自分が誰なのか

管理人

◆日本で生活し、宣教しながら、自分にしっかり言い聞かせたくなる御言葉がある。
これは、放蕩息子が、遠い国で放蕩し、人生をあきらめる直前に我に返った」時のセリフである。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
雇い人のひとりにしてください。」

◆彼は立ち上がって、父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
彼が初めて気付いたのは、「父親はいつも私のために待ち続けてきたんだ」ありのままを受け入れる心がなかったのなら抱きしめることはできない。
赦す心がなかったら口づけができなかっただろう。

◆急いで一番良い着物を持って着て、この子に着せなさい。
遠い国で、放蕩の限りをつくしたボロボロの彼にとっては、最高の服は似合わなかっただろう。
父親は最高にこだわる。
息子には最高がふさわしいと思ったから。
手に指輪をはめさせなさい。
放蕩息子は、自分は子どもと呼ばれる資格はありえないと思ったが…父親は一刻も早く子どもに子としての権利を取り戻したかった。

◆実に父親は何も変わっていなかった。
ただ、息子が、昔は気付かなかっただけだ。
足に靴をはかせなさい。
放蕩の息子を恥と思わなかった。
むしろ誇り高くしもべたちに命令した。
「肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。」

◆父親は祝宴を始め、本気で喜びを隣人と分かちあった。
この上ない喜びであった。
「息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」お父さんの目には涙が流れる。
かつて父の愛情が、こんなに暖かくて、大きかっただろうか。
お父さんの優しさが心に染みる。
「私はずっと愛されてきたんだ」自分の愚かな罪を悲しみつつ、一晩中眠れなかった。
もう迷いはなかった。
これからは、一生お父さんに親孝行するんだ。
「父親の喜びのために私は生きるんだ」もう誰もこの愛から引き離すことはできない。

(李 キョンヨル)

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