荒野の祝福(9)

管理人

◆荒野の「霊の柱と火の柱の祝福」の二つめは、火の柱と雲の柱が
まるで「羅針盤のようなもの」という点にあります。私たちは荒野
のようなこの世に生きています。これは、私たちが太平洋の真ん中
に浮かんでいる船と同じです。海の真ん中のようなこの世で進路を
決めずにいくのは危険です。

◆イスラエルの民には案内者が必要でした。荒野は自分の気の向く
ままに行く所ではないからです。人生も自分の気ままに行くべきで
はないので、私たちの人生にも案内者が必要なのです。

◆荒野を旅するイスラエルの民に、火の柱と霊の柱は案内者の役割
を果たしました。雲の柱が止まるとイスラエルの民も止まり、雲の
柱が動くとき民は動きました。

◆多くの人が祝福されない理由は、このように動くべきときに動か
ず、動いてはならないときに動くからです。そして、道を踏み外す
のです。

◆この雲の柱は、イエス・キリストと同じです。イエス・キリスト
は「私は道であり、真理であり、いのちです」と語られました。神
がイスラエルの民のために荒野の道で昼には雲の柱を、夜には火の
柱を送ってくださって、彼らを導かれたように、私たちには、イエ
ス・キリストをこの世に送ってくださいました。

◆私たちが生きている現実は荒野です。そこで、主イエスさまに
従っていきましょう。神の備えられた祝福があなたの生活に満ち溢
れることを信じます。

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