クリスマス ... 神の介入の日

Shin1

◆聖書における奇跡は、すべて歴史に対する神の介入である。超自然的な出来事で人々をアッと驚かせるということよりも、その出来事を通して常に、神が共におられるということを語られる。

◆私たちの人生は、冷たい運命によって支配されているのではない。運命と見るならば、あきらめ、という消極的な生き方しか生まれない。クリスマスは、私たちの人生をそのような消極的なあきらめにしむける運命に対して、神は必要があれば、いつでも介入して神が共におられるということを知らせてくれる。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは「神われらと共にいます」という意味である。(マタイ1:23)

◆子どもが生まれた時に、その子を将来、みじめで、消極的で、不幸な人生を歩めと願う親はいない。同じように、神は、どんな人も不幸になることを望んでおられない。堂々と積極的に、人を愛し、生きていてよかった、という人生を歩むことを望んでおられる。必要があれば、どんなことをもなさる。全能の神ということは、愛において全能という意味である。どんなに絶望的に見える状況においても、「何かが起こる」と信じて、希望を失わない生き方を約束されたのがクリスマスなのである。クリスマスは希望の日なのです。

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