主が建てようとするもの

管理人

◆JOYチャペルは、現在、会堂建築に向けて歩みを進めています。私も神様はどんな会
堂を与えて下さるのだろうかとワクワクする日々を送っています。しかし、会堂建築
というと、世間で聞くのはとかく悪い話しばかり。教会がごちゃごちゃになったとか、
残ったのはがらんとした建物だけだったとか。

◆会堂の建築は、まさにこの世の現実的な事柄です。望ましいと思う会堂は人それぞれ
に異なるでしょうし、またいろいろな計算や思惑も出てきて、知らぬ間に皆がバラバ
ラになってしまうかもしれません。苦労して完成したとき、神様ではなく自分たちが
建てた会堂という思いにもなってしまうのかもしれません。その結果、主が建てよう
としていたものが、人の建てた単なる建物へと成り代わり、気がついたら教会は崩壊
し残ったものは建物だけだった、となることも想像に難しくありません。

◆よくよく考えると、会堂建築で主が建て上げようとするものは、実は会堂などではな
く、教会(神の家族)であるのかもしれません。人間的な思いを取り払い、主に信頼し
て全てを主に任せる教会。主から与えられるものを何もかも感謝して受け取る教会。
会堂自体は単なる付属物で、本当の目的はこのような教会を建て上げる事であるよう
にも思います。そして、JOYチャペルは、この目的に向かって忠実に歩みを進めている
ように思います。

◆会堂建築もまだまだスタートしたばかり。この先、さまざまな難題が待ち受けている
かもしれません。もしかすると会堂ができあがったとき、私たちが思ったような建物
などないかもしれません。しかし、会堂建築をとおして建て上がったものが、真に主
に信頼して全てを委ねる教会であったとしたら、何と素晴らしいことでしょう。その
ときにはきっと、必要なものはすべて主によって整えられていることでしょう。新会
堂が主によって建て上げられて行く様子を、そして私たちが神の家族として大きく成
長させられて行く様子を、皆様とともに喜びつつ見ていきたいと思います。

宮崎英剛

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