生きた礼拝が人間を癒し、生かす

管理人

◆旧約聖書の中で最も偉大な人物の一人で、最初の預言者サムエルの母ハンナは、子供
を与えられなかったことから、家庭の中でひどいいじめにあいました。夫のエルカナ
の慰めの言葉も「積もる憂いと悩み」のハンナを助けることができません。ハンナは
神殿の中で主の前に心を注ぎ出すしかなかったのです。その結果、ハンナは癒される
のです。礼拝は人間を癒し、生きかえらすのです。同じようにサマリヤの女もまた生
き返りました。交わりに生きることができるようになりました。そして、使命を持つ
人間になりました。ザアカイもそうです。主キリストが「降りて来い、あなたの家に
泊まる」と言われる。礼拝は、主イエスと共になることです。そこで、人間は自分を
取り戻すのです。ザアカイもまた、他者を思う人に変えられます。それは彼が癒され
たしるしであり、彼のもとに救いが来たしるしです。礼拝の中に、私たちの救いとの
出会いがあり、私たちの癒しがあるのです。

◆マルコ福音書2章に中風の人の癒しの記事が出てきます。一人の中風の人がイエスの
もとにつれてこられ、「子よ、あなたの罪は赦された」と主イエスから言われます。
そしてそれが、その人の癒しにもなるのです。

◆私たちもまた礼拝において罪の赦しを受けます。そして、健やかにされます。赦され
たもの、そして赦しを受け入れることができたものが、癒されないはずがありません。
生きた礼拝は、人間を癒し、生かすのです。

過去の記事