人生の主権者は神

管理人

◆モーセは祈りの人でした。彼の死を賭けた祈りが、ヘブル
民族を救い、ひいては全人類を救うことになりました。そんな
モーセも「主の僕モーセが死んだ」(ヨシュア記1:1)と聖書は
記しています。偉大な人モーセも主の僕でした。

◆モーセの最期に、涙ながらに見送る民を後にして、モーセ
はただひとりネボ山に登りました。私はそのネボ山の頂上に
立った事があります。1997年2月15日のことでした。

◆その日、どこまでも見渡せるほどに空は晴れ渡っていまし
た。見下ろすと、ヨルダン渓谷が南北に伸び、その南端には
死海が横たわっています。目を上げると、中央山地がその雄
姿を現しています。これが、約束の地、カナンなのだ。私は未
だに、その美しさを表現する言葉を知りません。

◆モーセは、この峰から約束の地を見る事を許されていたの
です。恐らく、モーセの生涯で最も感動的な時であったこと
だと思います。今、80才から120才までの出エジプトの旅の
労苦40年間を思い返し、その役目を終え、重荷から解放さ
れることを心から喜び、神にある最良の人生を感謝して、幸
いな死を受け入れたことでしょう。

◆週報の巻頭言で半年にわたり、「主の僕モーセ」を追って
きました。つくづく思わされるのは、人生の主権者は神であ
り、自分はその僕であることを知らされます。このような告白
をもって、地上の生涯をさわやかに精一杯、神が「来なさい」
と言うところまで全うしたいものです。

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