◆神様は、イスラエルの民をエジプトから救い出すためにモーセを用いられました。
しかし、モーセは道具として用いられるということが理解できませんでした。
モーセはこのように神様に問い返しています。
「私はいったい何ものなのでしょう。
パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは」
(出エジプト3:11)
◆モーセは神様の命令よりも、自分の能力のなさに目を留めてしまっています。
そこで、自分にこんな大きな働きをすることはできないと思ったのです。
◆神様は私たちがどれほど弱い者なのか、十分ご存知なのです。
神様が私たちを召されるということは、召しと同時に力を与えてくださるという約束が含まれているのです。
◆悪魔はいつも、召された者に自分の弱さや限界を見せ、意欲を失わせようとします。
しかし神様は、私たちの弱さではなく、私たちの可能性を見ておられます。
神様が御力を注いでくださり、私たちが「神様の道具」にすぎないことを悟るようにしてくださるのです。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから
出たものでないことが明らかにされるためです。
(Ⅱコリント4:7)