教会は神の家族である(2)

管理人

◆クリスチャンの中には、「浮草クリスチャン」と呼ばれる人たちがいます。毎週、い
ろいろな教会を行ったり来たりするクリスチャンです。教会めぐりを繰り返し、真に
教会の交わりに加わらないのです。

◆しかし聖書は、クリスチャンはキリストの体の一部とされたのだと教えています。ク
リスチャンは、それぞれ、キリストの手であり、足であり、耳であり、目であり、鼻
であり、内蔵なのです。もし肝臓が、「今週、私はこの体の一部になります。来週に
なったら、あちらの体に移ることにします。そしてその次は、どこにも加わらないで、
お休みします。」と言ったらどうでしょう。そんなふうに頻繁に肝臓移植を繰り返し
たり、取り出しておいたら、その肝臓は弱って死んでしまうでしょう。器官は、それ
自体では生存し続ける事ができないのです。同じように、クリスチャンは、地域教会
につながっていなければ、やがて霊的な命が途絶えてしまいます。ですから、地域教
会の一員になるということがとても大切なのです。

◆単にクリスチャンであることと、地域教会の一員になることの違いは何でしょうか。
それは、だれに自分をささげるか(コミットメント)の違いであると言えるでしょう。
私たちはキリストに人生をささげる(ゆだねる)ことによってクリスチャンになります。
そして、他のクリスチャンに自分自身をささげることによって教会の一員になるので
す。クリスチャンが教会の交わりに加わらなければ、家族のいない孤児のようになっ
てしまいます。私たちは、キリストに自分をゆだね、また神の家族である他のクリス
チャンたちに自分をゆだねていくことは、クリスチャンとして成長していく上でも必
要不可欠な要素なのです。

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