岩の上の教会として

管理人

◆何気ない生活の中で、突如災難に巻き込まれすべてが崩れ去ってしまう、昨年はこのようなことを強く感じる一年でした。
JR福知山線の脱線事故やマンションの耐震強度偽装など、経済性追求のため安全対策が軽視され、まさに人間の欲望により多くの人々の普通の生活が瞬く間に奪われました。

◆そのような災難に巻き込まれるなど、誰もが冗談半分くらいにしか思っていないでしょう。
しかし、それも全く根拠のない自信のようにも思えてきます。
人間のつくりあげたものなど、丈夫そうに見えても所詮はもろく崩れやすい土台の上に建てられて
いるものばかりなのかもしれません。

◆教会についてはどうでしょうか。
教会はキリストの体であり壊れるはずのないもの。
しかし、その歩みが知らぬ間に人の考えに左右されるようになり、ガタガタと崩れ去ってしまった、これはよく耳にする話です。主が私たちに与えてくださった知恵や知識を悪い方向に使い、また個人個人のプライドや人間の論理が優先されるようになり、いつの間にか人間がキリストから教会を奪い取って結果的にそれを壊してしまう。
悲しいことです。

◆JOYチャペルは、立ち上げから現在に至るまで様々な問題はあったのでしょうが、順調に育まれてきたのだと思います。
今年から礼拝の場所がめぐみ館へと移り、また牧師館も移転しました。
新しい牧師館の周りには実は何人ものクリスチャンが住んでいたなどということを知ると、JOYチャペルは本当に主の導きによりキリストの体として歩んでいると感動すら覚えます。
このような私たちの歩みにとって最大の障害は、実は私たち自身なのかもしれません。
人間的な思いにとらわれて主の歩みを妨げないよう常に自分自身と闘っていかなければならない、このようなことを日頃からしっかり心の中に留めておく必要があると思います。
罪人である私たちにとってはとても難しい闘いでしょうが、共に祈り合い支え合っていけば、これまでどおりきっと主が導いて助けてくれるでしょう。
この世的な人間というもろい土台ではなく、マタイ16章18節にある岩の上の教会として、これからもずっと歩んで行けたらと思います。 
(宮崎英剛)

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