私も「工事中」、完成してくださるのは主

Shin1

◆散歩道となっている会堂建築工事現場に立ち寄っているうちに、次の二つの御言葉が浮かんで来た。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12:2)。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(ピリピ1:6)。

◆青年時代の私は、自分に自信がもてず大変な心配性でした。ある修養会で講師の先生が、「君たちは工事中だ。でも、主が始めてくださった工事は主が必ず完成してくださる。工事現場は結構雑然としているだろう。それと同じように工事中の君たちも同じだ。でも、必ず完成される。」と言われた。その言葉が後になって、私にとって、大きな励みとなった。

◆主は私たちの中に工事を始めてくださっている。「成長させてくださるのは神」であり、私たちはその工事の働きに参与させていただくのであり、最終的に責任を持って完成させてくださるお方は主である。私の中にも、教会員の中にも、また共同体としての教会形成においても、不完全なところ、欠けたところが結構ある。工事現場のように雑然としていて、どうしてよいか途方に暮れるようなこともある。でも、主が手をつけてくださった工事は主が必ず完成してくださる。私たちは、そのような希望を持ちつつ、今を生きることが許されている。「究極の一歩手前の真剣さで」とある牧師が語っていたが、そのような歩みが許されているのだと思う。

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