何を選び取るか

管理人

◆「二者択一」を「ニシャタクワン」と読んだ中学生がいた。
最後の「一」を英語で読んでしまったのである。

◆人生は選択の連続である。
朝起きるか寝ているか、両方をいっぺんに選ぶわけにはいかない。
その結果は、その人の責任となる。
選ぶという自由が与えられているが、その責任はその人に問われるというわけである。

◆クリスチャンになったころは、この真理がわからず、自分の力で神を選びとったように錯覚していたが、信仰の歩みの途中で、神の深いご計画の中で選びだされたのだ、ということに気付かされて感激する。
そして、選びの目的は何であるかを悟ったときは、心を燃やして主にお任せしたくなる。

◆現代社会を分析するすぐれた評論家が「ビジイであること:つまり多忙であることは、それ自体としては大して意味をもたない。
意味ある事柄について多忙であるとき、その人は魅力的で活力ある生活を送っていることになる」と言っている。

◆クリスチャンとして何に多忙であるかが問われる。
情報化の時代。
やりたいこと、やらなければならないと思われることは、いくらでもある。
しかし、あと5年、10年と、区切りをつけて考えたら、何を選び取っていくのか、真剣に考えて実践しなければならない。

◆このたび、私たちは「湘南ニューホープ伝道所」の母教会となることを選びとった。
いや、神が母教会となる教会として選んでくださったのである。

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