家庭の限界(2)

管理人

◆いま我が国では、壮年層の人々が、仕事と家庭という重圧の中で
日々必死に生きています。そして疲れ、ある者は自信を失い、それ
でも責任を負い続けようと自らにムチ打って励んでいるのです。

◆天秤の右には仕事、左には家庭、それを担いで歩く壮年男性。
天秤の荷が一番重くなり、体力も少しずつ下り坂になるのを感じな
がらも、足をとめるわけにはいかないのです。

◆一方婦人たちは、天秤の右には子育て、左には家族(特に夫との
関係)のことで、悪戦苦闘しています。男も女も、それらの重圧に
耐えようと日々必死に生きています。

◆キリストへの信仰は、それに対する解答を持っているのでしょう
か。仕事も家庭も、端的に言って、それは「神」ではありません。
創造者によって「創られた世界」に属するものなのです。それらは、
「絶対」ではないから、悩みも生じるということです。

◆人生の問題がすべてそうであるように、家庭の問題もまた、わた
したち有限なものの地平では究極的には解決がつきません。いな、
解決しなくてもよいのです。主イエスのみもとでしか究極的には
解決されないのです。

◆主イエスは、家庭がうまくいっている時にも壊れそうな場合にも
家庭を絶対化しないことを語ります(マルコ23:31~35)。ただ家
庭を越えたより高次な主イエスとの絆があって、現実の家庭の限界
がそれを指し示すことを信じる(ただ主の恵みの支配に委ねる)時、
神が真の家庭に整えてくださるのです。

(続く)

過去の記事