◆キリスト者はそれぞれ「祈りの世界」をもって生きています。
これがあるため、苦しみを乗り越え、孤独に耐え、希望に生き
ることができます。もし祈りの世界がなかったら、わたしたち
の生涯は灰色で、味気なかったと思います。
◆祈りは天地の主なる神、今も生きて働く神にささげる人間
のまごころです。時に祈りは叫びとなり、願いとなります。それ
は個人的欲求のみを解消するものではありません。共に祈る
共同体の一人であることを、祈りは確認させるのです。
◆それが「教会」です。教会は祈りを大事にする共同体なので
す。教会の交わりはサラッとしています。しかし深い所で他者
のために祈りがなされるのです。自分も祈られます。人のこと
も祈ります。祈り、祈られる「祈りの世界」の共有こそ教会の
柱であり、いのちです。
◆教会はそもそも出発の時点でそうでした。「彼らはみな、
婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たち
と共に、心を合わせて、ひたすら祈りをしていた。(使徒1:14)
◆聖霊がそこに降りました。「みんなの者が一緒に集まって
いる」(使徒2:1)ところに、聖霊は火のように注がれました。
そこで人はつくり変えられました。臆病な者は勇気ある者と
させられました。煮えきらぬ者は、ハキと行動できる者となり
ました。
◆教会は祈り会から始まりました。その歴史からして祈り会
を大事にしたいのです。