主よ、私を水の中に入れてくれる人がいません

管理人

◆38年のあいだ病に侵されていた男が、ベテスダの池の畔にいました。イエスさまに出
会った時「主よ、私を池の中に入れてくれる人がいません。」と訴えたのでした。
この男の病の原因は「生きる力を失い、偶像に頼って生きていたこと」にありました。
イエスさまがどのような奇跡をおこなったのかを、今日のメッセージを通して、 聖書
から聞いてみたいと思っております。

◆最近1~2年の間に教会に来られたかたは、私のことを良く知らないかもしれません。
中学入学の時にイエスさまに出会い、それから38年の間迷った後で教会の礼拝に出席
するようになり、その2年後にバプテスマを受けました。「JOY」が発足した年の夏は、リウマチの発病で入院中でしたが、その年の12月南万騎が原での礼拝開始と同時に転会し、その2年後に東京バプテスト神学校に入学をしました。

◆「主よ、私をバプテスマに導いてくれる人がいません。」と心の中で叫んでいる人に
「生きる意味」「生きる力」「生きる希望」を与える仕事(牧師)の、お手伝いができ
ればと考えての入学でした。学びは体調が原因で他の人よりスローになり、この3月に
卒業の予定でしたが、突然の体調の変化(胆嚢摘出)のアクシデントから、卒業は延期
となってしまいました。

◆教会実習という科目で「湘南ニューホープ伝道所」(以下「NH」と略す)に6ヶ月間お世話になりました。李牧師から、実習の終了後も手伝って欲しいとの申し出がありました。NH伝道所は信徒の数が伸び悩み「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て」(マルコ 6:48)の状態にありました。

◆会堂建築を控えている「JOY」で、卒業後も奉仕をしたいとの思いも強かったのですが、でも神さまはどちらを、私に望んでおられるのだろうかと考えました。もちろん
人間の考えでは、決定できないのは分かっておりましたので祈りました。その結果で、
確信を得た訳ではないのですが「JOY」での経験を、NH伝道所の伝道に活かす道もあるのではと考えました。

◆これまでの私の神学校での学びに対して、また健康に対して、皆さまからの祈り、多
くのお手紙、アドバイスを感謝しております。私も「JOY」と皆さまが、神さまに祝福される事を祈り続けます。どうかNH伝道所へのお祈りを、今後もお願いいたします。
ありがとうございました。

谷利 仁志

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