「家の中」が問題

Shin1

◆聖書に「家」という言葉が実に多くあります。旧約聖書で「家(バイト)」は2034回、新約聖書で「家(オイコス、オイキア)」は208回使用されています。いかに「家」「家庭」「家族」が大切なのだとの神の御心が知らされます。

◆そこで、聖書で「家」が取り上げられている箇所を見てみたいと思います。

◆「私は、正しい心(直き心)で、自分の家の中を歩みます。」(詩篇101:2新改訳)
 「その人の人格、本当の値打ちは、その家庭を見ればわかる」と言うと言い過ぎでしょうか。老熟のパウロは若い教会指導者テモテに、「自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか」(I.テモテ3:5)と言いました。耳の痛いことばです。

◆人は、自分の家の中でどのように歩むかが大切です。よく「内面(うちづら)」「外面(そとづら)」と言いますが、私自身も含めて、外面はいいけれど内面が悪い人が多いのです。外では明るく・優しく・にこにこし、謙遜で・礼儀正しく・思いやりもあるのに、「家の中」ではわがままで自分勝手、ありがとうも、おはようも、ごめんなさいの言葉もないということがあることではないでしょうか。

◆この詩篇の言葉は、人気絶頂の王・ダビデが自分を戒めて告白している言葉です。外の世界でどう歩むかも、もちろん大切です。しかし、ダビデは、自分の家の中でどう歩むかが、より大切だと知っていたのです。

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