを通して、してはならないこと、しなくてはならないことを神様に聞いていたのです。

◆私たちは、計画通りに実行することが普通です。旅行にしても、1日の動きにしても、仕事にしても。学校で時間割が定められているように、様々な行事が年間行事として計画されているように、多くの計画を私たちは立てます。モーセもモーセ自身が約束の地へ入ることを願いました。神様によって召された時は、その約束の地を夢見ていたことでしょうし、自分もその恵みに預かることができると期待していたことでしょう。けれども、kそれはかなわなかった。私たちは、自分の計画通りに行かない時、落胆します。だから、計画通りに進めようとします。そこには、私たちの願いが、時にエゴが多く入っているでしょう。モーセは神様の言葉に従い続けました。自分の願いではなく、神様の御心を求めていたのです。私たちも、このモーセに習うものでありたいのです。

「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言19:22)

坂西恵悟

◆私たちは同じ失敗を繰り返すことを良しとしません。会社の中でも、家庭の中でもたとえ失敗したとしても同じ失敗を繰り返さないように意識していくでしょう。イスラエルの民は同じ失敗を繰り返してきていました。
それは、神様の言葉を素直に信じ、信頼し、従うということができていなかったのです。このイスラエルの民の姿を見る時、私自身も同じことをしていると反省します。

◆モーセはイスラエルの民に対し「恐れるな、おののくな、うろたえてはならない」と神様が共におられること、神様の約束があることを伝え続けました。そして、その主の言葉に従い続けるよう伝えていたのです。しかし、イスラエルの民は目の前の状況にいっぱいいっぱいになり、神様の言葉に従うことができなくなってしまったのです。そんなイスラエルにモーセは、過去に神様が民に対してどのようなことをなさったのかを伝えていきました。それでも、民たちは主を信じることはなかったのです。

◆このイスラエルの民のような状況に私たちは置かれる時があります。その頻度はそれぞれですが、私たちはこの姿から学んでいくことが大切です。日々の生活の中で、神様に従うことを忘れてしまった時、主が私になさった御業や聖書やそれぞれに行われた御業を思い出していきましょう。
「あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」(1:31)

◆主が私たちと共にいてくださる。主が私を背負ってくださっている。その平安の中を、導きの中を歩む者でありたいのです。

坂西恵悟

5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15

過去の記事