礼拝の喜び(1)

管理人

◆旧約聖書の中にイスラエルの第二神殿の建設を記している箇所があります(エズ
ラ3:10~13)。神殿の定礎式の様子が描かれています。イスラエルの民は、バビロン捕
囚から「廃墟」と化している故郷に戻って来て、ゼロの状態からもう一度出発しよう
としたのです。廃墟は戻って来た故郷にあっただけではありません。彼らの内面にも
また「赤茶けた廃墟」が広がっていました。その時、彼らは何よりもさきに神殿を築
こうとしたのです。

◆イスラエルの民は、国破れ、文化も社会も崩壊し、人生の意味も目標も失われ、生き
る力も萎え果てた虚無的状態の中からの出発でした。その中で、人々は、新しく生き
始めるために、何よりも礼拝を必要とし、その礼拝の場所(神殿)を築こうとしたので
す。
◆神の民は、礼拝によってであればどんな廃墟からでも立ち直ることができるのです。
私たちの場合もそうです。礼拝は、まさに「生きる出発」なのです。
◆今、再建されようとしている神殿を目前にして、イスラエルの民は、感極まって泣い
たと言うのです。民はみな、主を賛美するとき、「大声あげて叫んだ」(12)と記され
ています。人生の中で、失われた礼拝の場所をもう一度再建しはじめた者の喜び、そ
して礼拝の家を立て、礼拝を捧げることができる者の感激とは、そういうものなので
す。

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